「青」天の霹靂・3
校舎に入り、下駄箱で靴を脱いで、新調したばかりの上履きに履き替える。階段を上ると、よく磨かれた床と上履きのゴムが擦れ合う。歩くたんび、ウグイス張りのように、足音がきゅっきゅと鳴り響く。それが五階に到着するまで続いた。
「……それにしても、僕をご指名だなんて、また珍しいことをするものだなあ」
誰もいないことを何度も確認してから、独り言を呟く。独り言なんて聞かれたらただ恥ずかしいだけだ。生徒会室までの道中、渡された手紙を何度も読む。
佐手さんに誘われるのは嬉しい半面、不吉な予感もふんだん。これで明るい未来が手招きをしてくれると楽観できる人がいるのなら、僕はその精神と入れ替えてみたいが。さぞかしこの世界は、一点の曇りもない、綺麗な宝石で埋め尽くされているのだろう。
沸々と心に燃え上がる薪をいつでも消化できるよう、水はいつでも手元に置くことにしておこう。あくまでも冷静に、冷静に。
校舎の五階、最上階のフロアに生徒自治会室はある。このフロアは多目的会議室や委員会室などが集まっていて、学業のための教室は存在しない。勉強をできる環境を影から支える部屋の数々か。よって例え平日だろうが人気はない。
建物の一番奥にある、生徒自治会室の扉をノックする。「どうぞ」と促された。開ける。
室内には佐手さんだけが佇んでいた。長い髪が、窓から差し込む昼の明るい日差しと混じりあい、きらきら輝く。
僕はこの人を尊敬し、憧れている。行住坐臥、寸断されることのなく凛々しい人だ。青色の制服は僕と同じもののはずなのに、より着こなしているように感じる。スラックスに包まれた細いながらも長い脚は、大木の根のようにしっかりと床を踏みしめている。それがまた意志の強さを際立たせる。
「やあ。案外早かったね、【お兄さま】」
「【生徒自治会長】こそ、こんな回りくどい呼び出ししなくてもいいですのに」
「…………」「…………」
お互い、ぶるっと身震いする。
「……慣れないなあ。こうなってしまったからには会長へ一直線とはいえ、ぼくがこんな立場になるなど。人を顎で使うのは、『楽』であっても『楽しく』はないよ」
「僕は僕で、いざこの称号を得ることに、とても不思議な気分を味わってます。……佐手さんが青制服ってことは、公私の私寄りの公ですか?」
「その辺りも含めて。さあ、らしゃくん。席に掛けてくれ。立ち話で済ませられるほど手短に纏められないぼくの力不足は許してほしい。だからこうして呼び出ししたんだしね」
なんでも短く簡潔に物事を進める佐手さんが無理と言うのだから、それだけ重要な案件なのだろう。覚悟を決めつつ「三時の席」に腰掛ける。佐手さんは「十二時の席」だ。
「昨日には判明していたのだけれど、まだ不定の情報が多かったんだ。デマは流したくなくて。でも今日の朝、学園長から直々に、ぼくへ正式に通告された」
これを見てくれ、と書類を僕に差し出す。この書類形式は見覚えがある。入学手続のものだ。さては、幼等部に訳ありな新入生が入るな? と僕は当たりをつけた。この学園では珍しいことでもない。……でもそのぐらいだったら、僕を個別に呼び出すこともない。去年度のうちに片づけておくべきだ。まあ佐手さんだって、ミスの一つはするだろう。僕に伝え忘れることもあるはずだ。そんなありえない楽観をしながら、僕は書類に目を通す。
諫早森羅。名前欄にはそんな名前が記述されていた。年齢欄には僕と同じ、十六歳。
「……ね、年齢欄? え?」
おかしい。おかしすぎる。よく見てみる。入学ではなく、編入手続書。
「編入。ぼくも噂には訊いていたが、そんな制度がアオナシにもあるなんて驚いたよ」
一度入学したら卒業するまで住み続けるのが普通であり、途中入学することはあり得ない。僕ですら五歳で入学してからというもの、外の世界は長期休暇を除けば拝めていない。なのに、高校二年生という中途半端な学年に、新たな生徒が加わるなど。
「特殊すぎる事例だから、先に各学年委員長には詳細を伝えておいたんだ。先ほど行った臨時集会の議題は、これのためだけだ。みんな納得はしていないようだったが、受け入れてはくれたよ。最低でも、契約は取った」
佐手さんの手元にある一枚の紙片には、文字の書けない幼等部以外、全学年の級長の名前がサインされている。……言い逃れはできなくなるのか。狡賢いというか卑怯というか。きっちり、あのいけすかない女の名前まで入っている。
「確かに僕は特別ですね。受け入れ先がうちの学年なら、級友にきちんと説明しないと。生活のサイクルからして組み直さないといけないものまでありますから大変です」
「それもあるがしかし、そんなことは些事となってしまうほど、衝撃的な事実がある」
……僕は先ほど心に用意した水で、いつでも薪を消化できるよう身構える。
「編入手続書。他の学校ならおそらくあるであろう項目が、アオナシには無いのだよ。だから一見では判断できないんが、その編入生は、」
あ、まずい。佐手さんのこの顔は。まずい。
もの凄い噴火が薪から起きる。今から水を掛けないと間に合わない。
「それはね――」
が、佐手さんが続けた言葉で、火達磨となった。どうやら水だと思っていたその液体は、油だったみたいだ。




