枯れ木に花を咲かせましょう
枯れている。
文字や数字で溢れかえっているパソコンの画面の前で、私は確信した。
ワタクシ、初音 唯、28歳独身は、残念なことに枯れています。
ふと、気付いてしまった。
平日は仕事に追われ、残業は当り前。
家に帰っても疲れているから、最低限のことをこなした後は即就寝。
休日は昼間まで寝て、1週間分溜まった洗濯をしたり、掃除をしたりで大半は潰れる。
残った時間は趣味に費やしている。…独りで黙々と。
何故、今になって気付いたのだろう。
否、前から気付いてはいたのだ。
ただ認めたくなかっただけ。
…自分が枯れているという事実から目を逸らしていただけ。
最後に恋をしたのはいつだったかと思いだそうとした。
けれど、いくら考えても思い出すのは薄らとした記憶。
どれほどそういった類のことから遠ざかっていたのかを思い知る。
私は根が真面目で、また不器用な性格でもあったから、仕事と恋愛を両立することが出来なかった。
そのため、気付いたら前の恋は遠い日の思い出になってしまっている。
今世間では婚活とか言われているが―言わなくても明白だろうが―私はそれとはまるで無縁の生活を送っていた。
後輩の女の子たちは、合コンをしたりして、活発に活動している。
そうやって出会って、寿退職をした後輩は何人かいた。
だからといって、私もその場に参加する気にはなれずに、誘われても仕事を理由に断っていた。
今夜も合コンのために、定時に上がってトイレで念入りに化粧をしている後輩たちの姿を見かけた。
その姿を、今やっと終わった仕事を目の前にして、思い出してしまった。
後輩の子たちはみんな、楽しそうに、高揚する気持ちを隠しきれずに、今日これからのことを話していた。
きっと今頃も笑顔で溢れかえっているのだろう。
一方の私は、パソコンを相手に、勿論だが笑顔など一切見せずに、ひたすら打ち込む作業を繰り返す。
「初音?」
「…は、はいっ」
急に声をかけられ、驚きながらも返事をする。
声が聞こえた背後を振り返ると、そこには海東 雅幸課長がいた。
海東課長は、年若いながらも早々に出世を果たし、将来を見込まれる人物である。
背が高く、以前はスポーツをやっていたらしく、体格も程よい。
これだけ聞くと、モテるように思うだろうが、実際のところはそれほどでもない、と聞く。
仕事に関しては大変厳しく、また掛けている銀縁の
眼鏡が冷たい印象を与えるせいか、女の子はあまり寄りつかない。
…実際のところ、それはイメージだけであると私は思っているのだが。
「ぼーっとしていたが、大丈夫か?」
「…はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「いや、それならいい」
確かに、仕事に関しては酷く厳しい。けれど、きちんとこなせば問題はないし、今みたいに気を使ってくれたりする。
席に戻っていく海東課長の背中から目線を外し、辺りを見回すと、部屋には私と海東課長しか残っていなかった。
仕事も今日の分は既に終わっている。
パソコンの電源を切り、帰り仕度をし始めた。
「…初音」
「はい」
顔をあげて、海東課長の方を見ると、海東課長はパソコンの画面を見つめていた。
「…君がどう思っているかはわからないが、俺は君がこの課にいてくれて助かっているぞ」
「え…」
海東課長は変わらず、パソコンを見たまま続ける。
「いつも丁寧に、真面目に働いている君を見ていると、俺も頑張らなければならないと思う。ここまで来ることが出来たのも、君のおかげであると言っても過言ではない。…これからも、頼むぞ」
海東課長のパソコンの電源も落とされたらしく、海東課長の言葉だけが聞こえた。
その言葉は、私の乾ききった心に、確かに潤いを与えた。
久しぶりに感じた、それはゆっくりと私の心に広がった。
さっきまではパソコンに眼鏡が反射して見えなかった、海東課長の目は一瞬私を見て、すぐ逸らされてしまった。
自然と、口角が上がった。
「ありがとうございます、課長」
「……ん」
普段は見ることが出来ない、少し困ったような表情の海東課長。
それを見て、ますます潤ってきた気がする。
…ちょっと、勇気を出してみようか。
「そこで提案なのですが」
「…何だ」
「労わりの気持ちを込めて、部下に奢るというのはどうでしょうか」
そう言うと、海東課長は少し目を瞠ったが、俯きがちに微笑んだのがわかった。
「しょうがない。奢ってやる」
「ありがとうございます!」
水源は意外と近くにあったらしい。
もしかしたら、そのうちさっきまで乾ききっていた大地から、芽が出ているかもしれない。
「行くぞ」
「はい!」