契約の代償
俺が復帰した当日の昼休みのことだった。
「ルクス、ちょっといいかしら」
チェイグ達と飯を食っていた俺に、リーフィスが神妙な面持ちで声をかけてきた。
「?」
リーフィスが声をかけてくるなんて珍しい。いつもつまらなさそうに窓の外を眺めている印象だ。たまに視線を感じることがないわけではないが、あまり会話をする方ではない。
俺はリーフィスに招かれて教室を出ると、廊下の窓際まで連れてこられた。別に人気のない場所でしなくてはならない話というわけではないらしい。
「私の言うことを一度だけ聞くっていう約束、覚えてるわよね?」
俺を廊下まで連れてきたリーフィスは、開口一番にそう言った。……約束? はて、そんなモノがあっただろうか。
「……まさか忘れてないでしょうね」
リーフィスはすっと切れ長の目を細める。……マズいな。リーフィスと話したことが少ないんだから、逆算してそんな約束をするような時があったか記憶を遡ってみよう。キレられる前に、なる早で。
俺の弱い記憶力を辿っていると、一つ心当たりがあった。
「ああ、覚えてるよ。あれだろ、ミャンシーの襲撃があった後の」
「ええ、そうよ。ようやく思い出した?」
この街に敵の襲撃があり、それを夜遅く俺とアイリアで撃退した。その翌日に教室が混沌とした様相だったのが俺が原因だとかの言いがかりで宥めて回った時のことだ。リーフィスに落ち着いてもらうための条件として一度言うことを聞くことになったのだった。
覚えていた風を装って言うものの、長い間があったためにバレて苦笑されてしまった。
「……氷漬けの実験体とかじゃないだろうな」
「……私をなんだと思っているのか、その辺りは後程詳しく話を聞きたいけど……」
俺が言うと、不快げに眉を寄せて返し「違うわ」と否定した。……良かった。俺が酷い目に遭うようなことじゃなさそうだ。
「明日、買い物に付き合って欲しいのよ」
買い物と来たか。荷物持ちでもさせられるのだろうか。それくらいならお安い御用ではあるが。
「明日ってのは急だな。大事じゃなければ夏休み前とかでいいんじゃないか?」
いきなり明日というのは少し勝手というか、俺の都合を無視している。もし予定があったらどうするというのか。いや、ないんだけど。
「夏休み前は厳しくなるわよ。私もだけど、ルクスの方が厳しいんじゃないかしら」
「まぁ、かもしれないな」
生徒会戦挙への準備とかがあるし。とはいえ平日だけなので休日は空いているはずだ。
「夏休みは言うまでもないわね。急な話なのは承知してるけど、今週末が一番いいのよ。タイミング的にもね」
「そうか。まぁ、予定はないからいいぞ」
「そう。じゃあ後で待ち合わせ時間とかは連絡するわ」
リーフィスは約束だけ取りつけると、教室の中へと戻っていった。
……タイミング的にも、ってのが気になるな。買い物に付き合うだけじゃないのか? もしかしたらそっちはおまけで、本当の用事があるのかもしれないな。
それこそ、人気のある場所では話せないような重要な話が。
とはいえそれは俺の憶測に過ぎないわけだし、とりあえず荷物持ちにされる覚悟で行けばいいか。
◇◆◇◆◇◆
翌日。
幸いなことに快晴だった。買い物日和だろう。
待ち合わせ場所に指定された街の中央にある大きな噴水前に向かって歩く。休日だからか午前中から人が多い。俺達と同じように待ち合わせをしているのか、時計の進みを気にしつつ手持ち無沙汰に立っている人も多かった。
動きやすさや実用性を重視した格好ではなく、どちらかというと見た目を重視した格好の人が多い気がする。今日リーフィスと出かけるという話を聞いていたアイリアから「もっと見栄えのいい服装にしなさい」と言われてから変えなかったら浮いていたかもしれない。慣れないネックレスなんかを着けてきた甲斐があったというモノだ。
待ち合わせ時間よりは前だが、もしかしたらリーフィスの方が先に来ている可能性もあるため噴水の回りを一周して彼女の姿を捜す。
――見つけた。
噴水の前に腕組みをして立っている。噴水の水で陽光が反射し光っているのも相俟って、様になる立ち姿だ。素材がいいのは制服でも隠し切れないが、今日のような格好もよく似合っていた。
白のワンピースに水色のカーディガンを羽織っている。左手首に輪が三つ重なったような金のブレスレットを着けていた。お互い様というべきか、あまり見慣れない。
「悪い、待たせた」
こちらに気づいていない様子だったので声をかけた。リーフィスの視線が俺を捉えて若干顔が綻び、ほぼ同時で視界に入った光景にテンションが下がる。そんな様が少し離れていてもわかってしまった。
リーフィスはジト目で俺の右手の先、白いワンピース姿のフィナを見据える。
……いや、流石に俺も悪いとは思ってるんだよ。
「……なんで連れてきたのよ」
「いや、リーフィスと同じ時にフィナとも約束してて、それを使われてさ」
冷ややかな視線を受け流しつつ、苦笑して言い訳する。
「……じゃあリーフィスとのお出かけに連れてって」
それを一度言うことを聞くに適応させろと来た。もしかして、周囲を警戒してるんだろうか。それこそ心配しすぎな気もするが。
「……はぁ。まぁいいわ。こういう事態も想像しなかったわけじゃないから。じゃあ少し早いけど、行きましょうか」
リーフィスは諦めたように嘆息し、歩き出した。俺も遅れないように後をついていく。
こうして三人での休日が始まったのだった。
なんで明日じゃなくて今日なのか。リーフィス曰く「特に意味はないわ」。
ではなぜ今週末なのか。
丁度いいことに、フリーマーケットがやっているからだ。
服や本を始め、色々な出し物がやっている。単純に商品を並べるところもあれば、実際に料理を売っているところもあった。
街の内外から人が集まって催されるフリーマーケットは大通りで行われている。注目どころは噴水から程近いよく人の通る位置を確保し、まだ始まって間もないだろうに行列ができていた。
武器や防具、冒険に役立つ道具など戦闘関連も販売されており、果ては希少な小動物を紹介しているところもある。
まずリーフィスが足を運んだのはそこだ。
「……可愛い」
フィナが屈んで柵の中を覗き込んでいる。中にはリスと呼ばれる小動物がいた。木の上で立っている。
フィナはいつもの無表情だったが、リーフィスは明らかに頬を緩ませていた。……意外とこういうのが好きらしい。
「触ってみますか?」
ペットとして購入させるわけではなく、魔物が蔓延るせいで数少なくなっている動物の実物を紹介するコーナーのようだ。フリーマーケットに相応しいかは置いておいて、真っ先に来たということはリーフィスが事前に調べていたのだろう。
「……ん」
こくんと頷いたフィナに連れられて柵の中に入る前に、
「リーフィスも来るか?」
と声をかけたが、「いいわ」と素っ気なく断られてしまった。触りたいだろうに、遠慮しているのか。
とはいえ無理に引っ張ってくることもあるまい。俺が中に入ると、リスが木の上から飛び移ってきた。
「うおっ」
肩に着地するとそのまま居座る。……なんだ、急に。
「凄いですね。いきなりリスが飛び移るなんて。普通は様子を見るんですが」
店の人も驚いている。滅多にないことなのだろう。
「……狡い」
フィナが少し恨みがましい目で見上げてくる。俺はなにもしてないんだが。
「同じ魔力のない同士、警戒されてないんじゃない?」
リーフィスが策の外からからかうように声をかけてきた。
動物は全て魔力を持たない。魔力を持つのであれば大なり小なりモンスターと定義されるからだ。一切の魔力を持たない生物の一種が動物だ。生存競争には負け続きなので数が非常に少ないのだ。
「えっ? 魔力がない、ということは、もしかしてルクスさんですか?」
「え、ああ、まぁ」
年上の人にさんづけで呼ばれるのはあまり慣れないが、俺のことを知っているとは驚きだ。確かに魔力のない問題児なら話題性には富むが、有名どころはそれこそリーフィスやアイリア、フィナなどが挙げられるだろう。見た目の良し悪しもあるが、俺に注目するくらいなら他に注目した方がいい。
「いやぁ、会えて嬉しいです。生徒会長との決勝戦を見て、一目お会いしたいと思っていたんですよ」
店主は破顔して握手を求めてきた。……俺としてはこうも下手に出られると困惑するんだが。
握手に応じないわけにもいかず、がっしりと握手を交わす。
「是非お話を聞かせてください。あっ、お時間があればでいいですけど」
嬉しそうな男性に断りを入れるのが難しく、思わずリーフィスを見やった。当の本人はくすくすとおかしそうに笑っており、「いいわよ、付き合ってあげれば」と言っていたのでいいだろう。今日は彼女に付き合って来たのだから優先させるべきなのだろうが、まだ小動物を見足りないのかもしれない。
「あっち行っておいで」
未だ肩に乗ったリスを指で撫でて、フィナの方を示す。リスは一度こちらを見上げた後、俺の腕を伝ってフィナへと飛び移った。
小動物に会うのは初めてではない。森にいたということもあって彼らが馴染みやすい空気でも出しているのだろう。多分。
俺はそれから店の男性を話していた。リーフィスは俺達の話を聞いていたりフィナの様子を見たりしていたが、楽しそうだったので良しとしよう。フィナはリスと遊んでいた(『リスに遊んでもらっていた』かもしれないが)。
あまり俺を買ってくれた人と話すことがないためややしどろもどろだった気がしなくもないが、励ましの言葉を貰って人から応援されるのも悪くないと思う。別に嫌われようとして動いているわけではないが、好かれると思って動いてもいない。無礼だからと貴族に嫌われるのは当然だと思っているが、応援されることの方が珍しかった。
午前中は結局そこしか回れなかったが、誘った本人はとても楽しそうだった。
「昼はどうするんだ?」
折を見てフィナが「……お腹減った」と訴える前に動物紹介コーナーを切り上げてきたのだが、出店はどこも並んでいる。とはいえ出店以外で食べてはわざわざ来た意味もないように思う。
「私は別にどこでもいいわよ。フィナはどこか美味しそうなところあった?」
リーフィスは柔らかな笑顔を浮かべて言う。そんな表情もできるのかと驚くぐらいだ。いつもそんな風に愛想良くしていれば引く手数多だろうに。
「……全部食べる」
それに対し、フィナはいつものように簡潔な答えを返す。ただしとんでもない答えではあったが。
「全部……は、無理じゃないか? 時間的にも金銭的にも」
「……お小遣い足りない」
「私が奢ってもいいわよ? 貸し一つで」
「貸し一つ程度ならいい気もするんだが、甘やかしすぎはダメだ。ちゃんと今日使う分だけの金で食べるんだぞ」
「……ん。わかってる」
金持ちにはわからない感覚だろうが、庶民だからこそ金銭感覚はしっかりしないといけない。しかもフィナは制限を設けないと際限なく食べるからな。胃袋がどうなっているのか知りたい。
「じゃあ仕方ないわね。食べ物を探しながら歩きましょうか」
彼女の一声で、料理をメインに探し回るのだった。
……制限だなんだと言いつつ、根負けして俺が少し奢ったのは言うまでもない。
「……ホントに、よく食べるわね」
「……今はおやつ」
「昼飯からおやつまでの間が一切ねぇ……」
呆れたリーフィスと、ご満悦な様子で俺が買ってきたわたあめという菓子(?)を口にするフィナ。……二人が楽しいならいいんだけどさ。俺もなにか買いたいモノがあってきたわけじゃないし。
「なんでそんなに食べるのよ。食べすぎは良くないわよ」
「……もっとおっきくなる」
「……どこをまだ大きくさせたいのかしらね」
「……身体」
フィナの身体の一部を恨めしく見下ろすリーフィスに、絶妙な返しをしていた。多分身長だろうけどな?
「ルクス、これからが本番よ。買い物に付き合ってもらうわ」
少しどんよりしている俺に対して、転じて心から生き生きとした笑顔を浮かべるリーフィス。……天使のような悪魔の笑顔だと思った。だが荷物持ちだと覚悟してきた俺がここでへばるわけにはいかない。気合いを入れてかかるとしよう。
「ああもう、いいよ、かかってこい」
半ば自棄になって宣言し、リーフィスの買い物に付き合うのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
日も暮れてきた頃。
名残り惜しくもあるがフリーマーケットも終わりを告げ始め、ほとんどが店仕舞いを始めていた。
大手は二日連続で出店する可能性もあるが大半が入れ替わるため、一日目と二日目で別の姿を見せる。
明日への期待を残しつつ、今日のところは既に余韻に浸るような段階だ。
「……」
俺は一通りリーフィスに連れ回された後、人気のない外周のベンチに座らされた。右隣にはリーフィスが座っている。
フィナはここに来る前に帰っていた。リーフィスが真剣な表情で「二人で話をさせて欲しい」と頼み込んだ結果だ。フィナも今日一日でリーフィスにある程度心を開いたらしく、真摯な彼女の態度を受けて素直に帰っていった。
「ここのベンチに座りましょう」
そう言われてから数分経ったような気がする。俺は手荷物を多く抱えていたので休憩できるからいいのだが、話があるのはリーフィスだろう。俺からは切り出さず、リーフィスが話し始めるのを待っているのだが。
「……ルクス。こっちを向いて」
買い物に連れ回していた時の柔らかな笑顔とは異なり普段と同じく落ち着いた声で呼ばれて、右を向いた。
「……っ!」
顔を向けた途端、リーフィスが抱き着いてきた。首の後ろに手を回し、身体ごと密着させるかのようにしている。甘い匂いが鼻腔を擽るが、そんなことよりも驚きで身体が硬直してしまう。
リーフィスがこんな大胆な行動に出たこともそうだが、その体温に対して驚きが隠せなかった。
「……リーフィス、お前……」
呆然とした声が漏れる。
リーフィスの身体は冷たかった。それこそ死人のように――いや、ここは氷のようにと言うべきだろうか。
柔らかくもひんやりとした感触が伝わってくる。流石に氷のような冷たさではないが、普通の人とはかけ離れた体温だった。
「……ああ、やっぱり温かい。熱いくらいだわ」
耳元でどこか熱っぽい囁きが聞こえる。彼女がこうなっている原因はわかる。校内団体戦で見せた彼女が宿しているというブリューナクの影響だろう。
「……いつからこうなったんだ?」
人の温もりを味わうかのようにうっとりとした表情のリーフィスに尋ねる。今日だけで、どれほど彼女の知らない表情を見ただろうか。
「ブリューナクの力を駆使するなら、こうなることはわかっていたわ」
「つまりあの決勝戦からってことか」
「ええ。でも覚悟していたことだもの。体温が失われて、冷たくなることは知ってたから」
「……そうか」
「結局負けたけど」
「それを言うなら俺だってそうだろ。お前に勝つって言ったのにな」
「あの時はカッコ良かったのに」
「……悪かったな、負けちまって」
あの時は確か「俺が勝つから負けていいぞー」みたいなことを言った気がする。結果俺が負けたことでクラスが敗北したんだから、カッコ悪いことこの上なかった。
「嘘よ。ルクスの戦っているところ、凄くカッコ良かったわ」
それは甘い囁きだった。俺の思考を阻害するくらいには、甘くて蕩けそうな言葉だった。
「……そうか?」
「ええ。普段は飄々としてるのに、あんなに必死になって戦って。近接向きでない私には二人の戦いを完全には把握できなかったけど。見ていて堪らなかったわ」
「……そうか」
負けたとはいえ、あそこで会長に勝つことが俺の目標でないのだから。あの戦いを観ていた人達に、なにかを与えられたのならそれでいい。
「魔法の才能も、気の才能も。全てを持って生まれたと言われるあの生徒会長に、魔力のない落ちこぼれだと言われたルクスが死闘を繰り広げた、っていうのは充分に周りの心を動かしたのよ。人を応援したくなるなんて、初めてだったわ」
「なら良かった」
そうなればいいと思って戦っていた。
僅かでもそう思ってくれる人がいればいいと思っていた。
実際にそれが認められたのだ。嬉しくないわけがない。浮かれた声が出ないように必死で平静を保っている。
「……ずっとこのままでいたい」
ぽつりとリーフィスが言葉を零した。
「無理だな」
「わかってるわ。一時の気の迷い、私の我が儘。なんだっていい、今私に芽生えた感情は凍らせない。大切に育てていくわ」
「そうか。まぁ、リーフィスのしたいようにすればいいだろ」
「ホントに? じゃあするわね」
適当なことを口走ったのだが、リーフィスは隙ありとばかりにわかっていて乗っかったのだろう。声がとても楽しそうだ。
「――っ!?」
顔が横から離れたと思ったら、目の前まで近づいてきた。といってもメインはそっちではなく、冷たくも柔らかな唇だ。突然の出来事に身体は反応せず、頭に血が上っていく。頭が真っ白になってしまい脳味噌が機能しなくなってしまったようだ。
そればかりか、リーフィスはそのままの状態から舌を突き出してきた。それがどういうことかは明白だ。冷たくて濡れた舌が唇を押し広げて入ってきた。……俺はただ呆然とされるがままだったので、なんと言うか。余程免疫がないんだろうな、と思ったくらいだった。ほとんど思考が停止した状態で、リーフィスの好き勝手されるままだ。後から思い返せば仕返ししてやりたい気もするのだが、それよりも気恥ずかしさが上回って頓挫する。
「……ぷはぁ」
たっぷり、それはもう長い時間――だったと思う――甘い一時を過ごしたリーフィスは、満足気な表情で唇を離した。互いの口から銀の糸が伝う。
「……ふふっ。ごちそうさま」
微笑んで伝う糸を舌で舐め取ったリーフィスは、いつになく妖艶だった。というか、普段と様子が違いすぎて我に返った時が大変そうだ。
そう思うと少しでも仕返しをしたくて、リーフィスの細く冷たい身体を抱き寄せた。
「あっ……」
「普段なら絶対しなかっただろ。存分に後悔しとけ」
「……言わないで。熱に浮かされただけよ」
平静を装った甲斐もあってかリーフィスの声が少しだけ落ち着いた。
「しかし意外と免疫ないのね。フィナとアイリアさんが同室だから、これくらい慣れてると思ってたけど」
からかうように微笑んだ。……なんで知ってるんだよ。
「全然だっての。二人ともそんなんじゃないしな」
「へぇ? じゃあ別にいいわよね」
「良くはないけどな。まぁ、たまには甘えたくなることもあるだろ」
俺はそう言ってリーフィスの頭を撫でた。……本人も言ってたし「一時の気の迷い」である可能性が高いんだからそこまで意識する必要はない、と思う、けど。
「……いいわ。度々、その……甘えてもいいかしら」
「それくらいならいいぞ。たださっきのは勘弁な」
「ふふっ。それはどうかしらね」
甘えられる度に動揺させられては堪ったものではない。腕の中のリーフィスが楽しそうな声なのが気がかりだが、冷たいよりは今の柔らかい方がいいだろう。リーフィスが人と話しているところをあまり見ないから、お節介もあるのかもしれないが。
リーフィスが黙ってしまったので、俺からいくつか質問しようと思う。頭の中が真っ白になる前の記憶を呼び戻して考えた。
「なぁ。身体が冷たくなって、それ以外のデメリットはあるのか? 例えば人より早く死ぬとか。周囲が凍てつくとか」
「ないわね。むしろ高位の存在であるブリューナクとより深く繋がることで寿命が延びるくらいよ」
「そうなのか。じゃあ力を使うことで凍えたり、自分の制御できる範囲を超えたりは減るのか?」
「……減るわ。私の力不足もあるから一概には言えないけど、凍えることはなくなるわね。奪われる体温がなくなるんだから」
「なるほどな」
……そういえば、ブリューナクが召喚された時に俺へ「ヤバいヤツが宿ってる」とか言ってなかったっけか? あれは結局どうなったんだろうか。
「……こっちは私個人の余談だったわ。それに関連して、とは言わないけど今日話したいことは別にあったのよ」
じゃあなんで先にこっちから離した、と思わないでもなかったが。
「あなたの内に宿る存在について、話さなきゃいけないことがあるわ」
「……」
たった今俺が思い出したことだった。しかしリーフィスから話を聞くということは、ブリューナクから詳しく聞き出したとかだろうか。
「アリエス教師や理事長は秘密にした方がいい、っていう意見みたいだけど。同じ状態の私からしたら、自分の中にナニカがいるのにそれがなにかがわからないっていうのは凄く不安になるわ。力を使いこなすようになるも自分の中から追い出すも、ルクスの中にいるヤツがなにかを知らないと判断できないでしょう?」
どうやらアリエス教師も一枚噛んでいるらしい。そうなるとブリューナクから聞いたわけではないのだろうか。
「私は話すべきだと思ったから話すわ。心して聞いて」
リーフィスは身体を離して真剣な眼差しを向けてくる。そして俺は、俺の中にいる存在の正体を知った――。
「……」
一通りの話を聞いて、正直信じられないというのが素直な感想だった。
なにせ魔神が宿っていると言われたのだ。「はいそうですか」と納得するなんてできっこない。
魔神アルサロスと呼ばれる太古に存在した災厄の神。
存在するだけで周囲の魔力を吸い上げることができる。
魔力を根こそぎ吸い取る強大な存在。
魔力を源から吸い尽くされて死に至る生物が多くなった結果、神に魔神と認定された。
それくらいの逸話なら俺の知識にもある。が、そいつが俺の身体にいるのかと思うと実感は湧かない。
「……しかも封印されてたそいつを解放して俺に宿したのが親父と母さんだってのか」
「ええ、そういう話だったわ」
意味がわからない。そんな危険を冒してまで俺に宿らせる意味があったのだろうか。考えても答えは出ない。話を聞いても追い出せばいいのか共存すればいいのかわからない。
答えの出ない疑問がいくつも浮かんで頭の中をぐるぐると回っている。そんな余裕のない俺を、リーフィスがそっと抱き寄せた。
「……大丈夫よ。謎はいつか解けるわ。それに、あなたの両親がやったなら、それは必要なことだったのよ。意味もなく封印を解きはしないわ」
「……ああ、悪い」
温かくはないが人に触れたことで、冷静な思考が戻ってくる。とはいえ思考放棄という結論が出るだけだが。
「いいのよ。秘密の共有なんて、親密な関係じゃない?」
「共犯者とも言えるけどな」
「もっと空気を読んで発言できるようになれば完璧ね」
「別にそんなの求めてるわけじゃないんだけどな」
言い合いながら、予想以上に心が落ち着いているのがわかる。
「私はあなたを支えたい。力になりたいと思っているの」
「そうか、ありがとな」
「……礼を言うのはこっちよ。あなたがいれば、私はどんな化け物にだってなれるわ」
「それは流石にやめてくれ。リーフィスは、リーフィスのままでいいんだよ」
前にも同じようなことを言った気がする。いつだったか。
「……そうね」
抱き寄せられているため表情は見えないが、きっと微笑んでいるのだろうと思う。それくらいはわかった。
しばらく、俺とリーフィスはそのままの体勢でいた。
……ひんやりしたリーフィスの身体とくっついた状態で夜風に当たると風邪を引きそうだと思ったのは内緒だ。
「……ねぇ。なんで私、あんなことしたのかしら」
「……俺に聞くな。そして俺の前で我に返るんじゃねぇ」
途中冷静に自分を見つめ直して我に返ったリーフィスが慌てる一幕はあったが。
俺とリーフィスは、以前とは違った関係になったのかもしれなかった。
来週も更新できる予定です。