#072
成り行きとはいえ、レイジはどうやら妙なイベントに巻き込まれてしまったらしい。
コーダが指摘した通り、先へ進むには彼らの協力が必要だ。後戻りできない状況で、受け入れるしかなかった。
アルルがレイジの肩を「じゃ、期待してるから」と明るく叩くと、ガランは大袈裟に鼻を鳴らし、二人は聖堂を後にした。
その背中が扉の向こうへ消えると、レイジは胸の奥の緊張が少し抜けるのを感じた。
(……また、何かに巻き込まれた)
ため息をついても、愚痴を聞いてくれる相手も、守ってくれる誰かもいない。
結局、自分でやるしかないのだ。
先ほどの騒ぎは聖堂中に響いていたようで、側廊や奥の部屋から子供たちがこちらをじっと見ている。
知らない者への警戒が、その視線に滲んでいた。
その中から一人、茶髪の少女が勢いよく駆け寄ってくる。
「アレス……? アレスよね!?」
「えっ」
知らない名前に、一拍遅れて反応した。次の瞬間、少女はレイジの両肩を掴み、前後に激しく揺さぶった。
「よかった……無事だったのね。もう二度と会えないと思ってたのよ!」
「あ、あの……どこでお会いしましたっけ?」
薄い記憶を必死に掘り返す。しかし、少女の顔には全く心当たりがない。
ただ、ほんのわずかな“引っかかり”のようなものは確かにあった。
「何を言ってるの。どう見てもアレスじゃない。クロエよ。忘れちゃったの……?」
クロエと名乗る少女の目に、みるみる涙が溜まっていく。
レイジは痛ましさを覚えつつ、ここではっきりさせるべきだと判断した。
「クロエさん。僕はアレスじゃないんだ。僕はレイジ。ノインたちに力を借りたくてここに来たんだ。……ごめん、勘違いさせたみたいで」
「……アレスじゃ、ないのね。こちらこそ、ごめんなさい。顔はそっくりだけど……髪の色は違うものね」
「なんか、すみません」
謝ったところでどうにもならないが、そう言うしかなかった。
だが、胸には拭えないモヤが残る。
——まったく心当たりがないわけではない。
むしろ、彼の中の“仮説”がうずきを強めていた。
レイジは一年前、病院で目覚めた。前世の記憶はなく、見知らぬ世界で子供の姿になっていた。
もし、ここにいた少年アレスが行方不明になり、イリュドで火事に遭ったとする。その瞬間に自分の意識が上書きされたのだとしたら……?
確証はない。だが疑念は渦のように胸の中で回り続けていた。
クロエはうつむいたまま側廊へと歩き去る。
一度だけ振り返り、悲しげな目でレイジを見たが、すぐに視線を逸らして消えていった。
「いやー、びっくりしたよ」
ノインがいつも通りの調子で近づいてきた。
「もしかしてレイジの探してる人が現れたのかと思った」
「なんでちょっと残念そうなの」
「だってさ、一緒に“革命”に参加できるのが嬉しいんだよ。もし見つかってたら、もう俺たちには用がなくなるだろ?」
「……僕、そんな冷たい人に見える? 困ってる子がいたら、たぶん助けてたよ」
ノインはぱっと顔を明るくした。
「お前ほんといいやつだな! 今夜が楽しみだ。昼間はその辺で寝てろよ、夜は長いからな!」
そう言って軽快にステップを踏みながら、聖堂の奥へと消えていく。
「僕、ちょっと家族の場所へ戻るよ! 夕方にはまた来るから!」
レイジが背中に向かって声をかけると、ノインは軽く片手を上げて「おう!」とだけ返した。
一人になった聖堂で、レイジはぽつりとつぶやく。
「……革命遊戯、ねえ」
* * *
レイジは足早にエイルフォード別邸へ戻ってきた。昼から続く騒動のせいか、顔には疲れの影が落ちている。
重厚な扉を押し開けた瞬間、待ち構えていたかのようにレイチェルが勢いよく飛びついてきた。
「レイジ、おかえりなさい!」
弾む声に、張り詰めていた心が少しだけ緩む。
だが少女の笑顔を目にした途端、彼の脳裏にはクロエの悲しげな表情が過った。アレスは彼女にとって、どれほど大切な存在だったのか。考えても答えは出ない――そう思い直しても、胸の奥に残った重さは消えない。
「なんだか元気ないね?」
「大丈夫だよ」
気遣う声音に苦笑で返したところで、正面の階段からゆっくりと足音が降りてきた。
姿を現したのはコーダだった。寝起きなのか徹夜明けのままなのか、いつも以上に険のある雰囲気をまとっている。
「少年、経過報告を」
「まだ、手がかりは何もないです」
「では、なぜ戻った?」
「ダメなんですか!?」
「無駄な動きは避けろ。時間が勿体ない」
短く切り捨てる言い方は相変わらずだ。レイジは肩をすくめつつ、今日得た情報を話し始めた。
「今夜、何かが起きるみたいなんです。その協力を頼まれて……情報を引き換えに、って感じで」
レイジの思考を読み取るように、コーダが淡々と続ける。
「だから修行でもしよう、と。そういう流れか?」
「そういうことです。けっこう優秀でしょ、僕」
「この甘やかされた環境で優秀と言えるのか?」
「まあ、ご飯出るしベッドあるし快適ですけどね……毎朝吊るされなきゃ完璧なんですけど」
「何か言ったか?」
「いえ、なにも!」
コーダは一段降りるごとに、指揮官らしい鋭い眼差しを深めていく。
「今朝、キミの魔瞬脚を見たが――あれは酷い。横軸ばかり意識しているからだ。もっと縦軸を踏まえて斜めに軌道を描くイメージで――」
「わかりましたって! 今ちょっと頭の中がいっぱいなんです」
彼女の言葉を遮る形になり、コーダの眉がわずかに動いた。彼女が不機嫌になるのは珍しい。
「キミの場合、追い詰められる方が成長しそうだな」
その声音に、レイジの背筋を冷たいものが駆け抜けた。今朝ベルンハルトに追われた時の殺気が脳裏に蘇る。
「もう追いかけられるのは勘弁です……。ベルンハルトさんの芝居、迫力すごかったですよ」
「あれは芝居ではなく本気だ。私が止めなければ切り裂かれていただろう」
「それを嬉しそうに言わないでくださいよ……」
「君を追い詰めるいい方法がある。ついてくるといい」
コーダに促され、レイジはレイチェルとともに中庭へ向かった。昨日の騒動で何度も走り回った場所で、すでに見慣れたはずの光景だが、これから何をさせられるのかと思うと落ち着かない。
「ベルから進捗は聞いている。キミが近距離移動すらできず、池に落ちてはのんびり魚を数えていたことも――そしてその子は、いとも簡単にやってのけたことも」
淡々と告げられる言葉には、わずかな棘が混じっていた。
レイジは反論を飲み込み、黙って聞き手に回る。機嫌を損ねて屋上から吊るされるのは、もう御免だ。
「普通は逆なんだ。近距離は容易でも、長距離では狙った位置に届かない。それは瞬発力に込める魔力量が不足しているからだ。だがキミの場合、応用技術を先に身につければ、基礎を意識せず吸収できるのでは、と考えた」
理屈は分かるような分からないような――そんな感覚だった。
レイジは魔力の知識が乏しく、教えを疑う術もない。結局彼女の言うことを信じるしかなかった。
「それで……応用から教えるっていうのは?」
「魔瞬脚は踏み込みの瞬間、脚部に魔力の反発を載せて移動する技だ。つまり――バッタだな」
「虫に例えますか……」
「実際そうなのだから仕方あるまい。それでキミ、アメンボは知っているか?」
また虫か、とレイジは心の中でツッコミながら、薄い知識を絞り出す。
「知ってますけど……水面をスイスイ走るアレですよね。ということは……そういうこと?」
「まあ、見ているといい」
コーダは池へ向かって歩き出した。縁を越えた瞬間――彼女の足は沈まなかった。
水面が弾け、まるで透明な板を数枚重ねた上を歩いているように、彼女はそのまま池の中央へ進んでいく。
最後には池の向こう岸へ渡り切ってみせた。
「水面を……歩いてる」
ぽかんと口を開けたまま、レイジは現実感を失っていた。
「足裏から魔力を波紋として放ち、水面を弾く。それによる歩行が、魔装歩行術だ」
「魔力って……なんでもありなんですか」
「驚くのはまだ早い。――見せてやれ」
コーダが視線で合図を送ると、レイチェルが嬉しそうに池へ近づいた。
嫌な予感が、レイジの背筋をじわりと登っていく。
そして少女は――水面に立った。
さすがに少しふらついたが、それでも沈まず歩いている。
「……えっと。これ、僕が覚える必要あります?」




