内功の修行
内功の修行は予想以上に厳しいモノになるかもしれない。
お試しとばかりに昨夜やってみても思ったことだが、とはいえコノハさんに具体的な話を聞いてからやってみても感想は変わらなかった。
「気孔を閉じること自体がすぐにできるのは、これまでの努力があったからでしょうね。ただ閉じた後に気を体内で巡らせる制御はとても難しいモノです」
昨日もやった通り、気孔を閉じるまでなら比較的簡単にできた。だが気孔を閉じた途端に体内の気が外へ出ようと暴れ回るのだ。とてもじゃないが制御なんてできる気がしない。
例えば閉じない状態、今の段階で体内に流れる気を正確に感じ取れるかと言ったら可能だ。心臓に近い胸の真ん中を中心として体内を巡っているのがよく感じ取れた。血液と似たような動きをしているのか、中心部から末端へと流れていき、身体の端々に活力が漲っているのがわかる。
ただこれを一つでも気孔を閉じたらどうなるのか。
閉じた周辺の気が暴れ出し、閉じていない気孔を探し回る。そしてそれまで緩やかだった他の流れまで急かすせいで、例えば掌の気孔を閉じた時は腕全体に痛みが現れることになる。
「……」
本当にそれで強くなれるのか不安に思って掌だけ内功を使い握った石を砕けるか試してみたのだが、見事粉々にできた。……身体能力が格段に上がるのは間違いないようだ。
元の握力では砕けなかった石も容易く粉砕できたので、明らかに強くはなれるのだろう。
「一つ聞いてもいいか?」
「はい、なんでしょう」
俺は色々と考えを巡らせている内に疑問が浮かび上がり、コノハさんに尋ねた。
「内功を会得すれば、本当に身体に影響が出かねない時間にならなければ、気を消費せず戦えるってことになるのか?」
「ええ、理論上は。とはいえ一切外へ放出せずに無事でいられる時間はそう長くないでしょう。私はそこまで達していないので明確には言えませんが」
「そうか。じゃあついでにもう一個。もし外功と内功を両立した場合はどうなるんだ?」
「えっ?」
単なる俺の思いつきだ。コノハさんは考えてもいなかったようできょとんとしている。
「……そう、ですね……。わかりませんが、理論上難しいと思いますよ? 外功は体外で放出した気を纏うことで成り立ち、内功は体内に気を留めることで成り立ちます。この二つは相容れないモノだと思いますから」
「そうだよな……」
俺としては、予め気を放出しておいて、その気を纏ったまま内功を使用するという手が使えるかどうかだったんだが。まぁできたとしてもそれで身体能力が上がりまくるかと言われれば微妙なところだ。上手くいかず失敗することも考えられる。
「まぁ先のことはいいか。とりあえず今は内功を……」
「そうですよ。内功だって、この期間に数秒でも会得できるようになるかわからないのですから」
そりゃそうだ。今のところ、俺はどうしたらいいのか理解できない。
「練習あるのみ、か。早朝に普段の鍛錬。午前は仙気。午後は内功……仙気はもうちょっとしたら時間減らしても良さそうか」
ぶつぶつと呟きながら、鍛錬の計画を練って日々を過ごしていく。
そうして一週間が経過した、のだが。
「……」
掌の気孔を閉じて内功を行う。気が暴れ出すのを制御して一番近くの気孔から放出させていく。こうすれば痛みなく内功はできる、のだが。
「第一段階突破、というところですね」
コノハさんは俺の内功を見て微笑んでくれる。だがこれで内功の完成に近づけたかと言われれば微妙なところだ。実際には体外へ放出することができないままなのだから。
「……ふぅ」
とはいえ手周辺の気を制御することができるようになっただけでも成長と言えるのかもしれない。
「その段階までは私が達しているモノです。こんなに早く追いつかれるとは思ってもみませんでした」
「俺にはこれしかないからな。で、後はこれを徐々に広げていくってことでいいのか?」
「ええ、それでできると思います」
手の方でやったことを全身でやる――だがそれでは気を放出するこの方法とは到達点が違う気がする。とはいえ俺にはなんの情報もない状態だ。彼女に従う他ない。
「……バカみたい」
と思っていたのだが、珍しく修行中にカエデが口を挟んできた。これまではつまらなさそうにこっちを見てくるだけでなにも言ってこなかったのだが。
「カエデ。ようやく口を開いたと思ったらなにを言うのですか。一生懸命修行している人に失礼でしょう」
「……だから、それがバカみたいって言ってるの」
咎める母親の言葉にも取り合わない。
「カエデ。あなたはなんでそう……」
「だってそうでしょ? 二人して見当違いの方法で会得しようとして、無駄な努力とも知らずに。それがバカじゃなくてなんて言えばいいの?」
「カエデ!」
バカとは連呼しつつもバカにしたような顔ではなく、ずっとつまらなさそうな顔だ。コノハさんは注意しようとするが、そこで一つ気づいたことがあった。
「……待ってくれ。じゃああんたは内功の到達点を知ってるってのか?」
彼女は今、見当違いの修行だと言った。それはつまり、俺が感じていた「完成した内功で放出できない気をどうするのか」という疑問の答えを知っていることになる。
「……」
「知ってるなら教えてくれ!」
俺は答えようとしないカエデに近づく。
「……教えるわけないでしょ」
「なんでだよ!」
「教える気がないもの」
「どうしたら教えてくれるんだ?」
「だから教えないって言ってるでしょ」
「なにか知ってるなら教えてくれ!」
「……ああもう! しつこい男は嫌われるって知らないの?」
「あんたに嫌われる程度で強くなれるなら、それで構わない」
「っ……!」
酷い話、別にカエデに好かれようとは思っていない。向こうが気に入らない様子を見せているので、わざわざ無理に仲良くしなくてもいいと思っている。
「……ホント、バカみたい!」
カエデは俺を一睨みしてから、素早くどこかへ立ち去ってしまった。九尾の狐の娘だからか身軽だ。本気で逃げようとしたら追いつけないだろうな。
「……」
いやまぁ、逃げられるのも当然だろうけど。知っている人がいるなら教えて欲しいという気持ちはある。少し冷静じゃなかったかと反省して頭の後ろを掻いた。
「……すみません、ルクスさん。娘が失礼なことを」
「ああ、いや、いいんだ。俺も無理に聞こうとしたしな」
コノハさんに頭を下げられると申し訳なさが立ってくる。
「……では休憩がてら、あの子の話をしましょうか」
コノハさんは頭を下げるとそう言った。
「勝手に話したと知ったら怒られそうなんだが」
「話した後で怒っても無駄でしょう。既に知っているなら特に意味はありません」
意外と厳しい。
「……カエデは天才です。身内贔屓抜きで見ても、紛れもなく」
コノハさんはそう語り始めた。長い話になることを考えて、俺は座り込み仙気を使いながら耳を傾ける。
「人から見ても、私から見ても間違いなく天才でしょう。私は突然変異とは呼ばれていますが、厳密に言えば同期の彼女とは意味合いが異なります。九尾の狐はここより遥か遠い島国に起源を持つ魔物ですが、九尾の狐、と呼ばれるようになった段階で人に近い姿を取ることが可能でした。九本の尾を持つ狐の姿と、今の私のように九本の尾と耳が生えた人型の二つを使い分けることができたのです」
「……それをこっちの人達は、人の姿になったが従来の魔物より強くなった突然変異と勘違いした?」
「はい。こちらに渡った九尾の狐が人型でなく人と争い討伐された経緯もあって、私が来た時は突然変異なのだと言われていました」
思わぬ話が聞けてしまった。コノハさんは突然変異じゃない、のか。しかしそうなると確かに納得のいく点もある。
「確か突然変異とはいえ魔物との子供は魔物か人どちらかの姿になる、だったか」
「はい。だからこそあの子も私と同じような姿でいられます」
「なるほどな」
魔物の起源なんて聞いたことはなかった。突然変異だったとしても途中でそうなっただけでありそういった話を聞くことはできない。つまり彼女達九尾の狐は元から知性ある魔物、つまりは神獣と呼ばれるような類いの存在だったということだろう。
「ですので私の一族の歴史を知っていますが、この子ほど力を持った子はいないでしょう。私も突然変異と勘違いされるほどには飛び抜けた力を持っていますが、それでも尚カエデには及ばない。もちろん今手合わせをすれば私が勝つでしょうが」
そういった意味でいうなら、本当の突然変異はカエデという捉え方もできる。
「九尾の狐、と呼ばれていることからもわかる通り私達の一族は九本の尾を持って力の全てを扱うことができます。私は既に九本生えていますが、あの子はまだ未熟なので五本しか生えていません」
「まだ半分くらいってことか。それを考えてあんたより才能があるってのがわかるわけか」
「ええ」
その上可能性としては内功まで使えるので、同年代で考えればとんでもない強さということになるだろう。
「あの子は九尾の狐の力を半分ほどしか扱えていないのに私以外の一族の誰よりも強く、九本揃った時には私よりも強くなるでしょう。そしてあの子は内功を会得しています」
やっぱりか。
「私がカエデに話した翌週にはもう体得していましたね。ただどうやったのかは頑なに教えてくれませんが」
俺は話を聞いてもまだまだ会得には程遠い。カエデがどれほどの天才がわかるというモノだろう。そういう意味で言えば、会長よりも才能があるのかもしれない。
「その教えてくれない理由ってのはわかってるのか?」
肝心な問題はそこだ。どうしたらカエデが俺に内功を教えてくれる気になるのか。そこを解決しない限り会得の糸口は得られないだろう。なにせ俺には大して才能がない。
「……ええ、まぁ。おそらくですが、ある程度察しはついています。私の夫、あの子の父親のことが原因でしょう」
コノハさんはそっと目を伏せた。そういえばいるはずの父親については全く話を聞かない。というよりもここにその痕跡を見た覚えがなかった。それはつまり別居したか、離婚したか、または死別したか。
「……亡くなってるんだな」
コノハさんの悲しみの深さから考えて、仲違いしたような雰囲気が感じられない。となれば俺が思いつくのはそれくらいだ。
「……はい」
彼女が頷いたのを見て、思わず天を仰ぐ。……家族の死が原因なら、確かに教えるのを拒むのも頷ける。
だがそれでも聞かなければならない。俺は聞いて、話をする必要がある。
「……辛いだろうが聞かせてくれ。俺はそれを聞いて、あいつと話をしなきゃならない」
俺はコノハさんの目を真っ直ぐに見つめて告げた。驚いたように目を見開いたコノハさんは、
「……やっぱり……いえ、これも失礼ですね。わかりました。あなたに全てをお話ししましょう」
諦めたように笑ってぽつぽつと語り始めた。
かつて二人の家族がどうして死ぬことになったのか、その一連の流れを。