#060
「私は個人任務がある。ベル、あとは任せたぞ」
「お任せください」
ソフィーの実力をおおむね把握したコーダは、余韻もなく淡々と指示を飛ばしていく。
そして「確認しておくことがある」とだけ告げると、ソフィーの腕を無造作に掴んだ。
「え、ちょっ——なんで私も!?」
次の瞬間、二人の姿は空気に吸い込まれるように消えた。
中庭に響いたソフィーの悲鳴が、遠ざかる残響だけを残す。
レイジはぽかんとしながらその方向を見つめ、ひとつ推察を立てる。
(今の……これから習得する魔瞬脚か)
あまりにも当然のように使われたその技に、胸の奥がわずかにざわつく。
「……行っちゃいましたね」
力なく呟きながらベルンハルトを見ると、彼はどこか誇らしげな表情を浮かべていた。
どうやら『任せたぞ』という一言が、相当嬉しかったらしい。
「与えられた責務を、必ず果たして見せます」
胸に手を当て、妙に大仰な宣言を始めるベルンハルト。
レイジは苦笑気味にその言葉を遮った。
「それじゃあ、早速お願いします」
丁寧に頭を下げると、ベルンハルトはフンと鼻を鳴らし、講義を開始した。
「今から教授する技の名は《魔瞬脚》、魔力応用の究極系のうちの一つである」
「究極ねえ……昨日の動きが見えなかったのは確かにすごいですけど、どこか派手さに欠けるというか」
「騎士に派手さは必要ないのだ」
「そもそも、どういう原理なんです?」
質問を投げた次の瞬間——
気配がふっと背後に現れた。
「これの事か?」
「背後取るの怖いんでやめてもらえますか?」
本気で嫌そうに振り返るレイジ。その声音に、ベルンハルトの口元がわずかに緩んだ。
「……な、なんです?」
「いや、少し昔のことを思い出しただけだ」
その一言を残し、ベルンハルトはまた一瞬でレイジの前へ戻る。
「魔瞬脚は、瞬間的な魔力放出で一点から一点へ移動する技だ。主に敵の背後を取るとき、あるいは緊急回避に使う」
「シンプルに、めちゃくちゃ速く動いてるだけですか?」
「その通りだ」
何のひねりもない説明に、レイジは肩の力が抜けた。
「なんだ……」
「貴公は既に魔圧撃を使える。繊細な放出も恐らく可能だ。脚部に魔力を集中させ、一気に放出するイメージだ。一度やってみるといい」
「わかりました」
(脚から魔力を放出ね……簡単じゃないか)
魔力の流れを脚へ、足裏へ。
魔圧撃の要領で、瞬間的に——
——空気が爆ぜた。
視界がひっくり返る。風が顔を殴る。重心が無い。
気がつけばレイジは、中庭の池へ頭から突っ込んでいた。
「はえ……!?」
水面が派手に弾け、レイジは半身を起こしたまま固まった。
何が起きたのか、脳が状況を理解するまでに数秒かかった。
池の縁へとベルンハルトが歩み寄る。水滴がレイジの髪先から滴り落ち、冷たい風が濡れた服を貼り付かせた。
「今のは、魔瞬脚として正しく発動していた。通常、脚部から魔力を放出しろと言われて、すぐにできる者はいない。そもそも、そこまでたどり着くまでが困難なのだ。貴公の場合は魔圧撃で、その感覚を先に掴んでいたのだろう」
「で、でも……池に突っ込みましたよ?」
「それは当然だ。放出できるようになるまでが第一段階。第二段階からは、その“調整”だ。むしろ最大の難所は、発動した後にある」
レイジは池の中で立ち上がる。足裏がジンジンと痺れ、神経が過負荷を訴えていた。
「何か、コツがあれば教えてほしいんですけど」
レイジの問いに、ベルンハルトは眉間に皺を寄せる。その表情だけで返答の方向性が分かった。
「感覚の問題ゆえ、言語化は非常に難しい……。強いて言うなら、“必要な分だけを絞り出して放出する”イメージですな。まず目線で移動先を定め、そこに届く量だけを放つ。そして結果を振り返り、また調整する。魔力総量は個人差が大きく、共通の尺度がないのが厄介だ」
「微調整の繰り返しってことですね」
「そうだ」
ベルンハルトは木剣の先で地面に浅い溝を引く。
三メートルほど離れた地点に、同じ溝をもう一本刻んだ。
「こちらが始点、あちらが終点だ。まずは、この距離を正確に移動できるよう調整してみるといい」
レイジは池から上がり、濡れた服のまま始点へ向かう。
ふと視線を横に向けると、レイチェルが心配そうにその様子を眺めていた。
「ごめんね、レイチェル。今日の僕との稽古はお休みでもいい? ちょっと時間がかかりそうなんだよね」
「なんだか……大変そうだね」
「すぐにコツ掴んで見せるから」
レイチェルは小さく頷いたが、その表情には寂しさが滲んでいた。
それでもレイジには、イリュドへ帰るために一刻も早く習得しなければならない理由がある。
「では、吾輩は昼食の仕込みがあるのでな。手すきの際に見に来る。質問があればその時に聞こう」
「ええ!? 付きっきりじゃないんですか?」
「吾輩のメイン任務は炊事なのだ。……少女を借りるぞ」
突然の指名にレイチェルは目を丸くする。
レイジが「手伝ってあげて」と促すと、少女は名残惜しそうに一度彼を振り返り、屋敷へと戻っていった。
レイジは両手で頬を叩き、気合いを入れ直す。
「よし、やってやる! コーダさんや、帰った後にヘルマンを驚かせてやろう」
脚部へ魔力を集中し、放出。
——瞬間、視界が跳ね、風が裂ける音が耳を刺す。
次の瞬間、レイジの身体はまた池へ一直線に吸い込まれ、
ドボォンッ!
派手な水柱が立った。




