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#073

「ぶえっくしょんっ!」


 薄暗い聖堂にレイジのくしゃみが甲高く響いた。静寂に包まれていた空間の中ではやけに目立ち、数人が驚いたように振り返る。レイジは恥ずかしさに肩をすくめた。


「なんだ、風邪でも引いたのか?」


 隣では、ノインが仰向けのまま退屈そうに寝そべり、片目だけをこちらに向ける。


「昼間、水浴びしてたから……冷えちゃって」

「この寒さで水浴び?」


 外はすでに夜の帳が下り、石造りの聖堂にはじわじわと冷気が染み込んでいた。足元から奪われる体温が、レイジをさらに震えさせる。


 レイジの脳裏に、昼の光景がよみがえる。

 コーダが突然始めた“応用技の教示”。水面を弾いて歩く《魔装歩行術》は、想像以上の難易度だった。足裏に魔力を込める感覚は掴みつつも、肝心のバランスが取れず、何度も池へ落ちては水を浴びる羽目になった。


 対してレイチェルは――同じ時間でさらに上達し、夕方には軽やかに水面を跳ね回っていた。末恐ろしい、と素直に思うほどだ。


「修行に水はつきものなんだよ」


 よくわからない言い訳をしてレイジはごまかす。


 聖堂に入ってから数時間。広くはない礼拝堂には、続々と若者たちが集まっていた。子供と聞いていたが実際には、レイジより少し年上か、同年代に見える者ばかりで、幼い子の姿はない。


「ねえ、“革命遊戯”って結局なんなの?」


 何度目かの問いを、レイジは小声でノインに向ける。


「まぁまぁ。始まってからのお楽しみって言ったろ?」


 このやりとりも、もう繰り返しに飽きるほど続いていた。ノインの反応は詳細を隠すというよりも、そもそも話す気が無いように思えた。


(……デスゲームとかじゃないよな?)


 一瞬くだらない妄想がよぎる。だが、今のレイジに取れる選択肢は少なかった。

 アルルとの約束通り、この“革命”に参加し、昨晩出会った褐色の少年――彼の情報を手に入れる。それが唯一の道だ。


 聖堂の空気はじわりと熱を帯び、何かが始まろうとする気配が確実に満ちていった。



 夜が深まり、外気が一段と冷え込んだ頃、ようやく“それ”は始まった。


 聖堂内はもはや子供たちの熱気で埋め尽くされていた。身廊も側廊も、ぎゅうぎゅうに座り込んだり立ち並んだりしている子供たちでいっぱいで、通路らしい通路など存在しない。年齢もまちまちだが、皆どこか同じ方向を向いている――まるで、何かを待っている群れのように。


 そんな喧騒を切り裂くように、翼廊側からアルルが姿を現した。

 両腕に大事そうに抱えているのは、透き通った水晶の球体。祭具のような神聖さと、子供が宝物を抱くような親密さが奇妙に同居していた。


 その姿が視界に入った瞬間、場の空気がふっと明るくなる。

 悪い緊張ではない。むしろ、親しい誰かに会ったときのような安堵や期待が一気に満ちた。


「先生!」「今日も頑張ろう!」


 あちこちから弾む声が上がる。


 ――水晶に向かって「先生」と呼びかける光景。

 レイジは一歩引いたまま、その異様さに気づいていた。だが周囲の子供たちにとって、それはごく自然な儀式の一部にしか見えない。


 アルルは身廊中央に置かれた粗末な椅子へと水晶をそっと置き、まるで人の肩を支えるように両手を添える。


 すると――。


 《——みんな、今夜も集まってくれてありがとう。体調の悪い子はいないかな? 革命遊戯の参加は自由だから、無理はしなくていいからね》


 柔らかく包み込むような声が水晶から響き渡った。

 その穏やかさからすれば「先生」と呼ばれるのも納得ではあったが、レイジの胸には奇妙なざわつきが残る。


「先生、今夜は初めて参加の子がいるよ」


 アルルが微笑んだまま水晶へ向けて囁く。


 《そうか、新しい仲間が参加してくれたんだね。みんなには悪いけど、革命遊戯のルールをちゃんと教えておこうか。新しい仲間の子は前に来てもらえるかな》


「ほらレイジ、前だ前。ほら行けって!」


 ノインが勢いよく起き上がり、レイジの背中を押す。

 足がもつれ、レイジは前へ前へと押し出されていく。


 視線が集まり、ざわめきが遠のいていく。

 聖堂中央に立つと、自分ひとりだけが明るみに放り出されたような心細さを覚えた。


 《君が初めての子だね。名前は?》


「あ……ええと、レイジです」


 《そうか、レイジ。よろしくね。ではまず、革命遊戯について教えよう。みんな、革命三か条を教えてあげて》


 先生の声に応じ、子供たちはまるで合唱のように声を揃える。


「ひとつ、革命は一人で成しえない!」

「ひとつ、革命は一朝一夕にあらず!」

「ひとつ、革命に犠牲は避けられない!」


 その最後の一条が響いた瞬間、レイジの背筋にぞくりと寒気が走った。


 ――犠牲は、避けられない?


 聖堂内の温度は変わらないはずなのに、レイジはふいに息が白くなる錯覚を覚えた。

 明るさを保っていたはずの空気が、底に薄い影を落としたように冷たく感じる。


 《アルル、では今夜のターゲットを配りながら説明を進めよう》


「はい、先生」


 合図とともにアルルが動き出した。

 抱えている紙束をひとりに手渡し、受け取った子が一枚抜き、隣へ送っていく。

 まるで小学校のホームルーム――レイジの脳裏に、ごく普通の日常の光景がよぎる。

 けれど、この状況はどこか歪んでいた。


 渡されてきた紙をレイジも一枚抜き取り、次の子へ回す。

 ふと自身の紙に視線を落とし、眉をひそめた。


「……白紙?」


 《そう、今はまだ白紙だ。だが、0時になればそこにターゲットが現れる》


 さらりと告げられた言葉に、胸の奥がざわつく。


「ターゲットというのは……どういう意味でしょう?」


 《君たちは、それぞれ理由があってここに集まっているはずだ。生活に困っている、家に居場所がない、腕を磨きたい――理由は様々でも、生活に必ず必要なものがある。レイジ、キミはそれが何かわかるかな?》


 指名され、レイジは少し考えてから短く答えた。


「経験上……お金ですかね。どこに行っても付きまといますし」


 《——君はよく理解している。もしかして、もう自立ができているのかな? その通り。お金だ。では、お金を得るためには何が必要だろう?》


(回りくどいな……)


「仕事でしょうか」


 《そうだ。だが子供が仕事を見つけるのは難しいよね》


 レイジはイリュドでの暮らしを思い返す。

 確かに、まともな仕事を得て生活の基盤を築くことは簡単ではなかった。

 結局彼は、コーダから危険な仕事を融通してもらいながら、綱渡りのように日々をしのいできたのだ。


 《僕はみんなの生活のため、そして王都のために革命を起こすことにした。それが革命遊戯だ》


 大仰な言葉だが、語り口は穏やかで、どこか教師の説話にも似ていた。


「よくわかりません。要するに……参加すればお金がもらえる、ということですか」


 《そうだ。手元の用紙に書かれたターゲットを、夜明けまでに捕縛すれば二点。さらに、他の参加者のターゲットは順次閲覧可能になる。横取りすれば二点加算だ》


「点数制にしている理由は?」


 《点数は累積可能で、夜明け時点で現金に換金可能としている》


 点数の重みが現実味を帯びてくる。


「仕事ではないけど、参加すれば生活費にはなるか……。その、ターゲットというのは一般市民なんですか? それってただの拉致になりません? 場合によっては騎士団が出てくるんじゃ」


 《着眼点は良い。ターゲットは基本的に犯罪者だ。故にもちろん危険を伴う。だから、参加は強制しないし、すべて自己責任だ。始まってから逃げても構わない。参加するだけでも一点は付与されるからね》


(なるほど……全員が危険を承知でも、一晩やり過ごせばポイントがもらえるし、多少換金はできる。諦めた参加者のターゲットを奪えば、自分の得点にもなるってことか。実際、この“革命遊戯”、始まってからどう動くのかを見るのが重要だな……)


 そして、レイジはようやく気づいた。


(いや、何も僕が本気でやる必要はないじゃないか)


 淡々とした分析の裏で、冷静な結論だけが静かに頭に沈んでいった。

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