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#069

 コーダの順を追った説明により、レイジは少しずつ状況を理解し始めていた。しかし理解すればするほど、自分の立場の悪さばかりが浮き彫りになっていく。彼はおずおずとコーダを見上げ、意を決して口を開いた。


「もしかして僕、詰みました?」

「なんだ。今気づいたのか」


 腕組みをしたコーダの視線は冷たく、返す言葉もない。しかしレイジは、これを自分一人の責任として背負うのもどこか違う気がしていた。


「ともかく――リカバリーの方法はひとつだ。その怪しい青年を探し出し、素性を特定するしかない。だが時間はないぞ。明日の夜には私が単独任務に入らねばならない」

 

「ええ!? めちゃくちゃ過密スケジュールじゃないですか」

「誰のせいだ」

「きっと……ベルンハルトさんです」

「ふざけるな。まったく、この際責任を問うても意味はない。……そいつはどこへ行った?」

「わからないですよ。すぐに去っていきましたし」


 コーダは腕組みを解き、周囲を見回した。人工河川の両岸には昨夜の交戦の痕跡がまだ残り、空気もひんやりとしている。


「大通りからここまで誘導できたのであれば、この近辺にはそれなりに土地勘があるのだろう。少し情報収集してみるか」

「僕、この辺の土地勘ないので助かります。コーダさんがいてくれて」


「それは私も同じことだ」

「えっ?」


「今はこのあたりが管轄というだけで、育ちは首都だ。あの別邸も、新築で余っていたから使っているだけだ」

「屋敷が余るってどういう状況なんですか……」


 レイジはツッコミつつも、話を戻した。


「つまり、どっちも土地勘がないと」

「そういうことだ。――であれば、キミの得意な泥臭い聞き込みに頼るしかないな」

「また聞き込みですか……」


 レイジは肩を落とした。イリュドでの聞き込みは苦手だった。声をかけても無視され、精神をじわじわ削られるあの感覚を思い出す。


「イリュドよりはマシだろう。ただし、騎士団や犯罪には関わるな。私が処理できる範囲は限られる」

「この辺りに詳しそうな人なら知ってます」


 レイジが声を上げると、コーダが鋭く振り返った。


「誰だ?」

「というか、昨日知り合った人なんですけど」

「ほう? 他にも関わりを増やしてきたのか。そういうことはもっと早く言え。どこで知り合い、何を話した? 最悪、消すか?」


 コーダの袖口から、細く鋭いワイヤーがかすかに覗いた。レイジは慌てて両手を振る。


「物騒だなあ! 何も喋ってませんよ。お礼に名前を教えただけで」

「……何のお礼だ?」


「昨晩、財布を……ちょっと困ったことが起きて、その時助けてくれたんです」


 自分の醜態を細かく説明する気にはなれず、レイジは途中で曖昧に言葉を濁した。それだけで察したのか、コーダは深く眉を寄せ、続きを促すように視線を向けた。


「財布がどうした。よくわからないが――続けて」

「ちょっと一緒に走ったんですけど、あの動きは地元を熟知していますよ。道に迷う感じがゼロでした。多分、この近くに詳しい地元の人じゃないかなと」


 レイジが説明すると、コーダはわずかに顎へ手を当てた。


「地元の者、か……。念のため、そいつについても調べておきたい。今はどこにいる?」

「わからないです。助けてもらったあと、すぐ別れちゃいましたし」


「なんだ。そっちも見当がつかないのか」

「急に現れて助けてくれたので……僕も急いでましたし」


 そう言うレイジに、彼女は小さくため息をついた。責めているというより、状況の悪さを確認しているようだった。


「仕方ない。ならば――奥の手を使うとしよう」


 コーダの声音が、ほんの少しだけ低くなる。


「奥の手?」


 その言葉に、ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、レイジの背筋に小さな緊張が走った。


 * * *


 香ばしい小麦の香りが風に乗って流れ込み、レイジの鼻腔をくすぐった。条件反射のように腹が鳴り、慌てて押さえ込む。

 イリュドでの食生活は質素ではあるが決して不便ではない――とはいえ、あの硬い黒パンには未だ慣れない。一方、王都でベルンハルトが焼く白パンはもちもちと柔らかく、思い出すだけで唾が沸くほど美味だった。


「なぜ吾輩がここにいると思う」


 隣でベルンハルトが、どこか誇らしげに胸を張った。朝食の支度の真っ最中だったにもかかわらず、コーダに半ば強制的に呼び出され、今はパン屋の前で待機させられている。

 数分前、ベルンハルトが駆けつけたのを確認すると、コーダは何の説明もなく店内へ入っていった。レイジが「パン買ってくれるんですか?」と尋ねた時も、彼女は曖昧な返事を返すだけで、胸に不穏な予感が灯った。


 やがて、軽快な鈴の音とともにパン屋の扉が開く。焼きたての湯気を立てる白パンが紙袋に詰められ、それを抱えてコーダが姿を見せた。

 どうやら焼き上がりを待っていたらしい。ひとつ取り出して軽くかじると、そのままベルンハルトにもパンを差し出した。


「コーダ様が吾輩へのプレゼントおおおお!?」


 急にテンションが跳ね上がるベルンハルトを、レイジは冷ややかな視線で見つめる。

 そのやりとりを愉快そうに眺めながら、コーダが視線をレイジへ向けた。


「少年、パン食べたいだろう?」

「え、ええ。まだ朝食もいただいてませんし」

「いいだろう。――ベルの持つそのパンを、盗め」

「へ?」


 思わず間抜けな声が漏れたが、コーダは真顔だった。


「ベルは盗まれたパンを本気で取り返せ」


 その一言で、レイジは悟る。やはり一筋縄ではいかない。

 どう見ても“パンを盗む少年と、それを追いかける騎士団”という地獄の構図が完成してしまう。


「ベルがキミを捕まえれば、違法入国で送検だ。もう未来はないと思え」


 淡々とした口調だが、決して冗談には聞こえなかった。コーダがこういう時は、基本すべて本気――レイジは痛いほど知っている。


「逆に少年が逃げ切れば、ベルは解雇だ」


 その瞬間、キィン、と鋭い刃の抜かれる音が響いた。

 視線を向けるより早く、レイジはその圧に気づく。ベルンハルトの異常な忠誠心が、空気を重く変質させていた。


「僕、まだ盗んでませんからね?」

「わかっている。早く盗め。このベルンハルト・カスティリーネ――一切手は抜かん」


 覚悟を決めるしかなかった。

 レイジはしぶしぶ手を伸ばし、ベルンハルトの持つ白パンを攫った。

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