#041
市街地に金属音が響き渡る。
ミカは呼吸を整えながら走った。
肩で荒く息をし、喉の奥が自分の発する灼熱の炎で焼けるように熱い。
振りかぶった灼火の刃——魔武器《焔》に魔力を集中させる。
豪炎が刃先で渦を巻き、空気を歪ませた。
周囲を取り囲むのは、黒いローブの者たち。
四方八方を囲まれ、逃げ場など存在しない。
冷静を装う自分に、心臓が早鐘を打つのを感じた。
普段の巡回任務では味わえない、本格的な戦闘の緊張感。
自分がこの魔武器を、果たして十分に操れるのか、迷いが微かに頭をもたげる。
地面を蹴り、刃を振り上げる。炎が周囲の影を赤く染めた。
だが、ツヴァイのローブから伸びる鎖が刃を絡め取り、ミカの動きを阻む。
「……この刃に、燃やせないものはないんだから!」
魔力を刃に集中させる。
鎖に高熱が伝わると、ぐにゃりと鎖が軋み、裂けた。
踏み込み、再び切り下ろす。
しかし短刀で受け止められる。
その軽やかな反応に、ミカは一瞬息を呑んだ。
想像以上に動きが速い。
手ごたえのなさに、苛立ちがわずかに胸を締めつける。
一刻も早く、レイジの元に駆けつけなければならないというのに。
その瞬間、ツヴァイが低く呟いた。
「いない……まさか、中で入れ替わったのか」
その言葉の意味は理解できない。
だが、声の震え、僅かな焦りが、言葉以上に何かを示していた。
ミカの目は刃の軌道からすぐに外れ、相手の挙動を鋭く追う。
異変を察知し、次の一手に備える。
背後の街路も、周囲の瓦礫も、炎に赤く照らされ、時折揺れる影が無数の敵のように見える。
逃げられない状況の中、彼女の意識はただ一点——相手の動きに集中していた。
焔を受け止める短剣が弾かれると、距離を取って後ろへ下がった。
ミカは重心を低くし、どこからでも反応できる構えを取る。
炎の熱が腕に残り、呼吸がまだ荒い。
しかし、次の動きはあまりにも意外だった。
ツヴァイは丁寧な所作で右の掌をミカの方へ向ける。
刃を下げるわけでも、攻撃を仕掛けるわけでもない。
その仕草には、戦闘の合図というより、静かに制止する意味が含まれていた。
《ストップ》——だろうか。
疑念と警戒が胸に渦巻く。
「楽しい時間はここまでのようです。予定が変わりましたので、僕たちはこれで失礼しますよ」
その言葉に、ミカの眉がわずかにひそむ。
「どういう意味……?」
「優先すべき仕事があるということです。それに、僕はこれ以上ここにいると《同期》してしまうので」
(同期——? 何を言っているの……?)
思考が追いつかないまま、ミカは思わず声を張る。
「待ちなさい、あなた達はここで——」
その言葉の途中で、突如として周囲に竜巻が巻き上がった。
埃と砂が舞い、ミカの視界を奪う。
焔と同じ元素術の類だろう。
戦闘前には感じなかった力の気配が、肌を刺すように伝わってくる。
瞬く間に視界は遮られ、巻き上がる砂の渦に包まれる。
次の瞬間、一枚の紙が宙を舞った。
風の中で揺れるそれを、ミカは目で追う。
やがて、落ち着いた声が竜巻を裂くように響いた。
「そこにレイジくんはいますよ。行きたいなら好きにしてください。どうかお気をつけて——」
言葉の意味が理解できぬまま、ミカの体が無意識に硬直する。
巻き上がる砂、宙を舞う紙、残された言葉。
戦場の喧騒から一瞬切り離され、静寂と戸惑いが同時に押し寄せる。
目の前の現象に、炎の熱と同じくらいの緊張が胸を締めつけた。
* * *
「なんだ……これは」
ヘルマンの声が、調査中の室内に低く響く。
部下たちは瞬時に視線をヘルマンへ向け、互いに動きを止めた。
騒然とした空気の中、声を上げる者はいない。
「すまない」
一言だけ謝り、再び手元に視線を戻す。
心中の動揺を隠すことはできなかった。
そこにあるのは、《果たし状》——決闘を申し込む書面だ。
問題は、差出人と宛名である。
宛名は『少年』。状況から、レイジであると推察できた。
差出人は『バロック』。
騎士団でも要注意人物とされる片手剣の使い手である。
《少女は預かった。無傷で返してほしくば、指定の場所まで一人で来い》
殴り書きの文字がヘルマンの脳裏に焼き付く。
なぜ、バロックがレイジに決闘を申し込むのか。
状況と理屈が、まるで噛み合わない。
情報が交差し、頭の中は混沌を極める。
レイジは、この果たし状を知ったうえで向かったのだろうか。
何を基準に、何を信じればいいのか——判断がつかない。
理性と焦りが同時に押し寄せる。
居ても立っても居られず、ヘルマンは小走りで玄関へ向かう。
背後から部下の呼び止める声が聞こえたが、彼には振り向く余裕すらない。
もしレイジが決闘に向かっているならば、今、止めなければならない。
レイジも、カリナも、レイチェルも——
二度と、大切な者を失うわけにはいかない。
胸の奥が締め付けられるように痛む。
しかし、冷静さを失えば、誰も守れない。
ヘルマンは短く息を吸い込み、玄関の扉を押し開いた。
「よう、元気そうじゃねえか」
その声に、瞬間、ヘルマンの足が止まる。
玄関の外には、まるで中の様子を窺うように立つ、見覚えのある整ったスーツの男。
緑の短髪、ピアス。冷ややかな笑みが、状況を楽しむかのように浮かぶ。
——《観測者》。
背後にはローブを纏った集団が控えている。
ヘルマンの脳裏で、点と点がつながる。
もしや、彼らがバロックと共謀し、カリナとレイチェルを連れ去り、レイジに危害を加えようとしている——。
怒りが血管を駆け巡る。理性よりも先に、拳が動いた。
腹部に初手の一撃を叩き込むつもりだった。
しかし、男はそれを片手で軽々と受け止めてみせた。
——やはり、ただ者ではない。
「お前か……お前がこの絵を描いたのか!」
怒号とともに言葉を発し、身体は自然と攻撃態勢に入る。
「おいおい。これだから脳筋は困る」
男の挑発に、空気が一瞬で張り詰める。
ヘルマンの心臓は激しく打ち、呼吸が荒くなる。
だが冷静さを失えば、守るべき者たちを救えない——。
周囲の静寂の中で、互いの視線が鋭く交差する。
戦いは、すでに始まっていた。




