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ここは音無が営む音屋でございます。

作者: 文月
掲載日:2026/07/18



ポーン…


エレベーターが目的階に着く


ポーン


何かに背を押され、体が投げ出される


ポーン


続いてカラーボールが投げ出される


「あら、ポーンのお客様。いらっしゃいませ。」


エレベーターから投げ出された先には、化粧が濃く香水臭い、いかにもな婦人。


「ここで、音を売ってくれるって聞いて…」


婦人はにっこりと深くシワを刻んだ。


「ええ、ええ。ここは音屋。この音無が営む音屋でございます。


え?音が無いのに音屋ですって?


ええ。ええ。全ての音が売り切れて音無となる。これをモットーにしておりますの。」


店のカウンターから身を乗り出すように音無は饒舌に語った。


客の彼女は呆気に取られながらも、聞いた話どおり音が売られていることが分かり、緊張で強張っていた体が少し解れた。


「最近眠りが浅くて…ぐっすり眠れる音が欲しいです。」


「あらあらお客様、それは大変でございますわね。それではスピーやグゥグゥの音はいかがでしょう。」


「…どちらの方が深く眠れますか?」


音無は、ゆっくりと顔を傾げて考える素振りを見せた。


「ええ、ええ。お客様はポーンのお客様ですから…グゥグゥがよろしいかもしれませんわね。

何せポーンって響きが軽いでしょう?スピーとなんだか軽さが似ているではありませんかね。

ポーンと眠りに入ってスピーっと眠るみたいな…


スピーではお客様のお悩みは解決しないかもしれませんわねえ。


ああ、でもグゥグゥってなんだかいびきみたいですわ。年頃のお嬢さんには、あまり素敵な響きじゃないかもしれませんねえ。


まあ、どうしましょう。」


音無は濃い化粧で形作られた眉毛をハの字にし悩んでいる。


「…いびきをかいたって聞く人はいません。その二つしかないならグゥグゥをください。」


その言葉に音無はパンッと手を叩き、にんまり頷いた。


「ええ。ええ。グゥグゥでございますね。かしこまりました。


では、そちらのカラーボールをポーンとあちらのカゴにお投げくださいね。」


音無の派手なネイルが施された指先が指し示す方向にはゴミ箱のような腰くらいの高さのカゴが置かれている。


淡い黄色のカラーボールはその色からも軽く飛んでいけそうだ。


彼女の手から投げ出されたボールは美しい放物線を描き、かごに収まった。


「まあ、まあ。まるで月が落ちたようでしたわ。

お疲れ様でございました。


それでは、お買い上げありがとうございます。

また一つ、音無に近づいてまいりましたわ。」



「さあ。おかえりはあちらですわ。」


先程降りたエレベーター。

すでにドアは開いていた。

彼女がエレベーターに乗り込むと、音無はしっかりと顔にシワを刻み、深くお辞儀をした。


「またのご来店をお待ちしております。」



…グゥグゥ


エレベーターの扉が開いた


__________

________

______



グゥグゥ…


エレベーターが目的階に着く


グゥグゥ


耐え難い眠気が襲う


グゥグゥ


エレベーターの前には羊のぬいぐるみが横たわっている


「あらこんにちは。グゥグゥのお客様。いらっしゃいませ。」


「先日、ポーンの代わりにグゥグゥをいただいたんですけど、昼も夜もずっと眠くて…

どうにかしたくて来たんです。」


「あら、あら。ぐっすりと眠れているようで、よろしゅうございました。やはりあの時お客様に必要だったのはグゥグゥでございましたのね。


さてさて、今度はお目覚めになりたいと。この手のご相談はよくいただきますの。


…今の在庫ですと……。そうですわね、コケコッコーなんていかがでしょう。清々しい朝を連想させる素敵な音ではありませんか?」


「じゃあそれで。スッキリ起きれるようになれば良いです…」


音無はにんまり微笑む。


「ええ、ええ。かしこまりました。それではコケコッコーにいたしましょう。


そちらの羊のぬいぐるみをあちらにある柵に飛び越えさせてくださいな。」


音無が指す方向を辿ると、前回はカゴが置かれていた場所に、牧場にあるような柵が置かれている。


眠れない夜に羊を数えるように、ぬいぐるみを柵の向こうに飛び越えさせた。


「澄み渡る青空のもと、芝生の茂る丘で羊が遊ぶ情景が思い浮かびましたわ。


お買い上げありがとうございました。

また一つ音無に近づいてまいりました。


またのご来店をお待ちしております。」


…コケコッコー


エレベーターの扉が開いた


__________

________

______



…コケコッコー


エレベーターが目的階に着く


コケコッコー


叫び出したくてたまらない


コケコッコー


今では見たくもない、彼女の大好物だった鶏の唐揚げが湯気を立て、油の匂いが鼻腔を刺す。


「あら、あら。コケコッコーのお客様。いらっしゃいませ。


随分とお元気になられて。」


その言葉に彼女の全身の毛が逆立つ。


「お元気になられて?どこがですか。あれからずっと眠れないし、ずっと頭の中に鶏の声が響いてうるさいし、そのせいで鶏肉が食べられなくなったんですよ!?


友達にもうるさいって言われて…。うるさいのは私じゃなくて鶏なのに…!」


涙は溢れずとも、まるで泣いているかと思わせる叫び。

音無はそれを正面から受け止め、うっとりと手のひらを頬に当て微笑んだ。


「ええ。ええ。きちんと音が作用しているようでよろしゅうございました。


では本日はいかがいたしましょう。」


「聞かなくてもわかるでしょう!?」


今にも掴みかかりそうな客に、音無は表情を変えずゆっくりと客の全身を見回した。


初めての来店時は、どこにでもいる学生の容貌で、印象に残るところなどまるでなかった。


目の前にいる客の姿は、目の下にどす黒い隈を作り、髪や肌は荒れている。かろうじて服装だけが、彼女を若者と識別させている。


「お客様は静寂をお望みで…?」


音無は今までになく胡散臭くにんまりと笑ってみせた。



__________

________

______



チーン…


エレベーターが目的階に着く


チーン


今度は体は投げ出されない。

すぅっと感じる風が鈴を鳴らすようだ。


チーン…


…なにも起こらない。


「あら、あら。チーンのお客様。いらっしゃいませ。本日は如何様にいたしましょうか?」


音無はカウンター越しにいつも通りの笑顔で迎えた。

対する彼女の表情は暗く、瞳は焦点が合わない。


「音を返して欲しいんです。」


震える声で彼女は語る。


「…ポーンなんて無くなったって良いと思ったんです。


それよりもぐっすり眠りたかったから。頭の中の耳鳴りが消えて欲しかったから。


でも、ポーンが無くなったら今まで友達と言い合っていた軽口だってなくなったんです。

それからもどんどんどんどん関係が悪くなって…


こんなことになるなんて思わなかったんです。


ポーンを返して欲しいんです…」


彼女の声にはまるで覇気がない。

初めて、音無の表情が消える。


「ここはお客様にとって音を捨てて、音を得る店。


それはいかなる時も変わらない掟にございます。


お嬢さんのポーンは捨てられ、盤から失ったのです。


在庫のポーンはございますが、その代わりにお支払いいただくチーンの音でお嬢さんは何を連想されますか?」


音無の声は冷たく、いつもの優美さはない。

やや顎が上がり、視線は上から刺すようであった。


彼女の思考に最悪の未来が浮かぶ。


「…仏壇の音……。」


「では、お嬢さんは死をお捨てになさると?」


出来やしないでしょう、と音無は続けた。

ついに彼女から視線を逸らし、煙草に火をつけた。


「…。」


「さあさ、お引き取りくださいな。

あたくしは、全ての商品を売ることをモットーにしておりますが、必要なお客様にお渡しすることを信条としておりますの。」


「…ちなみに。


チーンは捨てずにポーンをいただく方法は…?」


「ございませんわ。」


なおも食い下がる彼女に音無はキッパリと否定する。


「このまま帰ったら、私の音は変わらないじゃないですか!」


か細く弱々しかった彼女が悲鳴を上げた。


「たとえば。


チーンなんて音は、学生さんなんかはテストの点が悪かった時によく表現されますわね。


あたくしは、撃沈から連想される音と思いますの。


今のお嬢さんがまさにそう。


でもね。これはご自身の浅慮の結果でございます。


あたくし、押し売りはしておりませんもの。」


…チーン


彼女の背後からエレベーターの開く音。


「エレベーターが参りましたよ。


それでは。お嬢さんが本当にお望みになられましたらまたお越しくださいませ。」


音無は最後はしっかりと顔にシワを刻み、深くお辞儀をした。


_________

______




客のいなくなった店では、音無が紫煙を燻らす。


「忠告をしてあげて優しい?

うふふ。そうみえたなら、それはそれでよろしゅうございます。



…え?なぜそんなことをって?

単純なことでございます。


音はその人そのもの。同じ音で売り買いしたところで、何にも面白くないではございませんか。



ねえ、そうでしょう?お客様。」



最後まで読んでくださりありがとうございます!

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