表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/87

#026

 レイジは両手でカップを包み込み、ゆっくりと口をつけた。


 焙煎された豆の香りがふわりと鼻腔を抜ける。


 暖かさが手先に伝わり、夜の冷えがふっと和らいだ気がした。


 コーダは無造作にテーブル隅のシュガーポットを手に取り、小さなトングで一粒、カップに砂糖を落とす。音もなく静かな所作だが、どこか几帳面さが滲む。


「次のターンだが、やはりキミの言った通り、誘拐や何かしらの事件に巻き込まれた線へ本格的にシフトしよう」


 コーダは手元のナプキンへ簡単に周辺の地図を書き込むと、指で辿りながら続ける。


 トングが再び動き、砂糖がひとつ、またひとつと落ちていく。


「例えば、この近辺で最近動いている組織や危険人物はいるか?」


 問いかけと同時に、コーダはカップにもう一つの砂糖を加えた。


 レイジは考え込み、素直に口を開く。


「そうですね……思いつくのは、『片手剣のバロック』っていうやつです。この辺りで注意人物として噂になってて、騎士団も警戒しているらしいです。実は僕の家族も別件で人攫いに捕まったことがあって……この辺、栄えてますけど危ないと思います」


 バロック――その名はレイジの頭にも引っかかっていた。


 鋭い噂話の断片、街角で交わされる小声。


 コーダは紙ナプキンに短くメモを走らせる。


「なるほど、『片手剣のバロック』……人攫い、か」


 コーダは呟くように言い、また砂糖を一つ加える。慎重な調整だ。


「聞き込みは、しているんですか?」


「もちろん部下を手配して動いている。しかし、ここ(イリュド)での聞き込みは難しい」


 その言葉を聞き、レイジの脳裏に病院で目覚めた初日の光景が浮かぶ。


 焼けた孤児院の場所を問えば無視され、冷たい視線が返ってきたあの記憶だ。


 誰も信用してくれないという現実が、胸の奥にざわりとした感触を残す。


「だいたい読めました。つまり、現地人の僕に聞き込みさせると」


 自分の立場を逆手に取る形で、レイジは言った。


 コーダは短く笑みを漏らした。


「賢くて助かる。騎士団が声をかければ皆、警戒して口を閉ざす。まさにキミにしかできない仕事だ。キミの目線で街を歩けば、見えないものが見えてくる」


 その言葉に、レイジの胸の鼓動が少しだけ早くなる。


 役割が与えられた実感。怖さと、どこかで小さな誇りが混じる。


 コーダは最後に一粒、砂糖を加えた。


 カップの中で五つめの白い粒が溶け始める。


 レイジは呆れ顔で呟く。


「って、一体何個砂糖入れるんですか」


 コーダは無表情のまま答えた。


「愚かだな。たくさん入れないと、苦いだろう」


 その一言に、レイジは思わず小さく笑ってしまった。


 深刻な計画と、夜の喫茶店のほんのりした甘さ。


 二つの温度が混ざり合い、彼は覚悟を新たにカップを手に取った。


 * * *


 二人は喫茶店を出て、アークレーンの街を歩いていた。


 街灯がぼんやりと石畳を照らし、湿った夜気の中で靴音だけが響く。


 騎士団本部から少し離れたこの地区は、人通りも少なく、どこか陰のある静けさを纏っていた。


「リコッタ嬢を見失ったポイントまで移動してきたわけだが——」


 コーダが立ち止まり、周囲を一瞥する。


 その視線の鋭さに、レイジは思わず息を飲んだ。


 彼女は夜の街を“現場”として見ている。


 雑踏も、灯りも、全部を情報として計算しているようだった。


「さて、周辺でキミはこの似顔絵をもとに聞き込みをする。強引に連れ去っていれば、騒ぎになっているはずだ」


 差し出された紙ナプキンには、あの独特すぎる筆跡で描かれた人物画。


 ……いや、人物と言っていいのかすら怪しい。


 レイジは鼻の付け根にしわを寄せ、そっと紙を押し返した。


「似顔絵は結構です。だいたいの見た目を教えていただければ……」


「なぜだ? 似顔絵がある方が効率がいいだろう」


(いや、むしろ逆だよ……)


 あの絵を見せたら、困惑される未来しか見えない。


「芸術的すぎて一般人には理解できませんよ。髪の色と背丈を教えてください」


「そうなのか……。ブロンドヘアーで、身長は君より少し低いかな。レイジ少年、これを」


 コーダが懐から取り出したのは、小さな金属製の器具だった。


 レイジはそれを受け取り、しげしげと眺める。形状がどこかヘッドセットを思わせた。


 曖昧な記憶の奥で、騎士団員たちが似たものを装着していた映像がかすめる。


「なんです? これは」


「魔導式の通信装置だ。騎士団では任務中の指示や連携に使用している」


 言われるままに装着してみると、ひやりとした感触がこめかみに伝わる。


 体内で何かが反応した気がしたが、しかしそれだけだった。


「これでいいんでしょうか?」


「それでいい。魔力に反応して特定の相手に念を飛ばすんだ」


「……で、どうやって使うんでしょう?」


「装着しているだけで使えるはずだが?」


「何も聞こえないんですけど」


「おかしいな。君の声も聞こえない」


「便利そうなのに、故障でしょうか?」


 互いに首を傾げたまま、微妙な沈黙が落ちる。


 せっかくのハイテク機器も、動かなければただの金属だ。


「仕方ない。私は少し遠くからキミを見ておくから、何か情報があれば合図をしてくれ」


 レイジは苦笑しつつ、通信装置を外してコーダに返した。


 魔導式だろうが最新型だろうが、結局は使う人間次第——そう心の中で呟く。


 彼の視線の先では、街灯の下でコーダの銀髪がほのかに光っていた。


 その背を見送りながら、レイジは息を整える。


 ——ここからが本番だ。自分の足で情報を掴まなければ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ