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#043

 コンクリートを深く抉る破壊音が、建物内に低く響く。

 音もなく、高速で飛んでくる魔力の弾の雨を、バロックは走り抜けるように避けた。


 視線は常に”発射口”である黒いそれへ。

 弾幕の間合いを縫うように接近のチャンスを窺う。


 魔弾の威力は圧倒的だ。

 一発まともにもらえば四肢を吹き飛ばされかねない。


 だがバロックは、弾道を逐一読み切る努力をやめていた。

 長年の戦場で磨かれた直感だけが、今の彼を支えている。

 身体が先に判断し、筋肉が先に動く。


 紙一重で幾度か肩を掠められるが、それでも詰められると判断した。

 軌道の予測から突破口を見出すと、バロックは高速移動で黒いそれの背後へ滑り込んだ。


 瞬間、刃先が風を切り、縦に何本もの線を走らせる。

 目にも留まらぬ速さで、全身を輪切りにするように切り刻んだ。


 ——効いた。


 刃は確かに肉を裂いた手応えを返す。

 安堵が胸をかすめる。


 だが次の瞬間、切り離された部位から黒い触手が伸び、互いを取り合うように絡め合い、瞬時に結合していくのをみて、胸の中の安堵は氷へと変わる。


「……化け物め」


 低く、誰に向けるでもなく呟いた。

 言葉は刃の後始末にも似ていた。


 再び距離をとる直前、もう一閃。

 横一文字に深い裂傷を胴に刻む。大きな傷口だ。


 だが血は出ない。通っていないのだろう。

 傷はゆっくりと、自ら塞がっていく。

 そこで、バロックは初めて気づく。


(完全に切断した場合より、回復が遅い……?)


 思考は瞬時に理屈を組み立てる。

 壁際まで後退し、剣を鞘に納める。


 再び助走を取り、間合いに入る。

 裏魔力を纏っての居合い——一閃で胴体を真っ二つに切断した。

 だが、予想通り切断面は瞬時に結合する。血肉が瞬く間に繋がる。


(切断の”致命傷”なら瞬時に処理されるが、浅い傷では再生に時間がかかる。つまり、剣だけでは根本的な抹殺は難しい——だが……)


 理屈は理解した。

 逆説的だが、これが意味するのは『剣では殺せない可能性が高い』ということだ。


 毒で蝕むか、灼熱で焼き切るか、あるいは寿命や何か”限界”を突く方法が必要だろう。

 仮に再生に限界があったとしても、己の方が先に持たない気がする。


 混合状態コンフルエンスの維持時間も、そろそろ限界だ。

 裏魔力は支配の力でもある。


 自分が制御を失えば、あの異形と同じ運命を辿るかもしれない。

 刃を振るう右手に、ほんの一瞬、冷たい恐怖が走る。


 だがそれを振り払って即決する他はない。

 時間をかければ、自分が喰われる。


 次の一撃で、全てを終わらせるしかない——。

 バロックは呼吸をひとつ整え、腹の底で覚悟を固めた。

 刃を構え直し、黒いそれへと向き直る。


 だが、次の瞬間、それはまるで人間の形を保つことを放棄したかのように動いた。

 腕の関節が反転し、骨も筋も存在しないかのようにねじれ、正面を向いたまま、背後にいたバロックを両腕で掴み取ったのだ。


 そして、ぎしりと嫌な音を立てながら首が時計回りに回転し、背後を向く。

 黄色い光が、バロックを見据えていた。


(抑え込まれた……まずい)


 骨が軋む。拘束が強すぎる。

 バロックは一瞬だけ心の”門”を少しだけ開いた。


 裏魔力の流量を制御し、混合比を強引に引き上げる。


 皮膚の下を、黒い稲妻のような紋様が這い、全身へとさらに広がっていく。

 体内から放たれた裏魔力が黒いそれの魔力と反発し、空気が爆ぜた。

 その衝撃で一瞬だけ拘束の力が緩む。


「……っ!」


 バロックはその隙を逃がさず、腕をねじり、刃を振るった。

 一閃。首を跳ね飛ばすと同時に、後方へ飛び退く。


 首は宙を舞い、地に落ちる。


 が、安堵の間もなく、黒い触手が蠢き、頭部は胴体へと再結合していった。

 すぐに再び魔弾の雨が襲い掛かる。

 無数の弾が空気を裂き、壁を穿つ。


(あの腕に掴まれら終わりだ。一定の距離を取りながら、隙を突いて切り込むしかない)


 だが距離を取れば取るほど、相手の魔力射程に自分が入る。

 どう転んでも死地。

 理屈で考えるほど、状況は悪化していく。


(これが”現実”の生物なら、間違いなく頂点に立つ存在だな)


 皮肉めいた笑みが一瞬、唇をかすめる。


 だが、次の瞬間には壁を蹴り、天井を走っていた。

 高所を取り、真上から見下ろす。


 変形している。黒いそれは見上げもせず、無数の腕を形成している。

 バロックは身体を翻し、上空から一気に降下した。

 全身に混合魔力を流し、目にも止まらぬ速さで連撃を放つ。


「再生が追い付かないほど、切り刻めばどうだ!」


 叫びとともに、裏魔力を圧縮し、斬撃に変換する。

 放たれた魔圧撃マナスティルが何十、何百と閃光のように落ち、黒いそれを切り刻んだ。

 轟音。衝撃。床が爆ぜ、コンクリート片が弾丸のように飛び散る。


 空気が熱で歪み、煙が視界を覆った。

 着地の衝撃で膝が沈む。


 荒い息を整えながら、視界が晴れるのを待つ。

 数秒の沈黙。


 ようやく砂埃が収まった頃、そこに”人の形”はなかった。

 焼け焦げた床の中央——何かが蠢いている。


(消滅した、か? いや、違う)


 その瞬間、視界の中心に黒い球体が浮かび上がる。

 脈打つたびに、空気が震え、低い音が響いた。


 それはまるで、卵のようだった。

 黒く濁った、生きている”核”。

 バロックは無意識に剣を握り直す。

 戦いは、まだ終わっていない。


 * * *


 白い——。

 それが空間なのか、無限に広がる自分自身なのか、レイジには分からなかった。

 輪郭も上下も存在しない。ただ、無音の白が世界を満たしている。


 いや、「世界」という言葉すら、ここでは虚しい。

 ぼんやりとした影が、ゆらりと揺らめき、彼の視界に留まった。


 ——ああ、また、これか。


 その影は少しずつ形を取りはじめる。

 人の形。少年の形。


「イデアナナイシュ」


 意味のわからない音の連なり。

 レイジは眉をひそめ、心の中で反射的に応じた。


 《出たよ、なんなんだよ、それ》


 影は動じることもなく、続ける。


「イデアナナイシェ、ダダエアコヌコブ」


 音が少しずつ明瞭になり、それに合わせるように白が深度を持ちはじめる。

 世界に“奥行き”が生まれた。


 ——見える。


 レイジは自分がこの空間の“中心”に立っていることを認識した。

 目の前にぼやけた少年の影。


 だが、自分の両手を見ようとした瞬間——手首から先が、存在しなかった。

 ああ、そうだ。バロックに切り落とされたんだったな。


 現実の痛覚はない。それが逆に、現実感を薄めていた。

 剣を持てない。


 ヘルマンが言っていた。

「守るために持つ剣」を持てないということは、守れないということだ。


 今の自分は、その“守れない側”だ。


 《ああ、僕が物語の主人公なら、ここで勝つんだろうな》


 苦笑が、心の中に浮かんだ。

 結局のところ、レイチェルを自分の都合で振り回しただけだった。


 檻から連れ出して、「ここに住め」と言い、逃げ場を与えたつもりになって。

 助けたのではない。支配したのだ。

 それを“責任”と呼んでいた。


 彼女を守ることが、自分のせめてもの贖罪だと思い込んで。

 そして、気づけば恩人であるカリナまで巻き込んでいた。


 ……滑稽だな。

 そんなとき、遠い記憶が、白い空気の中で息を吹き返した。


『きっといつか、“お前にしかできないこと”が見つかる。その時は、お前が主人公なんだ』


 ヘルマンの声だった。

 その言葉は、叱責でも激励でもない。

 ただ、未来を信じた声音だった。


(……僕にしか、できないこと)


 ある。確かにある。

 自分が逃げずに掴んだ“何か”が、ここに。


 目の前の影が、ゆっくりと両手を差し伸べた。

 その手に導かれるように、レイジの両腕が輪郭を取り戻していく。

 淡く光りながら、形を成していくそれは、まるで自分の中にある“別の意志”が形になったようだった。


「ボクノカラダデ、シナナイデ」


 今度は、はっきりと聞こえた。

 優しく、どこか懐かしい響きだった。


 胸の奥が、静かに熱くなる。

 レイジはその声に、ほんの一瞬だけ微笑んだ。

 もう一度挑戦しろと、言っている。


 《……行ってくるよ》


 影が、微かに笑った気がした。

 その笑みを最後に、白の世界が溶けるように崩れていく。


 意識が、現実へと帰ってくる。

 身体を包む感覚。重力。息の震え。


 レイジは、自分が何かの殻の中に覆われているのを感じた。

 目を開ける。視界を閉ざしていた膜が、光を拒んでいる。


「……魔圧撃マナスティル


 コーダがやってみせた時のように、腕に薄く魔力を纏わせる。

 指先に生まれた力が、周囲に波紋のように広がる。


 殻が、砕けた。


 現実の光景が目の前に開ける。

 焼けた金属の匂い、血と灰の混じる空気。


 レイジは、視界の端にそれを見た。

 立ち塞がる——乗り越えるべき壁。


 バロックが、そこにいた。

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