青の稲妻・1
「やあお早う。遅刻しなかったんだ。よかったね。君は朝に弱いからね」
「僕の口調を盗むのはやめてくれないかな」
教室に入ると、諫早は開口一番、僕のアイデンティティを盗みやがった。
「ああ、好きなだけやめさせてもらう。正直、違和感バリッバリなんだよこれ。こんなの使うやつ、ガキしかいねえって。ツレは今でもこれを使ってるエセショタ野郎だけど、あいつは狙ってるからノーカン。素だと普通に『おれ』だし」
しかも僕を全否定。ああ貧血が。僕の肌は蝶の口でだって刺せてしまうほどヤワなんだ。
ふらふらしている僕はクラスメイトに支えられ、席まで誘導される。
「うふふ。ほら言ったでしょう? 羅紗さんは打たれ弱いって」
「だからたまらないのですわ」
「ショックを受けた梨山さん、可愛らしい」
「だな。弄られキャラをトップにすんのは定番だ。『有能な怠け者』みたいなもんだ」
教室のそこかしこで、僕の弱点談義を諫早としていた。
「ちょっと! 弄られるだけが売りの没個性女だから【お兄さま】にはふさわしくないなんて言ったのは誰だい!」
「そこまでボロボロに貶してるのは、一人だけですわ」
「そ、その一人を、僕の権力で……!」
「生徒自治会長ですわ」
「いやあああああああああああああ!」
もう僕の味方はこの世界に一人もいない!
「……憐れになってきたから種明かしするけど、そこまで貶めているのは、何を隠そう、梨山さん本人だけだからね? 生徒自治会長がそこまでするはずがないじゃない」
蒔苗君まで迫撃をかけようとしている。僕は耳を塞ぐことで、悪魔のような一撃をやり過ごすことに成功した。
「おもっしれえなあ。一々、全部をギャグにしちまうか」
「これが梨山の【お兄さま】に相応しい理由。気取らないから、いつだって全力で突っ走る。みんなそこが好きなの。じゃなきゃ梨山を【お兄さま】に持ち上げたりなんかしない」
振り返ると、彼が笑いながら何かを言っていて、茶畑君はうんうんと頷いている。さては、僕の見えるところで陰口を叩いているな!?
僕の弱った脳裏には、三年前に佐手さんが凛々しく使っていたお兄さま語がありありと再生される。あの面影は今や、服装にしか残ってない。あれもあれでオツだけどね。
「……って、佐手さんがそんなこと言うはずないじゃないか。『人を褒めるときは声を大きく。人を批判するときは、さらに声を大きく』ってのが信条なんだから」
そうでなければ僕は付いていかない。炭酸水のようにさっぱりとしたところに、僕は大きく惹かれているのだから。水飴のような甘ったるい粘っこさは、あの人だけで十分だ。
「諫早。君にはきっぱりと断っておくけどね、これは伝統的な、お兄さま語ともいうべきものなんだから、僕はこれに、おんぶにだっこなんだよ」
……あれえ? なんか、僕の言いたいニュアンスとは違うような。
「言い間違えしてるんじゃねえかな多分。お前が言いたいのはつまり、『お兄さまに選ばれる人はなにかに特化している。特化しているからこそ、口調なんかに背中を預けたりはしない』ってことだろ? 梨山のそれだと、自分はお兄さま言葉以外にお兄さまとしての価値はない、って断言しちまってるぞ。この没個性野郎」
「見事に指摘されたああああああ!」
言葉ってなんて難しい! ほんのちょっと口に任せただけで!
「はい、チャイムが鳴ったのだから席につっけ。……? なんでこんなに笑ってるんだ?」
教室へ入ってきたハクラ先生には、室内が黄色い声で満たされているこの現状を、頭に疑問符を浮かべることしかできていなかった。




