青の稲妻・2
という、「いつも通り」の朝を迎えれば、あとはもう授業ですら変わり映えのしない日常の一コマにしかすぎない。……どこかが間違ってる気しかしないなあ。時折【お兄さま】を「みんなにやらされている」と感じるのが嘘だったらいいんだけれど。
「今日はどの部を訪問するんだい? 僕は最近、お兄さま活動も楽しくなってきたんだ」
「二度目はないよ。ボケも突っ込みも」
教室という閉じられた空間ではなく、廊下という不特定多数の生徒に目撃される場で取り乱すわけにはいかない。そう簡単に引っ掛かってたまるものか。
彼が僕を頼ってからというもの、諫早は常に僕の横を歩くことになった。事実上の「男性が並んで廊下を颯爽と行進」という、アオナシでは見られるはずのない構図。これが衆目を集めること集めること。
「梨山お兄さまこんにちは」
「やあこんにちは佐々木君。勉強はしてるかい? 君の担任から、居眠りされて困ってるって相談されたんだよ」
「あ、あれは、子守唄なんですもん!」
「あはは。んー、数学は難しいからね。でも授業はきちんと受けないと駄目だよ?」
この一方で。
「諫早先輩!」
「俺は年下趣味がない。お兄さまという呼称が神聖不可侵なのは分かっている。なれば、諫早お兄ちゃんぐらいがちょうどいい」
「諫早お兄ちゃん!」
「俺は年上が好きなんだよ。もっと柔らかく、おにいちゃん、ぐらいにしといてくれ」
「諫早おにいちゃん♪」
「……ハマのクラスメイトになにやらせてやがりますか」
「いや冗談だよこれはさすがに。好きに呼んでくれてかまわねえ」
三つの要因があって、諫早の人気はこれまで以上のものになった。そのせいで、男性に物怖じすることなく、彼に声を掛ける娘が後を絶たないのだ。
そのうちの一つが、この粗雑な口調。男慣れしていないのだから、このような口調の方が物珍しい。なにせ、生の男子高校生そのままだ。諫早もこちらが素であるのだから、演技ではなく自然体。怖いという意見もあるが、そこは僕がカバーして、怒っているわけではないと証明してやればいい。
それでも諫早はやりすぎない。冗談をノってくれる娘ならガンガン悪ふざけをする。真面目な娘が相手なら、以前までの爽やか青年として、まるで王子様かのようにふるまう。ここに見習いたいものがあった。男性慣れしていない生徒には、男性というものの現実を、僕と対比させながら暗に教えている。それでいて、別に負の部分を強調させているわけでもない。良くも悪くも、『男』という生き物を演じてくれている。
「てめえらー群れるんじゃねー。俺は脳に糖分を送りこまねえといけねえんだよー。炭水化物とアミノ酸摂取を阻害すんじゃねー」
……演じてるんだよね? おらー、と腕を軽く振り回し、周囲の娘たちを薙ぎ払う。触れてもないのに、「キャー!」とノリノリで蹴散らされる村娘。華族の子女だよね、君ら。
「嫉妬するほどにモてるねえ。さぞかし、男の至福に預かってるってところかい」
うざったく思っている様子は露ほどもない。男性特有の『真面目を装いつつも内心ではニヤニヤしっぱなし』な表情をしていた。
「何度も言っとくけど俺って、平均的十代男子程度にしか女に興味ないぜ?」
「どっちでもいいよそんなの。ただ、僕の養蜂場には蜜が溜まりにくくあってね?」
「花弁を開いて蜂に蜜を取られるのが嫌なら、日照条件を満たさせないで、花弁を閉じてやがれって話だ。養蜂に必要な道具だけでなく、蜂まで分け与えてくれたのは誰だよ」
「僕は花の立場なのさ。蝶々に蜜を吸われて、悪く思う花はいないんだよ。そうやって花粉をつけて、より多くの遺伝子を残そうとするのだか……花粉を振りまくつもりなのかい君は!?」
「謎なノリ突っ込みはやめい」
自分から比喩を使い始めながら、自分が理解できにくくなってしまった。
お世辞にも上品と言えないような内容も、僕は好きだったりする。ただ、これまで相手がいなかった。おかげで彼にはドン引きされたりする毎日。
「(……悪評が流れんじゃねえの、こういう台詞。品がねえ、って)」
大声でやりとりをしている僕らの会話は、包み隠すことなく筒抜けだ。小声で注意してきた。
「ふふ。君もまだまだだね。街中で外国人観光客が自分の分からない言語で道を訊いてきて、どうやってそれを『道を教えろよこの猿』と悪態をついていると知るんだい?」
「あー、そもそも理解できねえのか」
純粋無垢に育てられたアオナシ生は、不純物を不純物と認識できない。アオナシで働く教員ですら、純粋物のまま育てられている場合だって多いくらいだ。ここは少しでも心が汚れてしまった僕が彼の手綱を握らないと。僕は一方向な翻訳者なのだ! 僕が一番汚れてるようにも思えるけど気にしない。
食堂に着き、道中くっついてきた野原のオナモミちゃんたちと列に並ぶ。僕が列に加わった瞬間、少し乱れていた列が、「前へ習え」をしたように整理された。【お兄さま】にいいところを見せようと必死だ。その様子に僕は少し笑ってしまう。
列が掃けていく。カウンターで僕はきつねうどん、諫早は日替わり定食を注文し、十秒もしないうちに受け取る。……調理倶楽部の娘、僕の姿を確認するや張り切ったなあ。働きづくめだから、僕のために力を振り絞ってくれているのかなと思うと、彼女らがいじらしくなる。「今日も大変だけれど頑張って」と檄を飛ばす。「は、はい! ……みなさん、梨山【お兄さま】から叱咤を頂きましたわ!」と張り切る調理倶楽部を横目に、席探しの旅へ。しかしその必要はなかった。初等部の娘が席を確保していたのだ。彼女に甘え、そこに座る。するとこの一帯にも生徒が座りだした。
初等部から高等部まで、特定の年齢層に偏ってはいなかった。しめしめ、新聞の効果が如実に出ている、とほくそ笑む。あれは全ての生徒が読んでくれる。
人気が上がった要因のもう一つ。破魔の新聞記事のおかげだ。主に、それまで勇気が出ず、会話もしたことがない娘に効果があった。遠巻きに眺めているしかなかった諫早に、一抹でも親近感を覚えてくれた。まだもう一歩は踏み出せないまでも、こうした集団に集まってくれる。僕のファンに、諫早のファンが巻き込む形で、続々と塊も大きくなっている。
「いただきます」
「いただきますよですわぜ」
「口調を安定させやがれ」
僕と彼が食前の挨拶をすると、連鎖するように「いただきます」の声がそこかしこから上がった。ちなみに七割近くの娘がきつねうどんで三割が日替わり定食だ。お兄さまと同じ場所で、同じ時間に、同じメニューを食べるのが下級生の嗜みだ。僕も経験した口。
「僕も君みたいに、かっ食らった方がいいのかなあ」
挨拶をすると同時に茶碗を手で持ってガツガツと食べる彼に、いっそ惚れ惚れとしながら僕は言った。『諫早森羅用』に仕入れた食器類は、普通の食器がおままごとの道具に思えるほど巨大だ。それにこんもりとよそられた白米の重量を、見る間に軽くしていく。
「男が全員大食と思われてもな。男に小食はいるし女に大食もいる。それでよくねえ? 男口調だけでも十分な気はすんだけどな、男の演技としちゃ。あとは無粋だぜ。女の良い点を活かしつつ、男の一面を磨いてこその男装だろ。親父女はマイナスなだけだ」
「これも朝に言ったけど、僕のこれは伝統ある、お兄さま語なだけだから。青制服と同じくらいに【お兄さま】の記号なのであって、梨山お兄さまとしては、ここから更に肉付けをしていかなければならないんだから」
その付いた肉が、朝みたいなアレなのはどうかと自分でも思っているが。くっ、去年からずっと「お兄さまになったらこうする」と決めていたことも、いざお兄さまになってみると、これがなかなか上手く実行できない。なんとも歯痒い。
「身体は女なんだから。大飯食らいまでやったら引くって」
「こうさ、いっぱい食べる姿に、僕らは男らしさを感じるんだから」
世の常識とはどれだけずれていようが、アオナシではそういった男性っぽさの全てを、纏めて【お兄さま】に求める。やらないよりは、やった方が人気は高い。
「そこはもう、性差の範疇で片づけてもいいだろ。俺の場合、梨山と違って身体も男っつうだけで有り余る個性だしよ。っつか量食わねえとやってらんねえってのもあるけど」
「まだ朝を蒸し返すのか君は!」
僕が叫ぶと「朝ってなんでしょう?」と友達と会話する娘が増える。中一の集団にさりげなく混ざっている破魔が、「ハマの預かり知らぬところで……!」とよく分からない悪態をついていた。破魔はたまに脇役Aとして僕の近くにいることがある。僕らの会話を興味深そうに聞き耳を立てているだけ。どうも、僕が彼と二人が揃っているときは乱入しないのが、ファンの間で暗黙の了解となっているらしい。ルームメイトの縁だからと破ったら、歯の根が合わなくなる、と破魔が怯えながら教えてくれた。
「蒸し返す、か。そういやごく当たり前に流れたが、今日の放課後の予定ってなんだ?」
「そうだったね。でも流れたのは君の切り出し方が悪いよ」
わりぃわりぃと軽く謝られる。僕は「しょうがないなあ」とそれだけで許してしまう。これが僕の駄目なところなんだよなあ。利用されやすぎだ、我のことながら。
「文化系から三件、運動系から一件、君宛てにお誘いがきてるね」
僕がそう言うと、僕らと同席しているだけで幸せだった周囲の娘たちが、俄かに眼の色が変わる。それを見ても尚、彼は何色に染まることなく、自分だけの意見で「あー……やっぱ運動系があるならそっち重視だな」と、僕は半ば想像できていた解答をする。
はあ、残念です、と息を吐く娘が半分以上。逆に、少数の娘は喜びあっている同士で手を取り合って、きゃっきゃきゃっきゃ。……落胆している娘がいる。これこそが、僕の力不足の表れだ。【お兄さま】としては、どうしていけばいいものか。僕は汁をたっぷり吸った油揚げを食べながら、全員が幸せになる方法を、柄にもなく考えていた。
「その、梨山お兄さま。私の油揚げ、いりますか?」
「欲し――最後まで発音した瞬間に僕のツユは油でいっぱいになりそうだから、遠慮しておくよ。それを食べないと、ほぼ素うどんじゃないか」
ここぞとばかりに、箸で油揚げを掴み、僕の器に入れようとする娘が、両手両足の指を使っても足りないほどに。気持ちはありがたいけれど、全部食べたら気持ち悪くなるよ!




