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#028

 夜のスラム街に、甲高い金属音が響いた。


 火花が散る。


 レイジは息を荒げながら、何度も木剣を振るい受け流すが、相手の剣圧に押し負けるのが自分でも分かる。


 対面の黒衣の男は、常識外れの膂力で大剣を片手に操っていた。


 まるでその巨剣が羽のように軽いかのように、滑らかに、狂気じみた正確さで振るわれる。


 右からの大振り。


 咄嗟に木剣を構えたが、刃先は既に折れている。


 打撃を受け止めきれず、すり抜けた衝撃がレイジの腹を直撃した。


「ぐっ——!」


 息が詰まり、視界が跳ねた。


 体が宙に浮く。


 次の瞬間、冷たい感触が全身を包み、レイジは小川に叩きつけられた。


 浅瀬で助かったが、肺に冷水が入り、喉が焼けるように痛む。


 どうにか身を起こすと、木剣が手元にないことに気づいた。


「くそ、剣もない……」


 足元の泥を踏みしめながら、川縁に這い上がる。


 心臓が早鐘のように鳴り、呼吸も荒い。


 次の一撃が来るかもしれない。


 レイジは反射的に腰を低くして警戒したが——敵の姿がない。


 橋の上に戻り、あたりを見渡す。


 風が吹き抜け、かすかにマントのはためく音がした。


 視線を左へ向けると、橋の向こう、路地の奥を駆けていく黒い影が見えた。


「おい、待てって!」


 喉を張り裂けるほどの声を上げたが、返るのは風の音だけ。


 痛みと疲労で足が思うように動かず、体が重い。焦りだけが空回りしていた。


 その時、上方から金属の擦れる音がした。


 見上げると、屋根の上を疾走する影——コーダだ。


 ワイヤーを伸ばし、ひらりと橋の手前に着地した。


「少年、立てるか」


「コーダさん! いたなら助けてくださいよ。僕、対人戦は初めてだったんですよ!」


 情けなく聞こえる声が自分でも分かった。


 だが、コーダは涼しい顔のまま息ひとつ乱していない。


「なんだ。また言い訳か? 立てないなら休んでいろ。私が追う——」


 短く言い捨てると、ワイヤーを伸ばして進行方向の建物に引っかけ、身体を宙に投げ出した。


 ブランコのように勢いをつけ、そのまま夜空を切り裂いていく。


 レイジはその背中を見上げながら、拳を握った。


 ——結局、足手まといか。


 悔しさが喉を詰まらせた。


 * * *


 十分ほど経った頃、ようやくレイジの呼吸は整い、荒ぶっていた鼓動も落ち着きを取り戻していた。


 冷たい夜風が濡れた髪を揺らし、肌を刺す。痛みよりも、情けなさが胸に残っていた。


 ——これが、力量の差ってやつか。


 人攫いを不意打ちで倒したときは、自分も案外やれると思っていた。


 けれど、正面からの戦いになればこうも無力だ。


 剣の腕も、反応も、戦場で生きる感覚も、まるで別次元。


 ようやく理解した。自分はまだ“戦える側”じゃない。


 レイジはため息をつき、濡れたシャツを脱いで絞った。


 冷たい水がぽたぽたと地面に落ちる。そんなとき、奥の路地から足音が戻ってきた。


「コーダさん、あいつは……?」


「すぐに追いついて交戦したが、隙を見て逃げられたよ。逃げ足の速いやつだ」


 レイジは振り返り、コーダの姿を下から見上げた。


 息も乱れていない。制服には泥一つついていない。


 まるで散歩の帰りのように静かな足取りだった。


 ——この人、本当に人間か?


 心の中で思わずつぶやく。


 小隊長という肩書きがこれほど重いとは。


 それとも、この人が特別なのか。


「そうですか。似顔絵を見せた途端に攻撃してくるもんだから、驚きましたよ」


「初めから似顔絵を使うべきだったな。ほら、行くぞ」


「行くって……どこにですか?」


「こいつだ」


 コーダが手を差し出す。


 だが、掌には何も握られていないように見えた。


 レイジは眉をひそめ、彼女の手と顔を交互に見比べる。


「なんです?」


 コーダは小さくため息をつき、眉をしかめた。


「見えないのか? こいつだ」


 手首を軽くひねった瞬間、月明かりに細い線が浮かび上がった。


 まるで蜘蛛の糸のように、淡く光る一本の線。


「これって……糸ですか?」


「言っただろう、交戦はしたと。逃げられる前に、私の魔力がこもった糸を結んでおいた」


 レイジは思わず息をのんだ。


 一瞬の戦闘で、逃走を予測して追跡の準備まで済ませていたというのか。


 それをやってのける冷静さと精密さ。——やはり桁が違う。


 コーダはもう、レイジの視線など気にも留めず、糸の先を静かに見据えていた。


 その横顔はまるで何かに“聴いている”ようでもあり、わずかな風の揺れさえ情報に変えてしまいそうな集中力を帯びている。


 レイジは濡れたシャツを着直し、袖を通す。生地が肌に張り付き、ひやりと冷たい。


 そんな彼の隣で、コーダが手繰る糸を追うように歩き出した。


「そうだ、僕、剣がなくなったんだ」


 ふと思い出したように言うと、コーダは淡々と答えた。


「折られていたな」


 たった一言。


 それだけで、彼女が戦いを細部まで見ていたのだと理解できた。


 戦闘中、助けに入ることもせず、冷静に観察していた——あくまで“隊長”として。


「よく考えたら、木剣と真剣じゃ勝てるわけないですよね。……そういえば、コーダさんって剣、持ってないんですね?」


「ああ。必要ないからな。もちろん使えないわけではない」


「必要ない、って……。でもワイヤーだけだと、接近戦とか困りませんか?」


「困らないな」


 あっさりと断言された。


 その声音には、戦闘に対する恐れや不安がまるで存在しない。


 まるで、「呼吸と同じ」程度の感覚で戦っているようだった。


「キミ、魔圧撃マナスティルを使っていたな。その歳で大したものだ」


「僕、これしか使えなくて」


 情けなく笑って返すと、コーダはふっと口の端を上げた。


 その表情はどこか優しげで、けれど底が見えない。


魔圧撃マナスティルの原理を理解しているか? 刀身に薄く魔力を張り、振りかぶると同時に放つ。イメージできれば、なんてことはない」


「へえ、そういう仕組みなんですね」


「なんだ、知らずに使っていたのか?」


「はい。使えるけど、理屈はあんまり……」


「原理が分かれば応用も効く。——究極、剣を持つ必要もない」


 そう言うや否や、コーダは正面に向かって軽く手刀を放った。


 その瞬間、風が裂ける。


 目に見えるほどの衝撃が走り、数メートル先の木箱が粉々に砕け散った。


「……は? なんでもありじゃないですか、それ!」


 レイジは思わず声を上げた。


 衝撃波が空気を震わせる。音が遅れて耳に届き、遅れて心臓が跳ねた。


 コーダは涼しい顔のまま、砕け散った木片の向こうを見つめていた。


「ここまでできるようになれば、魔力操作のプロフェッショナルだな」


 その声音には誇りも自慢もなかった。ただ、事実を述べているだけ。


 レイジは一瞬、背筋がぞくりとした。


 ——この人は、どこまで人の領域に踏み込んでいるんだろう。


 冷たい夜風が再び吹き抜ける。


 糸が風に揺れ、二人の進むべき先を指し示していた。

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