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#057

 レイジがソフィーを引きずるようにしてエントランスへ戻ると、コーダはその姿を一瞥し、深々とため息を落とした。酔い潰れたソフィーの有様は、もはや言い訳の余地がない。

 しかしコーダは何も言わず踵を返し、エントランスを抜けて奥の廊下へと進んでいく。重厚な大扉の前で立ち止まると、両手で扉を押し開いた。


 レイジが中を覗き込むと、広々とした空間が目に飛び込んできた。中央には円形に並んだ大きな机があり、それを囲むように椅子が配置されている。

 木材の新しい香りが空気に混じり、まるで新築の学舎のような清浄さがあった。

 壁際の大きな窓からは中庭が一望でき、整えられた植栽と噴水が月光に照らされて静かに揺れている。昼間であれば陽光が差し込み、さらに爽やかな空間となるだろう。


「好きに座るといい」


 コーダの簡潔な指示とともに、四人はそれぞれ席についた。

 コーダは自然と上座へ。レイジとレイチェルは右側に並び、ソフィーは対面の席――椅子へ倒れ込むように体を預けて座る。正確には「沈んだ」に近い。


 全員が着席したのを確認し、コーダは机の上で指を組んで口を開いた。


「さて、今回の特別任務について話をしておく」


 レイジの喉がわずかに鳴った。

 そもそもレイジ自身の状況を把握している者はここではコーダのみであり、ソフィーに至っては何一つ理解していない。

 どう巻き込むつもりなのか――コーダの手腕が問われる局面だった。


「……が、その前に一人紹介しておきたい人がいる」

「このタイミングでですか?」


 唐突な前置きに、レイジは思わず口を挟んだ。

 しかしコーダはそれさえも織り込み済みであるかのように、淡々と告げる。


「このタイミングだから重要なのだ。……入れ」


 コーダの合図と同時に、背後の大扉がゆっくりと開いた。


 踏み入ってきたのは、一人の青年だった。

 背は高く、均整の取れた体つき。整った顔立ちに淡い紫の髪、翡翠色の瞳が静かに光る。

 肩にかけた赤いマントが翻り、その姿はまさに絵本に描かれる“騎士”のようだった。


 青年は静かにコーダのもとへ歩み寄り、レイジたちに向けて真っ直ぐ視線を向けた。

 硬質な空気をまとっているのに、どこか舞台役者のような雰囲気もある。


「紹介しよう。私の部下のベルだ。今回、直接作戦に関わるわけではないが、諸々サポートを任せる。……ベル、皆に自己紹介を」


 コーダが軽く顎をしゃくると、青年は真剣な表情でうなずき――


「吾輩の名は! ベルンハルト・カスティリーネ! 世界で一番、コーダ様に近い男だ! どうだ、羨ましいだろう?」


 唐突な大声と、妙に完成度の低いポージング。

 その瞬間、室内の空気は見事に凍り付いた。


 レイチェルはびくっと肩を震わせ、そのまま泣き出す。

 ソフィーは口元を押さえて青ざめ、小走りで部屋を飛び出していった。

 コーダは眉間を押さえ、黙って頭を抱える。


(なにこの空気……普通に地獄なんですけど……)


 数分の耐久時間を経て、コーダがようやく手を打ち直すように咳払いした。


「……彼はベルンハルト・カスティリーネ。私直属の部下で、今回は補佐役として同行する」


(そこから言い直すんだ……)


「具体的にはどういったサポートですか?」

 レイジが挙手しながら問いかけた。


「主に食事の提供、清掃。それから少年の連れの子の面倒も見てもらおう」

「えっ、そんなの騎士団の人に任せていいんですか?」

「構わない。これも任務の一環だ。それにベルの料理は上手い。……久しぶりに食べたいくらいだ」


 コーダの言葉に、ベルンハルトは胸を押さえて崩れ落ち、天に祈るようなポーズをとった。


「ああッ! コーダ様が吾輩の手料理を欲している! 神よ、なぜ吾輩をこれほどまで祝福するのだ……!」


 感極まり、本気で涙まで流し始める。


「放っておいていいですか? この人」

「いい。だがベルを呼んだのは、それだけではない」

「……まだ何かあるんです?」


 コーダは指先を組み直し、レイジをまっすぐ見据えた。


「今回、最も重要なサポートを任せる。――少年、キミに修行をつける」

「修行!?」


「ただし時間がない。早速今夜から始め、三日で基礎を叩き込む。四日後には効果測定として、私の単独任務に同行してもらう」

「それは……あまりにも急展開じゃないですか?」


「三日“も”取ってやるんだ。感謝しろ。師が忙しくて修行がつけられないと、ぼやいていたではないか」

「それは……そうなんですけど」


 数か月前、レイジの師であるヘルマンは中隊長に昇格し、書類仕事に追われる日々となった。

 朝稽古は激減し、独学でできることには限界がある。

 ここ最近、レイジ自身も実力の伸び悩みを自覚していた。


「そんな短期間で効果が出るんでしょうか?」

「期間ではなく内容だ。叩き込む中身が伴っていれば十分だろう。――ベル、今夜中に彼の実力を測る。明日から鍛え直すので、そのつもりでいてくれ」

「仰せのままに」


 コーダが迷いなく指示を飛ばすと、レイジへと視線を向けた。


「少年、中庭に出てベルと手合わせしてみてくれ」

「い、今からですか……?」


 空腹で腹が重く鳴りそうだったが、レイジは逆らわず小さく頷いた。


 * * *


 中庭の小さな広場には、夜でも十分な明かりが灯っていた。噴水の水音が静かに響き、草むらでは虫が鳴いている。

 そんな穏やかな空気とは裏腹に、これからの稽古は容赦ないものになるとレイジは直感していた。


「少年、これを」


 コーダが放った木剣をレイジは反射的に右手で受け取る。手に馴染む重さと感触に、わずかに懐かしさが胸をよぎった。


 向かいに立つベルンハルトも木剣を構えている。

 ただ、その構え方が独特だった。片手で軽く握り、刃先をレイジへ真っ直ぐ向けている。無駄がなく、洗練されているが、どこか挑発的でもあった。


「少年、名をまだ聞いていなかったな」

「僕、レイジっていうみたいです」


「レイジ。――ではひとつ聞こう。貴公はコーダ様のことをどう思っている?」

「なんですか、それ急に」


「いいから答えよ」

「えっと……雇い主、ですかね?」


 ベルンハルトはその返答に、ふっと口角だけを上げて笑った。


「なら、吾輩の勝ちだな」

「何が!」


 レイジが反射的に声を荒げた瞬間――もう勝敗はついていた。


 風が抜けた気配のあとには、ベルンハルトが背後に立ち、木剣の刃先がレイジの首元へそっと触れていた。


「すべてにおいて吾輩の方が勝っている。……彼女を想う気持ちもな」


 レイジは、返す言葉を失った。

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