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#044

 レイジを覆っていた表膜が、ガラスのような音を立てて砕け散った。

 破片が宙に消えると同時に、全身を包んでいた重さが抜け落ちていく。

 まるで、自分という存在そのものが、再び現実へと呼び戻されていくようだった。


 心なしか、身体が軽い。

 肺の奥まで息が入る。痛みさえ、今は遠い。


 目の前で、バロックが目尻が切れそうなほどに見開いていた。

 その視線が、明確に「レイジ」という存在を認識している。


 レイジは踏み込みと同時に膝を沈め、地を蹴る。

 反動を乗せたアッパーが、一直線にバロックの顎を狙った。


 しかし、バロックは後方へ滑るように退き、紙一重でそれを避ける。

 ——わかっていた。この程度の不意打ちで仕留められる相手ではない。


「再開の一撃なんだから、今の当たるところでしょ」


 軽口をたたきながら、レイジは息を整える。鼓動が早い。

 だが、恐怖でなく昂ぶりだ。


「常識も、倫理も意味をなさないのか。お前は一体——」

「……なんのこと?」


 レイジはわざとらしく首を傾げ、視界の隅に転がる剣へと視線を滑らせる。

 かすかな光を反射する、冷たい鉄の塊。


「なんか気を失ってたみたい。それで、なんだっけ。僕と剣で戦うって話だよね」


 言いながら、レイジはゆっくりと距離を詰めていく。

 足音をひとつずつ響かせるたび、バロックの視線がその動きを追う。


 ——止めに来ない。剣で戦いたいという言葉に、偽りはないらしい。


 レイジは剣の前で膝を折り、そっと拾い上げた。

 掌に伝わるずしりとした重み。

 それは単なる鉄の質量ではない。


 ”誰かを護る”という、ヘルマンの言葉が宿る重さだった。

 両手で柄を握り、腰を低く落とす。


 レイジは自然に息を吸い込み、目線を合わせた。

 バロックの全身には、黒い痣のような紋様が浮かび、閉じていたはずの左眼が開いている。

 その瞳は、どこか人の理を脱した色をしていた。


「大丈夫? 顔色悪そうだけど。負けた後に今日は体調が悪かったとか言わないでね」


 からかうように言えば、バロックはふっと笑った。


「驚いているだけだ。いや……安心したというべきか」


 意味を測りかねている間に、バロックは剣を構えた。

 右手の剣先が、レイジの胸元をまっすくに指す。


 次に動く瞬間が——合図だ。

 床を蹴る音が重なった。


 金属が唸り、剣と剣がぶつかる。

 火花が視界を走った。


 押し負ける。

 純粋な腕力も、経験も、まだ敵わない。


 だが、それでも足は止まらない。

 無鉄砲に魔圧撃を放てば返されると、理解している。


 ならば、別の形で食い込むしかない。

 ヘルマンとの修行の日々が、脳裏をよぎった。


『実戦じゃな、まず——』


 金属が擦れる音。

 バロックの刃が、徐々に押し込んでくる。


 逃げ場はない。だが、逃げない。


 レイジは覚悟を決めると、息を吐き、スッと力を抜いた。

 剣を押していたバロックの力が、急な抵抗の消失に行き場を失う。


 軌道がわずかに逸れた。

 その剣先が、レイジの右肩を狙う。


 切られてもいい。


 ヘルマンが言っていた、「捨て身の構え」——その再現。


 だが、バロックの剣は、急な好機になぜか一瞬躊躇った。

 その刹那、迷いの光が確かにあった。

 レイジは逃さなかった。


 左足を振り上げ、迫る剣を蹴り飛ばす。

 鋭い金属音が響き、バロックの剣が宙を舞った。


 ——見える。


 数秒の出来事が、まるで何十秒にも引き延ばされたかのように、ゆっくりと。


 レイジは空中で身体を翻し、右足で追撃を叩き込む。

 乾いた音が響き、バロックの顔面が弾かれる。

 次の瞬間、レイジは遠心力で剣を振り抜き、全身の魔力を一点に絞り上げた。


「——魔圧撃マナスティルッ!!」


 咆哮にも似た叫びと同時に、空気が爆ぜた。

 血のように熱い魔力が剣先から奔流となって溢れ出し、世界を震わせる。

 肉体の限界など、とうに超えている。


 それでも——この瞬間だけは、自分の存在を刻みたかった。

 誰かに教えられたわけでもない。


 ただ、これが自分にしかできないことだと、信じた。

 白い閃光が弧を描き、轟音が空間を裂く。


 レイジは耐え切れず、吹き飛ばされた。

 視界が反転し、背中が床に叩きつけられる。


 肺の空気が一気に押し出された。

 手から剣が離れ、金属音が甲高く響く。

 耳鳴りが世界を覆い、音がすべて遠のいた。


 それでも、レイジは目を開いた。

 霞んだ視線の先——そこに、まだ”立っている”影があった。


 バロックだ。


 あの轟音にも耐え、足を踏みとどめていた。

 焦りが胸を締め付ける。


 だが次の瞬間、バロックの口元がわずかに動いた。

 何かをつぶやいたようだったが、耳鳴りのせいで聞き取れない。


 レイジはただ、その唇の動きを見つめるしかなかった。

 やがて——バロックの右肘から先が、ないことに気付いた。


 さっきの衝撃波で吹き飛ばされたのか。

 黒い紋様が彼の全身からじわりと消えていき、気を失ったようにその場へ崩れ落ちた。


 ……終わったのか。

 胸の奥で、息が荒く乱れる。


 肩が上下し、地の味が口の中に広がる。

 立っているのもやっとだったが、それでもレイジは剣を拾い上げた。


 足元が揺れるような感覚のまま、彼は駆け出した。

 視線の先、薄暗い隅で縄に柱に括られたカリナの姿を見つける。


「カリナさん……カリナさん!」


 声を張り上げ、ロープを剣先で切る。

 縄が解けた瞬間、レイジは彼女の身体を抱きとめた。


 軽い。あまりにも軽い。

 意識はないが、外傷は見当たらない。


 脈も、微かに——ある。

 安堵が、喉の奥から込み上げる。

 レイジは静かに息を吐き、彼女の髪をかき上げながらつぶやいた。


「大丈夫……もう、大丈夫だから」


 その瞬間、崩れた壁の向こうから風が吹き抜け、粉塵と血の匂いを、少しだけ遠くへ運んで行った。

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