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#058

 レイジはその場で硬直した。

 対面にいたはずのベルンハルトが、次の瞬間には背後に立ち、木剣の刃先を彼の首元へそっと当てていたのだ。

 動体視力には自信がある――それだけに、理解が追いつかない。


(何が起こった……? 一瞬で背後に?)


 混乱を振り払うように、レイジは手にした木剣を振り上げ、背後のベルンハルトの剣を弾く。

 そのまま体勢を落とし、足払いへとつなげた。

 だがベルンハルトは、まるで動きを予見していたかのように、軽く後ろへ跳ねるだけで回避してみせた。

 その間も彼の表情はまったく変わらない。


「剣の稽古で足を使う者がいますか。無粋で、騎士の所作としても美しくありませんな」


 鼻で笑うような声音。

 ベルンハルトは迫る蹴りも拳も、ひらりと身体を傾けるだけで避ける。

 まるでお喋りの片手間でこなしているような余裕があった。


 当たらない――そう理解したレイジは、一度距離を取り直す。


「実戦で必要なのは型にハマることじゃなくて、臨機応変な対応力だって教わったんでね」


 額を汗が伝った。焦りか、激しい動きのせいか、自分でもわからない。

 ベルンハルトはわずかに目を細めて溜息を落とす。


「どうやら貴公は分かっていない。基本の型が出来ていなければ、臨機応変など到底できはしませんよ」


 言い終えるより早く、ベルンハルトの姿が揺らいだ。

 気づけばまた背後――木剣の刃が、レイジの喉元へ吸い付くように添えられる。


「これが戦場なら、貴公は二度死んでいる」


 その声音は淡々としていた。

 殺気すら感じさせぬ静けさでありながら、逃げれば確実に斬られると本能が告げていた。


(動いたら……切られる)


 レイジは言葉を失う。

 静かに両手を上げて降参の意思を示すと、ベルンハルトは刃を離し、木剣を腰へと納めた。


「完敗です。ベルンハルトさん……早いとかそういう次元じゃないです」

「この程度、基礎に過ぎませぬ。我々にとっては」


 そこへ腕を組んだコーダが歩み寄ってきた。


「ベル、ご苦労だった」

「暖かいねぎらいのお言葉、感謝して頂戴いたします」


「そんなに畏まるな。社交界の夜会じゃあるまい」

「いえ。コーダ様の部下である以上、常にその御身をお守りし、いざとなれば命を賭して果てる覚悟が必要なのです」


「わかった、わかった。それで――少年はセンスがありそうか?」


(いや、ただ速さを見せびらかしただけじゃ……何もわからないだろ)

 レイジは思わず心の中で突っ込んだが、声には出さず飲み込んだ。


「センス、ですか。皆無ですね。まず視えていません。まだ子供ですし……基本から教えるところからでしょう」

「皆無……」


 その一言は、レイジの胸の奥に重く沈んだ。

 握りしめた木剣に自然と力がこもる。

 ただベルンハルトの速度に圧倒されただけ――その事実が悔しくてたまらない。


「ろくに基礎修行もしていないことが丸わかりですな。まさに素人」


 淡々とした評価。その刃はレイジだけでなく、師であるヘルマンへ向けられたようにも感じた。

 過去が脳裏をよぎる。

 レイチェルを巻き込んだあの事件――片手剣の使い手バロック。

 あのとき勝てたのは相手が弱っていたからで、自分の実力ではなかったのだと痛感させられる。


 胸の奥がじくじくと痛んだ。


「いや、時間がない」


 緊張を切り裂くように、コーダが短く告げる。

 声音には僅かに焦りが混じっていた。


「基礎がないのは承知している。しかし――今回“幽路”と対峙してもらうには、魔瞬脚マナスライド魔装歩行術(エウロス・ステップ)は最低限習得してもらわなければならない」

「コーダ様、お言葉ですが……このような小さな子供に七式は無理かと」


 ベルンハルトは口元を吊り上げ、まるで一蹴するかのように返す。

 だがコーダの返答は淡々として揺るがなかった。


「いや、問題ない。彼は既に“魔圧撃”を習得している」

「まさか。模倣ならまだしも、使いこなすなど――」


 ベルンハルトの言葉が途切れた、その瞬間だった。


 バシュッ、と空気が裂ける。

 衝撃波が彼の眼前を駆け抜け、地面をえぐる。


魔圧撃(マナスティル)――(ファング)


 縦に奔る斬撃の余韻が地を唸らせた。

 まるで狼が吠えながら駆け抜けたような勢いだ。

 ベルンハルトの眉がわずかに跳ね、初めて表情に変化が浮かぶ。


「ほう……面白い。では他の七式も使いこなせると?」

「素質がある、というだけだ。――三日でせめて魔瞬脚(マナスライド)は習得してもらう。できなければ、ベル。お前の責任だ」


 コーダの声音は静かだったが、その奥に“撤回の余地を許さぬ”鋼の圧があった。

 レイジはその重さに喉を鳴らし、ベルンハルトは誇らしげな笑みを浮かべながら一礼した。


 三日。

 基礎すら怪しい自分に課されたには、あまりにも短すぎる期限だった。


 レイジは乾いた唇を噛み、握り直した木剣に力を込める。胸の奥で、焦りと反発心がせり上がっていた。


「コーダ様がそう仰るのであれば、やるしかありませんな」


 ベルンハルトの声音は平板で、期待の色など微塵も感じられなかった。

 むしろ“どうせ無理だろう”と告げられているようで、レイジは内心で歯を軋ませる。


「よ、よろしくお願いします」


 形ばかりの挨拶。だが胸の内ではまったく別の声が燃えていた。


(絶対に見返してやる……!)


 その炎は弱々しいが、確かな熱を持っていた。


「さあ、ひとまず食事にしよう。ベル、頼んだぞ」


 コーダの指示に、ベルンハルトは胸に手を当て、大げさなほど(うやうや)しく一礼した。


「お任せください! このベルンハルト・カスティリーネ、腕によりをかけてご提供してみせましょう!」


 中庭に響く声はやたらと自信に満ち、もはや料理の宣言とは思えぬ迫力すらある。


 振り返れば――

 怒涛の一日目も、ようやく終わりが見え始めていた。


 イリュドへ帰る日は、まだまだ遠い。


「スタミナつくやつをお願いします!」


 レイジが食欲に正直な叫びを上げると――


「貴公の注文は受け付けていない」


 即答だった。


「はあ!? サポートってそういうことじゃないんですか!?」

「騎士の務めは“選ぶこと”ではなく“与えられた糧で戦うこと”ですな」


 なぜか得意げなベルンハルトの理屈に、レイジの叫びは夜空へ消えた。

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