「と言う訳でさっさと願いを言え!」
死神は典型的な姿をしていた。
闇夜に溶けてしまいそうな漆黒のローブのフードを目深に被り、その顔どころか瞳すら見ることもできない。漆黒のフードの奥には暗黒が広がっている。
血を吸ったように鈍色に錆びた大鎌を肩に乗せていた。
夢かと思った。
起きて何となく天井を眺めていた僕の前に彼女は降りてきた。
宙に浮遊する彼女を見て、すぐに現実とは認識できなかった。
「おい、お前」
凛とした少女のような声で死神は告げる。
姿だけは死神だったが、声だけはイメージにそぐわなかった。
死神は鎌を僕の首元へ向ける。
冷たい刃が皮膚に触れている。
感触も、温度もある。
事ここに至って僕は自分が置かされているこの現状が現実なのだと気が付いた。
唾を呑み込むのでさえ、躊躇うほどぴったりと刃は僕の首に付けられている。
「喜べ! あんたは、このあたし! 死神様に命を奪われるんだ」
無理をして狂気的に振る舞ったような声だった。
しかし、何を恐怖する必要があるのかと思い、体の力を抜いた。
「あり? あんた抵抗しないのか?」
拍子抜けと言った具合に黒いフードを被った首を傾げる。
「ああ。手っ取り早く殺してくれ」
誰かに殺されるというのは、刑罰やその人にとって苦しいことになりかねないので論外なのだけど、目の前のこれは死神だ。
人の死を司る者が、わざわざこうして命を奪いに来てくれたというのなら、『自殺志願者』の僕にとっては至上の僥倖としか言いようがない。
神に感謝を捧げたいところだ。死神にはお門違いも甚だしいことかもしれないが。
「まぁ待ちな。死神にもルールがあるんだ。人の命を奪うルールがね」
鎌を取り下げて死神はローブの下から箱といっても差支えない大きさの本を取り出した。
「え~っと、生者の命を奪う場合の三ヶ条……」
ペラペラと本のページをめくりながら死神は呟く。
「あ、あった。
死神が人の命を奪うためには、その人間の心底の願いを叶える必要がある!
と言う訳でさっさと願いを言え!」
胸を張って僕を指差す死神。
願いの代償に命を奪う、というのは悪魔の手法じゃないのかな?
この場合は命の代償に願いを叶えるというものだけど。
といっても僕に願いなどない。願いは死ぬことなのだから。
「死ぬことが願いっていうのは駄目なの?」
ためしに質問してみると死神は困ったようにフードのなかへ手を伸ばした。頬を掻いているのだろうか。
「え~っと。願いの内容についての記述は~」
言いつつ死神は本のページを捲る。
お目当てのページを見つけたのか、指を止めてその内容を熟読し始めた。
ところで、僕は一応まだ学生のためそろそろ家を出なければならない。
死神が熟読している間にも、時計の針の速度は変わらない。
まあこれから死ぬのなら、そんなことを気にする必要はないが。
「駄目みたいだ。命を奪うのは願いを叶えてからだからな。死ぬことを願われたら、命を奪えない」
本をローブの中に戻し、肩を竦めて鎌を肩にかけ直した。
「まあまた来るから、それまで願いを考えておくんだな」
慰めるような言葉を残して、死神は宙に溶けるように消えた。
残された僕は『願い』について考えていた。
そうしている内に、気づけば朝食を食べる時間は無くなり、僕は走って学校へ向かわねばならなくなった。
はぁ~。死にたい……。
「で? 願いは決まったのか?」
再度現れた死神は僕に向かってそう尋ねた。
どうでもいいけど、やっぱり死神は他の人には見えないみたいだ。
授業中、それも僕の机の上に死神は仁王立ちしていた。
ローブで机の上の筆記用具やノートが見えないんだけど……。
「おい! 返事しろよ~。こっち向けよ~」
ツンツンと指で頭を突いてくる死神。こいつ、わざとやってるのか?
死神は今朝とは違いフードを外していた。しかし、その代わりのつもりなのか人間の頭蓋骨をイメージしたような仮面で、口以外のほとんどを隠していた。
「反応悪いなー。
それよりどう? 似合う?」
と仮面を指差しながら尋ねてきた。
もちろん無視した。
それはそれとして……。
ローブから外へ出された黒く艶のある長い髪に目をやる。
この死神は女性なのかと意外に思った。
女性と言うよりは女の子の方が死神の容姿から言って適当かもしれない。
どうでもいいことだ。僕を死へと導いてくれるなら、死神が男だろうが女だろうが。
死をくれるのなら悪魔であったって構わない。
「無視するなんて酷いぞ!」
酷いも何も……、僕という人間の名誉のために無視して正解だから。
それに笑いながら言われても……。やっぱりこの娘わざとやってたのか?
昼休みに入って僕は人目に着かない体育倉庫前へ移動した。
死神はなんだかんだ言いながらも、声を掛けなずともついて来てくれた。
「それで、願いは決まったのか?」
僕は軽く溜息を吐いた。
「まだ思いつかないんだよ。
それより教えてくれない? どうして死神が人の願いを叶える必要があるのか?」
それは単純な興味であり、何かのきっかけになるかもしれないと思った上での質問だ。
死神は少し悩むように唇に手を添えた。
「うん。まあいいわ。
答えは単純。心残りを持ったままだと命を奪い取っても魂が現世に残ろうとするから。
死神はそれを無視して命を奪うことを許されない」
どこか誇らしそうに死神は言った。
「だったら、僕の願いを叶える必要はないよね? 僕は死ぬことが願いで、死んだって心残りはないんだから」
僕が思わず反論すると、死神は半眼で睨み付けてきた。
「あんたがそう思っていても、実際は違うもんなんだぜ?」
妙な迫力が、僕にそれ以上の反論を許さなかった。
それでも僕は、心残りはないと信じている。
ああ、そういえばあれは心残りになるのだろうか?
それを告げる前に、昼休みの予鈴のチャイムが鳴り響いた。
有終の美というものを飾りたい僕は、真面目に授業に出るためにそそくさと教室へ戻った。
その日、死神の存在以外はいつも通りに過ごした。
僕が死のうとしていることを、誰も知る由もない。
いつも通りの日常だった。




