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#052

 《五日前——》


 この剣と魔力の世界——だが、水道も電気も通っているという、どこかちぐはぐな世界でレイジが目を覚ましてから九か月が経っていた。

 ヘルマンやカリナに出会い、レイチェルを救い出したあの事件も、今では遠い記憶のように思える。


 現在のレイジは、レイチェルとともに騎士団の寮の一室を間借りしながら自立を目指していた。

 暮らしは質素だが、二人で屋根の下にいられること自体が贅沢だった。


 家計を支えているのは、少しばかりの貯金と、コーダから時折直接舞い込む”裏仕事”。

 危険地域の調査、行方不明者の聞き込み、簡単な監視任務など——そのどれもが地味で報酬も少ない。


 だが、コーダにとってレイジは”使える駒”であり、レイジにとっては”信頼できる雇い主”でもあった。

 イリュドでの立ち位置は、表向きは市民、実質的にはコーダ直属の協力者——そんなバランスの上に成り立っている。


 とはいえ、簡単な仕事ほど金にはならない。

 危険を冒せばその分の報酬は得られるのだろうが、レイジには「命を張ってまで稼ぐ」ほどの覚悟はなかった。

 生き延びることこそ最優先。それが、この世界で学んだ現実だ。


 最低限の生活を維持しながら、レイチェルには「自衛手段」として剣術を教えていた。

 ヘルマンから学んだ基礎をかみ砕き、彼女にもできるようアレンジを加える。

 半年が過ぎ、最初は剣を持つのもやっとだったレイチェルが、今では軽い素振りなら形になってきた。


 ——だが、そこから先が進まない。


 レイチェルはまだ片手剣を両手でようやく支えられる程度で、肝心の魔圧撃(マナスティル)は一度も成功していなかった。


(ポテンシャル高そうだと思ったけど……意外と不器用なんだよな。こりゃ基礎の習得までに年単位でかかりそうだ)


 レイジはため息をつきながら片手剣を構え、正面の大木にかけられた的を見据える。


「いいかい? 魔圧撃(マナスティル)は——こうっ!」


 振り抜いた刃先から衝撃波が真っすぐ放たれ、的の中心を正確にえぐり取った。

 レイチェルが感嘆の声を上げる前に、レイジは苦笑して肩をくすめる。


「なんなら、剣を持つ必要もないよ」


 次の瞬間、彼は手刀を構え、空を切った。

 風が震え、見えない刃が走る。大木の表面が浅く抉れた。


 それを見たレイチェルの瞳が、ぱっと輝く。


「レイジはやっぱりすごい!」


 そう言いながら、両手で剣を受け取り、ぶんぶんと振り回す。

 だが、刃筋は定まらず、魔圧撃どころかまともにまっすぐ振ることさえ難しそうだった。


 レイジはその様子を見て、小さく笑う。

 焦る必要はない。彼女が笑っていられるなら、それでいい。


 ——彼女が安心して生活できる環境を作る。


 それがレイジの、今のささやかな目標だった。

 今の生活が安定しているとは言えない。貯金は減る一方で、次の仕事の当てもない。


 現実はそう甘くない。

 どうしたものか、と胸の奥で不安が渦を巻く。

 レイジは木漏れ日の中で剣を握り直し、深く息を吐いた。


(そろそろ……何か動かないとな)


 その時、レイチェルが息をのんだ。


「ねえ、レイジ。あれ、なんだろう?」


 彼女の指先を追って、レイジも視線を向ける。

 少し離れた茂み中が、ぼんやりと赤く光っていた。炎ではない。生き物の光でもない。

 淡く脈打つように明滅している。


 レイジとレイチェルは顔を見合わせ、慎重に歩みを進めた。近づくにつれ、光の輪郭浮かび上がる。

 地面一帯に広がるそれは、人が数人入れるほどの円形。

 複雑な紋様が刻まれ、血のような赤が淡く輝いている。


「……魔法陣、か?」


 レイジの胸の奥で、前世の記憶がうっすらとざわめいた。

 テレビやゲームでみたであろう、”異世界の象徴”。

 この世界に魔法という概念がないはずなのに、目の前の光景は明らかに”それ”を思わせていた。


「まさか、この中に入ったらどこにワープしたりして」


 半ば冗談めかして言ったつもりだった。だが、レイチェルの顔がこわばる。


「や、やめようよ。絶対危ないって。騎士さん呼んでこよう?」

「大丈夫、大丈夫。ちょっと見るだけだから」


 そう言ってレイジは一歩、軽い気持ちで円の中に足を踏み入れた。


 瞬間——。


 地面を照らしていた光が一気に膨張した。赤が白に変わるほどの眩しさで、視界が焼ける。


「なっ……!」


 レイチェルが慌ててレイジの服の裾を掴んだ。

 だが、もう遅い。重力の感覚がふっと消え、足が地を離れる。


 レイジの身体が浮き上がり、空気がざわりと逆巻いた。

 反射的にレイチェルが抱きつく。彼女の小さな手が必死にレイジの背を掴んだ。


 ほんの一瞬。風が巻き、赤い光が二人を包み込む。


 気づけば、視界の下にあったはずの地面が急速に遠ざかっていく。

 浮遊感、そして加速。


(あれ……? 召喚とか転移って、もっと”ピカッ消える”感じじゃなかったけ)


 呑気な思考が頭の隅に浮かぶ。だが次の瞬間、風圧が頬を打った。

 二人はどこかへ向かって確かに”運ばれていた”。

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