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#024

 レイジの小さな体は、夜気を切り裂きながら落ちていた。

 風圧で髪が逆立ち、頬を刺すような冷たさが肌を打つ。


 だが——不思議と恐怖はなかった。


(これは……終わったな)


 体が地に吸い寄せられていく感覚の中、思考だけが妙に冷静だ。


(来世はイケメンでチート持ちだといいな。できればスキル付きで)


 そんな場違いな願望を抱きつつ、せめて衝撃を和らげようと膝を抱える体勢を取った瞬間——

 足首に、何かが“引っ掛かる”感覚。


「——はい!?」


 ぐいっと上へ引かれる。

 反動で体が持ち上がり、空中で数回、振り子のようにプラプラと揺れた。

 足元に視線を向けると、足首にワイヤーのような線が絡みついている。


 風の唸りの中、金属が軋む音。

 どうやら誰かが助けてくれたらしい。


 じわじわと上へ引っ張り上げられていく感覚に合わせて、レイジは身体を安定させる。

 視界の端に、鉄塔の足場が近づいてくる。


「少年、意識はあるか?」


 澄んだ女性の声が、上方から響いた。


「はーい、大丈夫です!」


 腹から声を出し、聞こえやすいように返事をする。

 やがて足場の縁から、ワイヤーをたぐる影が見えた。


 その姿が月明かりに照らされるにつれ、救助者の顔がはっきりしていく。

 銀の髪が風に揺れ、淡く光を散らしている。

 整った輪郭に、切れ長の瞳。


 その女性は、騎士団の制服を身にまとっていた。


「危ないだろう。ここは立ち入り禁止のはずだ。鉄柵を乗り越えて侵入したのか?」


 レイジは頭を掻きながら答える。


「すみません、僕、字が読めなくて」

「……そうか。やはりイリュドの識字率は課題だな」


 彼女は小さく息をつき、しかし声は柔らかかった。


「身を守りたいのなら、まず読み書きを覚えることだ」

「はい。身に沁みました」


 ようやく足場に着地すると、足首に巻きついていたワイヤーがするりと解け、彼女の袖口に吸い込まれるように戻っていった。


 どうやらそれが彼女の固有技らしい。


「私はコーダ・エイルフォード。騎士団の小隊長を務めている。——君は?」

「僕はレイジっていうみたいです。ちょっと……その、景色を見たくて」

「景色?」


 コーダは片眉を上げる。


「この街など見て何になる。夜景が特別美しいとも思わないが」

「そうなんですけど、それって“ここから見た人”の感想じゃないですか。僕、こんな高い建物に登ったことなくて……どんな景色なのかなって」


 言葉を選びながら、レイジは笑った。

 コーダはわずかに目を細め、ほんの一拍置いてから口を開く。


「それもそうだな。だが——好奇心というものは、時に人を茨の道へ誘う。身をもって学んだだろう」

「はい。もう来世のことまで考えてました」


 その返答に、コーダの口元がかすかに緩む。

 夜風に紛れて、ほんの一瞬だけ、笑みの気配が見えた。


「しかし、ケガがなくてよかった」


 レイジは苦笑しながら軽く頭を下げた。

 鉄塔の上を渡る夜風が、頬をかすめる。

 冷たいはずなのに、どこか優しさを感じた。命の恩人と向き合っているせいだろうか。


「コーダさんは、なぜここに?」


 問いかけると、彼女は腕を組み、風に髪をなびかせながら淡々と答えた。


「理由は二つ。一つは——この立ち入り禁止区域で梯子を上っている君を目撃したからだ。もう一つは……人探しをしている」


 見られていた。レイジは内心で顔をしかめる。まさか登り始めから監視されていたとは。


「そ、そうですか……。それで、人探しって?」


 あえて話題を転換する。恥を掘り返したくない。


「君、騎士団に知り合いはいるか?」

「え? あー……剣の師匠が、小隊長なんですけど」

「そうか」


 コーダは小さくうなずき、声をひそめた。


「なら、絶対に口外しないと約束してくれるなら——理由を話してやろう」


 どこか意味深な口ぶりにレイジは即座に食いついた。


「訳アリってやつですね。僕、口は堅いですよ」


 これはチャンスだ、と心の中でレイジは拳を握った。

 騎士団の内部任務に協力できれば、報酬や人脈の足がかりにもなる。

 コーダは少し遠くの街灯を見つめながら、淡々と語り始めた。


「私は普段、《王都》で任務に就いている。今回ある令嬢の護衛を任されていてな。ところがその令嬢が“イリュドに行きたい”と言い出して——わざわざ馬車を出し、観光気分でここまで来たのだ」


 声にはわずかな疲れが滲んでいる。

 その続きを予想し、レイジが口を挟む。


「もしかしてその令嬢が、いなくなったとか?」

「ああ」


 コーダは頷き、夜風に細い息を吐く。


「人生で初めての失態だ。見失わないよう、念のためワイヤーで繋いでおこうと思ったのだが……なぜか暴れて逃げてしまってな」


 ……なるほど。


 レイジは一瞬、沈黙した。


(いや、それ絶対ワイヤーが原因だろ)


「……たぶん、それが原因ですよ」


 思わず本音が漏れた。

 コーダは首を傾げ、まるで問題点が理解できていないような顔をする。


「なぜだ? 安全確保のつもりだったのだが」


 レイジは内心でため息をついた。

 どうやらこの人、強そうだけどちょっとズレている。

 コーダはふと空を見上げ、街を見渡した。


「それで、ここなら街全体を見渡せると思ったのだ。部下に四方を捜索させているが、未だ手がかりなしだ」


 レイジは少し考え、口を開いた。


「……コーダさん、僕、手伝いましょうか?」


 コーダは静かにレイジを見つめ返す。

 その灰銀の瞳が、月光を受けてわずかに揺れた。


「子供に協力を仰ぐなど、本来あってはならないことだが……」


 一拍置き、彼女は柔らかく息を吐く。


「私はここの土地勘もないし、現地人であるキミの視点が役に立つかもしれないな。よし——ここは騎士団としてではなく、私個人の一時的なパートナーとして協力してもらおうか」


 レイジの胸に、得体の知れない高揚が走る。


「さっき命も救われましたしね。よろしくお願いします、コーダ小隊長」

「小隊長はいらん」


 コーダは口元をわずかに緩める。


「言っただろう? 私個人のパートナーだと」


 風が止み、鉄骨の間に静寂が落ちた。

 ほんの一瞬、夜の街が二人だけの世界になったように感じた。

一部修正をしました。

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