表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/87

#056

 夜の喫茶店でレイジへ要点を説明してから一時間後。

 王都へ帰還した一行はひとまず解散し、コーダは単身、騎士団本部へ向かった。


 重厚な木扉をノックもせず押し開けると、書類とインクの匂いがむっと立ち込める。

 その瞬間、部屋の奥から叱声が飛んだ。


「突然持ち場を離れてどこへ行っていた? 任務が嫌になって逃げ出したのだと思ったわい」

「誰が逃げる。この程度の簡易任務、私が不在でも支障なく進行するだろう。だから私は"自分の仕事"を優先したまでだ。的確に指示も出した。滞りなく完了しているはずだが?」


 言い返す声音は静かだが、端々に鋼のような冷たさがある。


 レイジからの指名連絡が入った時、コーダは反社会組織の関連施設への突入作戦を進めていた。

 しかし現場は既にもぬけの殻で、以降の内部調査も分析班に委ねる段階。

 実質、突入した時点で仕事の大半は終わっていた。


 だからこそ彼女は現場を小隊長に引き継ぎ、レイジのもとへ急行した──のだが、

 目の前の男はそれを「勝手な離脱」と解釈しているらしい。

 その程度の了見だと、コーダは冷淡に悟った。


「現場を離れる指揮官など聞いたこともない!」

「では、指揮官が戦死した場合は部隊ごと崩壊しろと? 指揮官に依存しなければ成り立たない組織など無価値だ。集団は"個"の能動性があってこそ力を発揮する。まさか中隊長ともあろう者が、それも理解していないとはな──グレイ・クーガン」


 デスクにふんぞり返っていたクーガン中隊長は、顔を引きつらせ、誇りの髭をわしゃりと撫でた。


「最近の若い奴は……ああ言えばこう言う」

「これは反論ではない。事実を説明しただけだ」


「だがな、上司に対する態度というものが──」

()()()()()()()()が"一般人"に向ける態度とは、どんなものだったか。教えてもらえるか?」


 コーダの視線が冷たい刃のように走る。

 その名を出された瞬間、グレイの口が閉じ、気圧されたように沈黙が落ちた。


「……」

「まもなくこの国で"大きな事件"が起こる。その事実が世間に知れ渡る頃──その席は私のものになっているだろう。そろそろ荷物の整理でもしておくことだ」


 淡々と告げると、コーダは部屋を後にした。

 扉が閉まる直前、彼女の背には迷いなど一片もなく、ただ次に起こす行動への確固たる決意だけが宿っていた。


 * * *


 レイジが目を覚ました瞬間、視界いっぱいにレイチェルの顔が飛び込んできた。

 距離が近すぎて、思わず変な声が漏れる。


「うわっ!」


 彼の声に驚いたのか、レイチェルは小さく跳ね、頬を赤く染めながら慌てて身を離した。


「な、なにしてたの……? 僕の顔になんかついてた?」

「ち、ちがうよ……なんでもない……」


 もじもじと視線を逸らす彼女を横目に、レイジはようやく周囲に意識を向ける。

 見慣れた騎士団寮ではない。柔らかなシーツの感触、豪奢な家具の配置、ほのかな香油の匂い──すべてが新しい。


 意識が完全に覚醒すると同時に、直前の出来事が一気に脳裏に蘇った。

 魔法陣に巻き込まれ、気がつけば王都に飛ばされていて、さらにコーダからは“よくわからない大役”を任されそうになっている。状況はまるで悪い夢のようだが、どうやら現実らしい。


「コーダさんは……戻ってきた?」


 レイジの問いに、レイチェルは小さく首を横に振った。


「まだみたい。ずっと留守だよ」


 二人がいるのは、新築されたばかりの洋館の一室だった。

 王都に到着してすぐ、コーダは三人をここへ連れてきて、


『私は用がある。休んでいろ』


 それだけ言い残して姿を消した。


 レイジが寝落ちしてしまうまでに、レイチェルと多少のやり取りはあったが──結局やることもなく、クイーンサイズのベッドの上で他愛もない話をして時間を潰していた。


 コーダの説明によると、この洋館は親族が建てた別邸らしく、仕事を手伝うなら自由に使っていいという話だった。

 とはいえ、すでに居座ってしまっている以上、イリュドへ帰るためには仕事を受けるしか道はない。


(ほんと、あの人は……)


 レイジはため息をつきながら窓際へ歩み寄った。

 月光が差し込む両開きの窓に手をかけ、椅子に乗って開けると、夜風がふわりと吹き込んでくる。


 外の景色は息を呑むほど整っていた。

 洋館はコの字型で、中庭の中央には噴水と広い池が設えられている。水面が小さく揺れ、跳ねる音が聞こえるところを見ると、淡水魚でも放たれているのだろう。

 植栽も丁寧に手入れされており、庭師が常駐している様子がうかがえた。


「さすが新築だね。見晴らしいいし……王都って、やっぱり立派だな」


 レイジがそう呟くと、レイチェルが隣に来て、同じように外へ顔を出す。


「……きれいだね」


 彼女の横顔が月光を受けて淡く照り、年相応の幼さと、ほんのわずかな不安が混ざって見える。


(王都にいる間くらい、この子の誘拐の心配は……しなくて済むのかな)


 ふと胸をよぎった考えを、レイジは首を軽く振って追い払った。

 そんな弱気な思考は似合わない。自分が守ると決めたのだから、迷う必要はない。


 視線を正門へ移すと、ふいに歩いてくる人影が見えた。

 月明かりに照らされる銀髪──間違いなくコーダだ。


「……やっと帰ってきた」


 レイジは小さく息を吐き、自然と背筋が伸びるのを感じた。


 居室を飛び出したレイジとレイチェルは、ほぼ同時にエントランスへ駆け込んだ。扉の向こうから気配が近づき、ちょうどコーダがドアを押し開けて帰ってきたところだった。


「遅いですよ、コーダさん! 僕たち待ちくたびれました」

「残業を片付けていた。……誰のせいだ?」


 責めるような視線を受け、レイジは知らん顔で廊下の灯りを眺めた。


「少年、これから諸々の説明をする。下準備が山ほどある。――あの馬鹿者を連れてこい」


 あの馬鹿とは言わずもがな、ソフィーである。


 バーでレイジとコーダが話している間、ソフィーは好き放題に酒をあおり、話が一区切りついた頃には完全に出来上がっていた。

 支離滅裂な言動に、レイチェルは怯えてテーブルの下へ避難し、震えながら泣いてしまうほどだった。


 結局、自力で歩けないソフィーをワイヤーで縛り、ずるずると引きずって洋館に連行したのがコーダで、酔っ払いはそのまま適当な一室へ放り込まれた――という経緯である。


 レイジは頭を押さえながらエントランスからその部屋へ向かった。

 ノックしようとした手が、少しだけ躊躇う。鍵はかけていないはずだが、一応の礼儀として声をかける。


「ソフィーさん、もう酔いは醒めましたか? つぶれるまで飲む人がいますか、ああいうのは建前なんですよ」


 部屋の中は静まり返っていた。返事がない。

 意識がないのかと心配になり、レイジはドアノブに手をかける。ドアを押した――が、びくともしない。


(鍵をかけた? いや、そんな余裕がある酔い方じゃ……)


 急性アルコール中毒などの可能性も脳裏をよぎる。レイジは焦りを押し隠し、強めに声をかけた。


「ソフィーさん!? 開けてください、レイジですよ!」

「……ち……い……」


 ドアの向こうから、虫の鳴くような小さな声。

 生きていると分かり安堵したものの、内容が聞き取れない。


「ソフィーさん、そこにいるんですね? 鍵を開けてください!」

「……もち……るい……」


 やはり弱々しい声。レイジは眉をひそめた。


(何か伝えようとしてる……?)


「なんですか、聞こえません!」


 叫び返した瞬間、レイジの脳裏にこの部屋の間取りが浮かぶ。

 そしてようやく意味に気づいた。


「きもち……るい……」

「今、何て言いました?」

「きもちわるい……吐きそう……」


(……酔って気持ち悪くなってるだけじゃん)


 レイジは額を押さえた。


「自分で首絞めてますよ。ソフィーさん、そのドアは“内開き”です。気持ち悪くてドアに寄りかかっているんですね? どいてください」

「ダメ……動いたら全部出そう……」


「吐かないでくださいね?」

「そうよね、せっかく高い酒飲めたんだから、肝臓ちゃんまでしっかり飲ませてあげないともったいな――」


 どうでもいい自尊心が垣間見えた瞬間、レイジはためらいなくドアを蹴り破った。


 内側で寄りかかっていたソフィーは、勢いそのまま部屋の中央まで転がっていく。しかしレイジは冷たい視線をほんの一瞬だけ向けただけで、要件だけを淡々と言い放った。


「コーダさんが呼んでます。早く来てください。みんな待ってますので」

「……ひゃ、ひゃい……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ