表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/87

#027

 令嬢が姿を消した大通りから一本外れた細い路地。


 石畳はところどころ割れ、灯りもほとんど届かない。


 かすかに湿った風が鼻を刺す。酒、油、そして人の怯えが混ざったような、嫌な匂いが漂っていた。


 この辺りに足を踏み入れると、空気そのものが変わる。


 笑い声も、馬車の音も遠くに霞んで、聞こえるのは足音と、自分の呼吸だけだった。


 (……まあ、治安のいい場所ではないよな)


 胸の奥で小さな不安が膨らむ。


 それでも、どこかでコーダが見ているという確信が、ぎりぎりの心の支えになっていた。


 いざというときは、あの人がすぐに飛んでくる——そんな予感があるだけで、ほんの少しだけ勇気が出る。


 レイジは通りすがりの人影に声をかけた。


「すみません、少しお聞きしたいんですが——」


 しかし、振り向いた相手は怪訝な表情を浮かべ、足早に去っていく。


 二人、三人と続けて声をかけても、結果は同じだった。


 (……ダメか)


 思い返せば、初めてこの街で聞き込みをしたとき——火事現場を探していた、あの黄昏時はまだ運が良かったのかもしれない。


 今は夜。しかも、子供の姿をした自分が「人を探している」と言っても、警戒されるのがオチだ。


 ため息を吐き、レイジは踵を返して大通りに戻った。


 そのとき、頭上の闇を裂くように、細い音が響く。


 見上げれば、月明かりを背にコーダが民家の屋根からワイヤーを滑らせて降りてきた。


 銀髪が風を切り、地面に着地するまでの一連の動作は、まるで訓練された獣のようだった。


「少年、どうした?」


 コーダの声には、咎めるよりも呆れが混ざっている。


 レイジは頭をかきながら、正直に打ち明けた。


「よく考えたら、深夜に子供が“人を探してる”って声かけてたら、怖いですよね。避けられてる気がします」


「言い訳をするな」


 淡々とした一言。だがその後、少し間を置いてコーダは言葉を続けた。


「……とはいえ、聞き込み手段に工夫は必要だろうな」


 そう言って、彼女は胸ポケットから例の紙ナプキンを取り出す。


 白地に走る、あの“芸術的”な線画。


「ええ……余計わからなくなりますよ?」


「いいからこれで聞き込みしてみるといい」


 レイジは渋い顔でそれを受け取った。


 指先に触れた紙は、まだ温かかった。


 彼女がさっきまでそれを握っていた温度が残っている。


「了解です……けど、絶対逆効果ですよ」


 わざとらしくため息を吐き、肩をすくめる。


 そして、紙ナプキンをポケットにねじ込み、再び暗い路地へと足を踏み入れた。


 背後で、コーダの視線がわずかに動いた気がした。


 レイジは振り向かずに呟く。


 (ほんと、指揮官ってのは人使いが荒いな……)


 のそのそと裏通りに戻ると、さっきよりも人の気配が薄れていた。


 通りの端では、酔い潰れた男が路上に転がり、別の影が薄めた酒をすすっている。


 生きているのか死んでいるのかも判別がつかない——そんな光景が、夜の冷気とともに肌を刺した。


 (……これじゃ、聞き込みどころじゃないな)


 レイジは苦笑まじりに息を吐き、さらに奥へと足を進めた。


 路地の突き当たり、小さな川を跨ぐ石橋が見える。


 月明かりに濡れた石畳が白く光り、その中腹に、人影が一つ座っていた。


 川面を見下ろすような姿勢。


 全身を包んだマントで詳細は見えないが、男だ。


 大柄で、酔っているような様子もない。


 (……聞いてみるしかないか)


 レイジは慎重に距離を詰めた。


 靴音が水音にかき消される。


 その静寂の中で、喉が乾くような感覚を覚えながら、声を絞り出した。


「すみません、つかぬことをお伺いしますが——”この少女”を探してるんです。見かけたり、何かご存知じゃないですか?」


 紙ナプキンを差し出す。


 男の視線が、わずかに動いた。


 レイジの顔と、ナプキン。


 その“往復”はほんの一瞬。だが、次の瞬間には空気が変わった。


 風が止み、世界が張りつめる。


 男の体が、爆ぜたように動いた。


 腰を上げるより早く、片足がレイジの腹部を捉える。


「——っ!?」


 視界がぐるりと反転する。


 気づけば、夜空が見えた。


 蹴りの衝撃で体が宙を舞い、地面に叩きつけられる直前で、反射的に受け身を取る。


 着地と同時に、木剣を抜いて構えた。


 呼吸よりも早く、訓練された動きが体を走る。


(なにが起こった⁉ あの絵で……? まさか、手がかりを掴んだとか、そんなオチじゃないよな⁉)


 皮肉にも、あのナプキンを見た直後に襲撃されたのだ。


 息を整える間もなく、敵はもう動いていた。


 男はレイジに背を向け、橋の対岸へ走り出している。


 橋桁を蹴り、信じられない速度で距離を取っていく。


「逃がすか——!」


 木剣を両手で構え、魔力を一点に集中させる。


 血管を走る熱が、剣の先端へと収束するのを感じた。


「——魔圧撃マナスティル!」


 振り抜いた瞬間、空気が爆ぜた。


 剣先から放たれた青白い衝撃が一直線に伸び、夜の静寂を裂いていく。


 石畳の上を滑るように走った光が、駆ける男の背へと迫る。


 だが、男の動きは速かった。


 背後に殺気を感じたのか、足を止めて踵を返す。


 マントの裾が大きく翻り、その内側から金属の光が覗いた。


 次の瞬間、そこから“ぬるり”と剣の柄が現れた。


 人間が携行できるとは思えないほどの厚みと長さを持つ大剣が、闇を裂いて姿を現す。


 (どうなってんだよ、あのマント……異空間収納でもしてるのか?)


 心の中でツッコミを入れながらも、レイジの体はもう次の動きに備えていた。


 男が腰をひねり、唸るように大剣を一閃。


 ——衝撃波が弾かれた。


 レイジの放った魔圧撃が、あっさりと大剣に弾かれて跳ね返ってくる。


 空気がうねり、音が遅れて鼓膜を叩く。


「うそだろっ⁉」


 反射的に身を低くし、石畳を転がる。


 直後、さっきまで立っていた場所に青白い衝撃が炸裂した。


 地面が抉れ、破片が顔に当たる。


 (コーダさん……どこ見てるんだよ! 戦闘始まってるんですけど!?)


 周囲を探るが、彼女の姿はない。


 ——やはり、指揮官は“見る側”なのだ。


 現場の泥は、兵がかぶる。


 レイジが木剣を構え直すと、男が踏み込んできた。


 石畳が割れるほどの踏み込み。


 その勢いのまま、巨大な剣が振り上げられる。


 息を飲む暇もなく、剣が落ちる。


 レイジは木剣を交差させて受けた。


 腕に伝わる衝撃が骨を震わせる。


「ぐっ——!」


 だが、刃の質量が違いすぎた。


 金属と木が噛み合う鈍い音のあと、木剣が悲鳴を上げる。


 ——バキン、と乾いた音。


 レイジの手の中で、木剣はあっけなく真っ二つに折れた。


 破片が宙を舞い、夜気の中でひらひらと落ちる。


 男の影がその背後に立ちはだかる。


 (マズい……! 武器がない!)


 喉の奥が乾く。


 それでも、目だけは死んでいなかった。


 レイジは残った木の柄を握り直し、わずかに体を沈めた。


 次の一撃が、いつ来ても対応できるように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ