#075
酒場の影に身を潜めて、どれほど時間が過ぎただろうか。
通りには遅い時間特有の湿り気を帯びた風が流れ、レイジの頬を刺す。
その中で、ようやく状況が動いた。
男のひとり──レイジのターゲットであるアルバ・ライザーグが席を立ち、ふらつく足取りで店の外へ出てきたのだ。
酔いで頬を赤くし、上機嫌に鼻歌まで漏らしている。外見は、どこにでもいる農夫にしか見えなかった。
(これが“殺人犯”ね)
「出てきたな。今がチャンスだ。僕一人で行ってみるから、クロエさんはここで待ってて」
「……レイジ君、気を付けて」
レイジは息を飲み、クロエを一瞥して影から飛び出した。
アルバは突然目の前に現れた子供の姿に驚き、「うおっ」と腰を引いた。
「アルバ・ライザーグ。ちょっと来てもらおうか」
静かながらも張りつめた声が夜気を震わせる。
通りの空気が、一瞬だけ凍りついた。
「なんだ、ガキか。こんな夜中まで遊んでると母ちゃん心配するぞ。帰れ帰れ」
アルバは犬でも追うように手を払う。
完全に相手にしていない態度に、レイジの胸にじわりと苛立ちが募る。
「手荒い真似はしたくないんだよね。こっちも訳あって動いてるんだ。大人しく来てもらえると助かるんだけど」
「はいはい、遊びたいならよそでやれ」
まともに取り合う気は皆無らしい。
レイジは深く息を吸い、次の言葉を放った。
「窃盗・殺人、なんだってね」
その瞬間、アルバの目つきが豹変した。酒の色が一気に抜け落ちる。
「ああ? なんだ、ガキが大人を脅そうってのか?」
「脅しじゃないよ。ただのお願い。大人しくついてきてほしいだけ」
互いの間に緊張の糸が張りつめる。
だが、そのとき酒場の扉が軋み、もう一人の男が顔を出した。
「どうした?」
(最悪だ……二対一、か。相手が一般人なら、まだやれるか?)
「このガキがよ、どうやら俺に用があるらしい」
「ガキ? 適当に追い払っとけよ」
「それがそうもいかねぇ。こいつ、俺たちのことをやけに知ってるみたいでな」
「めんどくせえな」
二人は無言のまま視線を合わせ、じりじりと動いてレイジを挟み込んだ。
逃げ道を完全に塞ぐ位置取り。
その気配には、明確な悪意があった。
そして——同時に飛びかかった。
レイジは反射的に脚へ魔力を込める。
魔力が筋に弾け、身体が軽くなる。魔瞬脚で一気に後方へ跳ね退いた。
視界の先、二人の男が一直線に重なる。
「……魔圧撃——!」
手刀を切り下ろす。
刹那、空気が震え、衝撃波が夜気を裂いて走った。
わずか一秒にも満たない瞬間で、放たれた魔力の刃が二人の胸元に叩き込まれる。
鈍い衝撃音が、夜のエルジア通りに響いた。
男たちを魔圧撃で無力化し、レイジは落ちていた縄を拾い上げると、慣れた手つきで二人を縛り上げた。
荒い息を整えながら周囲を見回すと、物陰からクロエが静かに姿を現した。彼女はレイジの働きを見届けたのか、手にした紙に視線を落とし、縛られた男の顔と見比べた。
「間違いない。こっちが私のターゲット」
「そうなんだ。よかったね。この人たち、どうすればいいのかな」
クロエは少しだけ首を傾け、当然のように口にする。
「……殺す?」
「そんな物騒なことしないよ。捕縛で二点だったよね?」
「そう。もう片方はレイジくんにあげる。これで捕縛の二点と、横取りで二点が入る」
「いいの?」
レイジの問いにクロエは短く頷くと、踵を返した。迷いのない背中には、彼女なりの覚悟と――どこか痛ましい影があった。
「ターゲットは聖堂につれていけばいい……私は、これで」
「いろいろありがとう、クロエさん」
「……クロエって呼んで」
「え? う、うん。ありがとう、クロエ」
その名を口にすると、クロエはわずかに肩を震わせた。やはり彼女は、レイジの奥に別の少年――アレスの面影を見ている。
レイジは胸の奥が重く沈むのを感じながら、彼女の言葉を受け取る。
「レイジ君、すごく強い。きっと革命ランカーになれるよ」
「え? あ、ああ。頑張ります」
(今日だけ参加するつもりなんだけどな……)
クロエはそれ以上何も言わず、軽い身のこなしで闇の中に溶けていった。
残されたレイジは縛られた二人に向き直り、肩を竦める。
「さ、おじさんたちは僕と来てもらおうか」
「……何者なんだ。お前達は」
「さあ? 僕も部外者だからわかんない」
「はあ?」
困惑する男を横目に、レイジは手元の紙に視線を落とす。
『アルバ・ライザーグ』と記された文字が淡く光り、やがてじわじわと掠れて消えていった。
代わりに新たな名前がいくつか浮かび上がる。どれも罪状とおおよその居場所が書かれていた。
(自分のターゲットを捕縛したから、横取り用のターゲットが出たのか。……まあ、僕はもう動かないけど)
レイジは紙を折り畳むと、縛られた二人を引き連れ、静かに夜路へと歩き出した。
二人の捕縛者を引き連れ、レイジが聖堂へ戻ると、入口付近には相変わらず多くの革命遊戯参加者たちがたむろしていた。夜明け待ちの空気は、どこか祭りの後のような沈静を伴っている。
レイジの姿を見つけると、周囲からざわめきが起こった。
「初参加の子、やるな」
「捕縛に成功したのかよ」
称賛の声が自然と飛び交い、レイジはまんざらでもない気持ちで壊れかけた扉をくぐった。
中に入ると、男たちを柱に括りつけ、夜明けを待つ。下手に外へ出歩けば騎士団の巡回と遭遇する可能性が高い。違法入国者として、目立つ行動は極力避けるべきだ――そう脳内で再三警告が鳴っていた。
数時間が過ぎ、ステンドグラス越しに淡い暁光が差し込んだ。
(夜明けか。“革命遊戯”とやらもおしまいだな)
そう思った矢先、手にした紙にじりりと熱が走った。視線を落とすと、紙が日光に反応したかのように発火している。
「あっつ!」
驚いて手を放したと同時に、外へ散っていた参加者たちが続々と聖堂へ戻ってくる。その中にノインの姿もあった。服の乱れや擦り傷こそあるが、深手は負っていない様子。ただ、誰も連れていない。
「ノイン!」
レイジが呼びかけると、ノインはぱっと笑みを浮かべ、駆け寄ってきた。
「レイジ、怪我はなかったみたいだな。今日は参加してくれてありがとうな」
「僕、最低限しかしてないよ」
レイジは捕縛した男たちを親指で示して見せた。
「おお! 本当に捕縛したのか」
「この人たち、どうすればいいの?」
「翼廊の先に小部屋があるから、そこに入れておくんだ。明日、先生が回収してくれる」
「わかったよ」
指示通り二人を部屋に押し込むと、レイジはようやく身体から力が抜けるのを感じた。
長く、密度の濃い一日が終わった――そんな実感がじんわりと湧いてくる。しかし、まだ本命を忘れるわけにはいかない。
人込みを見渡し、アルルの姿を見つけると、レイジはすぐに駆け寄った。
「アルルさん。言われた通り参加しました。これで、僕の探してる人の情報……聞けますよね?」
アルルは柔らかく微笑むと、少し疲れの残る顔で頷いた。
「レイジ、参加してくれてありがとう。今日は人数も多かったし、お陰で助かったよ」
「いやあ、僕なんて二人捕まえただけです」
「そう……ルール通りにしたんだね」
「え? あ、はい」
――今の言い方、ちょっと引っかかる。
だが、今優先すべきは情報だ。と違和感を胸の奥に押し込み、レイジは本題を急いだ。
「たしか、探し人がいるんだったね」
アルルは懐から小さな水晶を取り出し、掌に乗せてレイジへ向ける。
水晶に虚像が映り、中心には黒い渦のような模様が揺らめいた。
「お願いします。えっと、褐色の肌、白い毛髪、赤い瞳。整ったスーツで、年齢はアルルさんやノインと同じくらいの青年です」
「ちょっと待ってね……」
アルルは水晶越しにレイジを覗き込む。空気が張り詰める。
やがて、彼女の眉が僅かに動いた。
「探し人は……受け取りにくる」
「受け取り?」
「そう出てるね」
「何を受け取るんでしょう」
「そこまでは分からないけど……成り行きに任せるのが一番じゃないかな。変に動くと未来が変わる。探し人に会いたいなら、何かを“受け取る瞬間”に立ち会う必要があると思う」
アルルは言い切ると、まるで役目を終えたかのように踵を返し闇に消えていった。




