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#017

「……また騎士団かよ」


 スーツの男は小さくつぶやき、口元を歪めた。

 その笑みは、まるで面倒な相手に出くわしたというよりも、愉しみを見つけた人間のそれだった。

 ヘルマンは反射的に剣先を向けつつ、視界に割り込んできた影を見て目を見開く。


「ミカ……どうしてここに」


 炎の残光を背に、そこに立っていたのは――部下、ミカ・アルドゥーネ。

 数週間前、鼠型魔獣の件以降。休職していたはずだ。

 確か、故郷に帰ると聞いていた。それなのに、なぜ今――。


「隊長、本日より――ミカ・アルドゥーネ、復職いたします!」


 彼女は背筋を伸ばし、宣言するように言った。

 そして、緋炎に染まる太刀を一閃。


 その斬撃は眩い火花を散らしながら、男を吹き飛ばすほどの威力を秘めていた。

 焦げた風が二人の間を駆け抜ける。


「武器から炎……《元素術エレメントアーツ》の類だな。めんどくせえ」


 男が舌打ち混じりに呟き、襟元の灰を払う。

 その目がわずかに鋭くなった。警戒の色だ。

 ミカは口角を上げ、太刀を軽く振るった。


「これ、打ち直したばかりだからさ。いい練習台になってくれると嬉しいんだけど――」


 炎が爆ぜた。

 刀身が灼火のように赤く染まり、瞬く間に路地全体を照らす。


「――焔閃えんせんッ!」


 閃光のような横薙ぎ。

 斬撃が火線を描き、敵の前を駆け抜けた。

 反応が遅れた男は防御に徹し、蹴りで炎を払うも、熱波が肌を焼く。


 軽口を叩いていた余裕はもうない。

 ヘルマンはその様子を冷静に観察していた。


(この狭い路地じゃ、大剣より太刀のほうが動きやすい……ミカが来てくれて助かった)


 彼女の攻撃範囲と俊敏さが、この環境では圧倒的に有利だ。

 炎が敵の視界を奪うたび、ヘルマンの体は自然と次の一手を探して動き始めていた。


 ――いける。


 今なら、形勢は完全にこちらに傾いた。

 ミカの火線が敵を押し込み、男が一瞬だけ守勢に回った。


 その一瞬――戦場の経験で培った“隙”を、ヘルマンは逃さない。

 左肩から血が滴り落ちるのも構わず、右腕に力を込める。

 筋肉が悲鳴を上げても、意識は冷静だ。


 今、決めるしかない。


 ミカの太刀筋が再び閃く。

 赤熱の弧を描いた斬撃に、男は後退しながら跳躍した。

 屋根に逃げるつもりだ。


 だが、空に逃げ場はない。

 ヘルマンは地を蹴り、月明かりを切り裂くように跳躍した。

 左腕の痛みが裂けるように走るが、構わず大剣を振りかざす。


「上空なら――振り回せるッ! 魔圧撃マナスティル!」


 魔力を帯びた一閃が唸りを上げ、風圧が空を裂いた。

 狙いは正確、当たれば確実に仕留められる距離――そう思った瞬間、斬撃と男の間に“何か”が割り込んだ。


 黒いローブ。顔を仮面で覆った人物。

 月光を浴びても、その存在は闇そのもののように輪郭が掴めない。


 その人物は、軽く振るった小型ナイフ一つで、ヘルマンの魔圧撃を弾き返した。

 空気が震え、魔力が散る。信じ難い反応速度だった。


「派手にやりすぎですよ、《観測者アナライザー》」


 ローブの人物はそう言うと、上空で体勢を変え、スーツの男を容赦なく回し蹴りで屋根へと叩きつけた。

 軽い動作のはずなのに、鈍い衝撃音が辺りに響く。

 まるで“叱責”のような一撃だった。


「……向こうも増援みたいですね。でも隊長、まだ二対二です」


 ミカが息を整えながら言う。

 だが、ヘルマンの表情は険しいままだった。


「いや……ミカ」


 彼はゆっくりと息を吐き、声を低く落とす。


「俺たちの負けだ」


 その声音に、ミカが眉をひそめる。


「そんな弱気でどうしたんですか。隊長らしくないですよ」

「違う。――もう囲まれている」


 その言葉と同時に、ミカの視線が上を向いた。

 周囲の屋根の上に、同じ黒いローブの影がいくつも、いくつも現れていた。

 月光に照らされる仮面の群れが、不気味な静寂をもって二人を見下ろしている。


 十や二十ではない。もっと多い。

 気配を完全に殺していた……気づけなかった自分が、ヘルマンには悔しかった。


「いつの間に……」


 ミカが呆然とつぶやく。太刀を下げ、静かに後退した。

 ローブの人物が一歩、前へ。

 声は穏やかだが、確かな威圧が混じっていた。


「ご迷惑をおかけしました。ここは引かせていただきます。――できれば、もう二度とお会いしたくありませんがね……ヘルマン・クロス小隊長」


 その名を呼ばれた瞬間、ヘルマンの背筋が粟立つ。

 こちらの情報は、完全に握られている。


「……こっちの情報は筒抜けか」


 低く、唸るように呟いた。

 ローブの人物は何も答えず、気絶したスーツの男を片腕で担ぎ上げた。

 その軽々とした動きが、戦闘力の差を雄弁に物語っている。


「さようなら――」


 その言葉を最後に、彼らの姿は音もなく霧散した。

 残されたのは焦げた石畳と、夜風に漂う金属と血の匂いだけだった。


 ヘルマンは剣を下ろし、深く息を吐いた。

 血の味が喉に広がる。呼吸を整えながら、背中を伝う汗が冷えていくのを感じた。


 ――敗北ではない。だが、勝てなかった。

 戦場の終わりというものは、得てしてこうも静かなものだ。


 つい先ほどまで衝突していた魔力の残滓が空気に溶け、街の灯りが再び穏やかに揺れ始める。

 焦げた石畳の上に立ち尽くすヘルマンの耳に、ようやく人の声が戻ってきた。


「なんなんでしょう、やつら……」


 隣で、ミカが小さく息を呑みながら呟いた。


 さっきまで彼女の刀身を包んでいた炎も消え、ただ夜風が二人の間を通り抜ける。

 辺りを覆っていた異様な威圧感が消え、現場は一転して静寂に包まれていた。

 路地の奥では、瓦礫が小さく崩れる音だけが響いている。


「ミカ、助かった。どうしてここがわかった?」


 ヘルマンは声を落としながら問う。


「帰省から戻って大通りを歩いてたら、イチくんがフラフラしてたんですよ」


 ミカは太刀を鞘に戻しながら、息を整えた。


「声をかけたら、隊長が路地に入って出てこないっていうから……見に来ちゃいましたっ!」


 ヘルマンは思わず苦笑し、首を軽く振った。


「そうか。(イチは巡回せずにフラついてたのか……後で指導だな)」


 戦闘の余波を確かめるように、彼はゆっくりと辺りを見回す。

 瓦礫の山、ひび割れた壁、そして血痕。


 だが――そこにあるはずのものが、跡形もなく消えていた。

 異形化した男の遺体。

 つい先ほどまで、この場に転がっていたはずのそれが、跡形もない。


(……上に気を取られすぎて、証拠は回収された。こりゃどう報告しても信憑性はないな)


 あの瞬間、誰かが手際よく動いた。あの集団か、それとも別の監視者か。

 考えれば考えるほど、背筋に冷たいものが這い上がってくる。

 ミカが不安そうに顔を向ける。


「隊長、これ……どう報告します?」

「本部への報告は俺がする。お前はイチを呼んできてくれ」


 淡々とした声だったが、そこには明確な警戒がにじんでいた。

 そう言いながら、ヘルマンはもう一度だけ夜空を仰いだ。

 月光が薄雲に覆われ、路地の闇がいっそう深くなる。


 ――これは、ただの事件では終わらない。


 胸の奥に、静かな確信だけが残った。


 そしてヘルマンは、剣を握る手に再び力を込めた。

 それは、騎士としての覚悟を確かめるような仕草だった。

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