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10:『探索パートに入った途端』

 アークレーン市街地――。

 夜間の怪しさとは対照的に、昼間は商店街に活気が満ちていた。

 屋台から立ちのぼる湯気や香辛料の匂い、客を呼び込む声、買い物袋を抱えた人々の姿。

 そうした雑踏の中を、レイジは特に目的もなく歩いていた。


 異世界の街並みを観光するように目を輝かせてはいるが、現実的な悩みもあった。


「さて、商店街に出てきたけど、どうするべきか。治療費も払わないといけないしな」


 誰に言うでもなく、ぽつりと口に出す。

 目覚めた日にヴァネッサから請求されている治療費は、一切減っていない。


 両手を後頭部に組み、軽い足取りで口笛を吹きながら歩くその姿は、傍から見れば呑気な子どもにしか見えないだろう。

 けれど心の奥底では、借金がある現実を思い出し、ほんのわずかに眉を寄せた。


 子供の身体では真っ当な仕事に就けそうもないし、かといって危ない仕事を選ぶ気にもなれない。

 考えれば考えるほど「面倒だ」という結論に至ってしまう。


 しかし、この世界というのは見れば見るほど、かつて熱中していたであろうRPGやファンタジーの舞台にそっくりだった。

 石畳の街路、木組みの家々、耳慣れない商人の呼び声。

 まさに異世界テンプレとでも言うべき光景だ。

 少なくとも、街角に見かける水道管や電線のような近代的なライフラインを除けばの話だが。

 あの妙な違和感さえなければ完璧だったろう。


 明確な記憶は欠け落ちているのに、ゲームや物語で見た知識だけはふとした瞬間に思い浮かぶ。

 レイジ自身も首をかしげたくなるくらいに、都合よく切り貼りされた記憶の断片だった。


「ファンタジー……金策……そうだ! その手があったか!」


 閃いた瞬間、レイジは胸が弾むのを抑えきれず、勢いよく石畳を蹴った。

 頭の中ではRPGのファンファーレが鳴っている。

 狭い裏路地へと迷いなく足を運び、まるで導かれるように走っていく。


 数分もしないうちに、彼の視界に目的らしきものが飛び込んできた。

 それは、今にも壁が崩れ落ちそうな一軒の廃屋。

 窓は割れ、屋根は傾き、誰が見ても「近づくな」と言わんばかりの雰囲気を漂わせている。


「なんで今まで気づかなかったんだろう。宝箱理論じゃないか!」


 彼はひとりごとのように声を上げ、ひとりで納得する。

 宝箱理論——冒険の途中、ダンジョンに置かれた宝箱からアイテムを回収し、不要なものを売り払って金を作る。

 ゲームでは定石の金策である。

 だが、現実のこの世界で同じ理屈が通用するのかは分からない。

 常識で考えれば、ただの窃盗に他ならないだろう。


 それでも、胸の高鳴りは抑えられなかった。

 レイジは浮足立つように廃屋へと踏み込み、乱雑に積まれた残骸を物色し始める。

 右を見ても左を見ても、荒れ放題の空間に人の気配はない。

 しかし、思っていたより荷物が多いことに気づいた。


 さび付いた剣、取っ手の外れた盾、埃をかぶった木箱。

 どれも冒険の舞台装置のように見える。

 ひとつ木箱を選び、蓋をこじ開けてみる。


 中には腐った食べ物と、使い古された空き瓶。

 鼻をつんざくような腐敗臭が一気に広がり、レイジは顔をしかめた。


「うわ……これはハズレだな。まあ、僕が主人公じゃないってことだ。はいはい、モブは当たりを引けませんよ」


 肩をすくめ、諦め半分に笑う。

 彼にとっては現実の失敗ですら、ただの“ハズレイベント”に過ぎなかった。

 そう思えば落胆も不思議と軽くなる。


 そのとき、視線の先に異質なものが映った。

 奥の壁際、埃をかぶった残骸の中で、そこだけが妙に整っている。

 真新しい布を雑にかけられた大きな箱状の物体。


「あれなんだろ。……めくった瞬間に食われたりしないよな?」


 ひとりごちる声は軽薄だが、足取りは慎重だ。

 RPG脳の冗談半分、現実的な不安半分。

 レイジはためらいがちに指先を伸ばし、布の端を掴む。


 えいやっと勢いよく剥いだ。


 布がはだけ、現れたのは檻だった。

 鉄格子の隙間から差し込む光の中で、ひとりの少女がうずくまっている。

 美しい金の髪が乱れ、足首には重々しい足枷。

 生気を失ったように動かず、ただそこに押し込められている。


「あー……面倒なことになりそうだ」


 思わず口をついたのは、呆れとも自己防衛ともつかぬ軽口だった。


 それはこちらの声に一切の耳を貸さず、微動だにしなかった。

 まるで空気の抜けた人形のように、檻の隅でうずくまっている。


「全然動かないけど、死んでる?」


 冗談のように口にしつつも、レイジはじっと様子をうかがった。

 鉄格子の影が少女の頬を横切り、僅かに肩が上下しているのが見える。

 一定のリズム――呼吸はしている。


「ねえ、君。ここで何してるの? もしかして極度の引きこもりなの? 自ら檻の中に入ってみた。みたいな?」


 そんなはずがないとわかっていながら、どこか茶化さずにはいられない。

 軽口を叩いていれば、自分まで暗いものに呑まれずに済むような気がした。


 そのとき、少女の瞼が僅かに震え、ゆっくりと薄目を開ける。

 眼球が迷うように動き、ようやくレイジを視界に捉えた。

 だが、目が合ったにもかかわらず、彼女は依然として動かない。


 レイジはその沈黙の意味を理解した。

 ――この少女は、生きることをあきらめている。


 口元がわずかに引きつる。RPGの世界であれば”囚われのヒロインイベント”だが、現実は違う。

 自ら生きる意志がなければ、ただの惰性が続くだけだ。

 助けようにも、こちらから一方的に物語を動かすことはできない。


 冷静な計算と、言葉にならないもやもやが心の中で同居していた。

 そのとき、廃墟の外から人の気配がした。

 ――誰か来た。


 慌てて布をかぶせ、檻の隣に積まれた木箱の裏にあったちょうどいいスペースに身を沈める。

 心臓がわずかに跳ねる。足音と低い声が次第に近づいてくる。

 会話をしているということは、二人以上の人物だ。


 レイジはそっと木箱から頭を覗かせ、相手を観察した。

 やせ型で頭頂部の寂しい男と、よく肥えた男。

 このスラムでその体形なら、よほど金回りがいいのだろう。


 二人の会話が自然に耳に入ってきた。上等な品を手に入れた、路上で拾った、と。

 レイジの目が一点に止まる。――もしかしてあの少女のことなのか。

 つまり、人身売買。彼女はこのまま奴隷や変態のオモチャにされるのだろう。かわいそうに。


 ――路上で拾った?


 親の借金のカタで売られるのなら、古い慣習として多少の理屈は通る。

 昔はそういう話もあったとレイジの断片的な知識が囁く。

 しかし『路上で拾った』というのは別物だ。

 誘拐以外の何ものでもない。誰の意思も反映されていない。

 金策としては即効性があって合理的かもしれないが、倫理から言えば到底容認できない。


 苛立ち、そして焦燥感が、レイジの胸を突き動かした。

 面倒だけど――放っておけない。


 二人の会話が続き、まもなく商人が来るという。

 小さな身体で息を潜めつつも、決意が固まる。何か手を打たなければ――今、この瞬間に。

 レイジの視線はさび付いた剣を捉えていた。

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