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09:『ノッてるときの創作ほど楽しいものはない』

 レイジが病院で目覚めてから一か月。

 スラムでの生活にも、もうある程度は慣れてきていた。

 朝の冷たい空気の中で行うヘルマンとの早朝訓練も、今ではすっかり日課のように板についている。


 木剣が打ち合わされる音が、静かな路地に乾いた響きを刻んだ。

 ヘルマンが正面から木剣を振り下ろす。

 レイジは小さな体でそれを受け止め、両腕にずしりとした衝撃が走った。

 腕の骨にまで響く感覚に顔をしかめるが、なんとか堪える。


「こうなると普通は押し合いになる。純粋に力が強い方が勝つが、もう一つ攻めに転じる方法もある。何かわかるか?」

 低く落ち着いた声で問うヘルマン。


「えっと……攻めじゃなくて、一旦下がって距離を取るとか?」

 レイジは思いついた答えを口にする。


「やってみろ」


 レイジはバックステップで間合いを外した。だが、その直後。

 ヘルマンが一気に踏み込み、風圧すら伴う速さで距離を詰めてきた。

 木剣の先が首筋に触れ、ひやりとした感覚が走る。


「うわ……詰められちゃった」

 反射的に情けない声が漏れる。


「お前が下がれる距離ってことは、敵も簡単に詰められる距離だと理解しておかないといけない」

「じゃあ攻めに転じる方法ってなんなのさ!」

 思わず子供らしくごねてしまう。もっとも、見た目はどう見ても子供なのだから仕方がない。


 ヘルマンは木剣を軽く振り直し、静かに答えた。

「実戦じゃな、まず一撃を受けて相手の姿勢を崩す。その間に体重を乗せて踏み込み、相手の剣の軌道を殺すんだ。受け方は雑に受けるんじゃない、崩して返すための受け方だよ。致命傷をもらったら終わりだから、どこを受けてどこを残すか判断するのが肝だ」


「へえ、受けてから反撃するのか。いわゆる耐久戦ってやつだね」

 冗談めかして返しながらも、レイジの脳裏に浮かんでいたのは先日の大鼠との戦いだった。


 ――あのとき、ヘルマンは血を流しながらも剣を振り続けていた。

 何度も攻撃を受けても倒れず、最後には勝ちをもぎ取った。

 彼の言葉通り、それは「受けてから攻める」戦い方だった。


 レイジの視線が自然とヘルマンの背に向く。

 強さというのは、ただ速さや力で上回ることではなく、時にこうして「耐えること」にも宿るのかもしれない。

 だが同時に、彼は思った。


(――僕は、ああいう戦い方は無理だな。生理的に)


 木剣を下ろすと、朝の訓練もひと段落。二人は汗を拭いながら、短い静寂を味わった。


「じゃあ俺は仕事に行くから、昼間のうちにトレーニングメニュー済ませておくように」

「はあい」

 気の抜けた返事をしながらも、レイジは木剣を肩に担ぎ、カリナの待つ自宅へと戻っていった。


 * * *


 アークレーン地区の騎士団本部。

 その石造りの建物を、ヘルマン・クロスは重い足取りで再び訪れていた。

 先日の《鼠型魔獣殲滅》の報告書について、中隊長グレイから呼び出しを受けたのだ。


 扉の前で小さく息を吐き、気持ちを整える。

 深呼吸ひとつで誤魔化せるほど、自分は器用ではない。

 それでも、騎士である以上、動揺を見せるわけにはいかなかった。

 軽くノックをし、扉を開ける。


「グレイ中隊長、失礼いたします」


 中央のデスクに腰かける男が顔を上げる。

 分厚い髭を蓄え、獲物を射抜くような眼光を持つ——グレイ・クーガン中隊長だ。

 彼の手には、例の報告書が握られている。

 その紙束は、まるで証拠品のように重々しく見えた。


「おはよう、ヘルマン・クロス小隊長」

 低く響く声に威圧感がにじむ。

「さて、君が提出してくれたこの報告書——どういうつもりかな?」


 視線を逸らさず、ヘルマンは答える。

「現場で起きたことを、ありのままに記したまでです。”人の動きを模した魔獣”ということです」


「ほう」

 グレイは書類をぱらりとめくり、鼻で笑った。

「ようやく上がってきたと思ったら、君はいつから作家になったのかな?」


「……それが事実なのだから、仕方ありません」

 口にした声は揺らいでいない。だが、内心では自分の報告書を読み返すたびに苦笑していた。


「なるほど。そしてもう一つ確認なのだが——」

 グレイの瞳が細く鋭くなる。

「現場には魔獣しかいなかった、と。そういうことだね?」


「ええ、そうです」


「一切の虚偽は含まれないと、誓えるならば……これで受理しよう」


「もちろんです」


 そう言い切りながらも、胸の奥では重い鉛のような罪悪感が沈んでいた。

 実際は、任務終了後から悩みに悩んだのだ。

 ありのままを書くべきか、あるいは隠すべきか。

 報告書に向かうたび、書いては消し、また書き直した。

 気がつけば大学時代以来の参考書を引っ張り出し、表現を工夫するためにページをめくっていた。


 そうして出来上がったのは、我ながら出来すぎた「物語」のような報告書だった。

 虚構を織り交ぜ、しかし筋は通るように整えた。


 ——すべては、あの少年、レイジの存在を隠蔽するため。

 彼を守り、記録の中から消し去るため。


 それが正しい選択なのかどうか、ヘルマン自身にもわからない。

 だが、今はまだ、そうするしかなかった。


 沈黙が落ちた。

 紙をめくる音も呼吸の気配も消え、時間そのものが凍結したかのように、数秒がやけに長く感じられる。


 やがて、グレイが口を開いた。

「……わかった。では次の仕事だ」

 低い声が重く響き、分厚い資料束が机の上に置かれる。

「お前の小隊でこの事件を担当してほしい」


 ヘルマンは姿勢を正し、両手で資料を受け取った。

 表紙に大きく掲げられた文字が目に入る。


 ——《アークレーン地区における違法薬物流通の痕跡》。


 眉がわずかに動いた。

「違法薬物……?」


「噂の範疇を過ぎんよ」

 グレイは淡々と告げる。

「どれほど信憑性のある情報が集まっているのか、まずは事実確認だ。まとめて報告してくれ。期限は今週中でいい」


 資料の重みが、妙に手に食い込んだ気がした。

「了解しました。確認の上、報告いたします」


 頭を下げ、形式的に答える。

 胸の内では、安堵が広がっていた。


 ——事務仕事か。助かった。


 あの戦闘以来、ミカは休職を願い出て田舎へ帰省している。

 部下の顔ぶれは一人欠けたままだ。

 正直、今は人員を割いて危険な任務をこなす余裕はない。

 小隊長としても、一人の騎士としても、戦力不足を痛感していた。


 渡された資料の束は重い。

 しかし、それは剣戟でも血でもなく、ただ紙の重さにすぎない。

 その事実に、ヘルマンはわずかに救われる思いだった。


 * * *


魔圧撃マナスティル——!」


 レイジの木剣が空を切ると同時に、薄い魔力の刃が放たれた。

 鋭い衝撃波は一直線に飛び、大木の幹を浅く裂く。

 ぱきりと木肌が割れ、切り口から細かな木屑が舞った。


「……おお、真っすぐ飛んだ!」

 自分でも驚いたように目を見開き、すぐに笑みが浮かぶ。


「安定して飛ぶようになってきたな。これなら……もうすぐ実戦でも使えるかも」

 小さな胸が期待に高鳴る。


 レイジは基礎訓練をそこそこに済ませ、今は魔圧撃ばかりを繰り返していた。

 理由はただ一つ——あの夜の戦闘の記憶だ。


 思い出すのは、ミカが放った一撃。

 全身の魔力を無理やり引き絞るような、恐ろしく重く、凄まじい威力の斬撃。


 レイジにとって、それは理想の《究極奥義》そのものだった。

 目に焼き付いた衝撃は、時間が経っても色褪せることなく、むしろ鮮烈さを増している。


「まったく……あんな化け物みたいな威力を放てるのに、自分じゃ魔圧撃が使えないなんて……」

 木剣を振りながら、小さく笑う。


 ——不器用で、無自覚だな。


 レイジは本気でそう思っていた。

 自分のほうこそが無自覚であることに、少しも気づかぬまま。

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