#048
「ここに、手がかりがあるの?」
埃っぽい倉庫の中、レイジの落ち着いた声が響いた。
空気は湿り気を帯び、足元には古い木箱や錆びた器具が散乱している。かすかに油のにおいが鼻を刺した。
「状況から見て、その可能性が高い。……ということだ」
ヘルマンの低い声が、奥の暗がりに沈む。
その声音に迷いはない。
レイジは息を整え、思考を巡らせる。
これまでヘルマンの現場での判断力は間近で見てきたのだ。疑う余地はない。
「わかった。僕、行くよ。この隙間、僕しか通れないもんね」
倉庫の床にぽっかりと開いた穴を見据える。
マンホールのようなものだろう、大人の肩幅くらいの幅で三メートルほどの深さがある。
ヘルマンは無言で頷き、レイジの肩に手を置く。
その重みは、言葉より雄弁だった。——”己の手で決着をつけろ”。そう告げているように感じた。
「崩落しない程度に入口を広げる。ここを人攫いが売買ルートに使っているとすれば……行き先は王都だろう」
「王都……」
レイジは小さくつぶやいた。
ヘルマンの生まれ故郷であり、イリュドとは大きな隔たりがある。
もしそこまで連れ去られていたら——レイチェルを取り戻すのは、難しいかもしれない。
「いくぞ……魔圧拳」
ヘルマンが拳を構え、短く息を吐いた。
次の瞬間、空気が爆ぜる。
穴の端を正確にたたきつけ、魔力の圧が空洞を震わせた。
コンクリートが小石のように崩れ、粉塵が舞い上がる。
僅かだった隙間が、レイジの肩幅ほどに広がっていた。
「中は恐らく、用水路に繋がっている。迷路のように入り組んでいるが——ラオが目印を残しているはずだ。それを見つけて、辿るんだ」
「ラオって、そこで固まってるおじさん?」
「……ああ、気にしなくていい」
レイジが視線を向けると、ヘルマンの背後に双剣を構えた男がいた。
まるで時間を止めた彫刻のように動かない。
それを確認したレイジは、特に興味を示すこともなく、裂け目へと身をかがめた。
「そうだ、ヘルマン。王都って、方角でいうとどっち?」
「川の上流だ」
指された方向を一瞥し、レイジは口元を僅かに吊り上げる。
「ありがと」
その一言を残し、ずりずりと身体を押し込んでいった。
ひんやりとした空気が頬を撫で、瓦礫のざらつきが腕を擦る。
上からヘルマンの声が飛ぶ。
「もし中が崩落していたら、俺がさっきやったように——”拳”に魔力を込めて打ち込め! 魔圧撃の要領でいける!」
「はあい!」
軽い返事とは裏腹に、レイジの瞳には迷いがない。暗闇の向こうに、彼女がいるのだから。
* * *
足元にたまる冷たい水を、レイチェルは大股で踏み越えた。
水音が地下に響き、反響して耳を打つ。
湿った空気の中には草木と土の匂いが混じり、鼻の奥に生臭さが残る。
——この匂い。生活用水じゃない。雨水が流れ込んでいる。
そう直感した。
数時間前の出来事が、まだ脳裏に焼き付いて離れない。
突如現れた”あの隻眼の男”——。
彼はなんの苦も無く彼女を抱きかかえ、まるで荷物のように連れ去った。
そして今度は、もう用済みと言わんばかりに、あの嫌味な男と商人のもとへ引き渡され、首には鉄の枷をはめられ、こうして地下の用水路を歩かされている。
再び身売りの運命。
だが、彼女の瞳はまだ死んでいなかった。
力の限り抵抗した。
殴られても、蹴られても、髪を掴まれても——決して屈しなかった。
どれほど身体を痛めつけられても、心の火は消えない。
その日が、胸の奥で静かに燃えている。
わざと歩幅をずらし、立ち止まり、転び、膝をすりむく。
そうして少しでも時間を稼ぐ。
彼女の行動には、確かな意図があった。
——彼は、来る。必ず。
幾度となく彼女を救いあげた、あの少年。
神様のような存在。
レイジ。
彼なら、また自分を見つけ出してくれる。
そう信じていた。いや、信じる以外に、生きる理由がなかった。
「……っ」
足が滑り、水路の中に伸びる木の根に引っかかった。
そのまま体制を崩し、冷たい水へと倒れ込む。
瞬間、首の枷が鋭く引かれ、喉に食い込んだ。
息ができない。灰の奥で空気が泡立つ感覚。
背後の男が舌打ちし、苛立ったように鎖を引き寄せた。
「歩けって言ってんだろうが!」
拳が飛び、頬を焼くような痛みが走る。
次の瞬間、髪を掴まれ、顔を無理やり引き上げられた。
レイチェルは男を見上げる。
眼球が裂けそうなほどに、睨みつけた。
その殺意に満ちた瞳を見て、男は一瞬たじろぐ。
だが、すぐにまた鎖を強く引き、前へ、前へと歩かせる。
——これは、神様が与えた試練なんだ。
その言葉を、胸の奥で何度も繰り返す。
信じることで、恐怖を押し込めた。
そしてその刹那——。
轟音が、地下を貫いた。
鈍い揺れが水面を波立たせ、天井の砂塵がぱらぱらと落ちる。
水路の壁が低くきしみ、地盤そのものが鳴動していた。
レイチェルは息を呑む。
まるで、大地が誰かの足音に応えているかのように。




