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第七話

……彼は、乾いた土の上に横たわっていた。

気づいたら、そこにいたのである。


目を開け、まぶしさから太陽の方向から顔を背ける。すると周囲の風景が視野に入ってきた。


見覚えのない光景だ。荒野の彼方にうっすらと山脈が見える。だが特にアウトドア趣味などない彼にとっては本当に見覚えがない。


身体を起こし、軽く伸びをする。どのくらいの時間なのかは分からないが、固い地面に寝ていたためか、身体の節々が痛い。背中の痛みを和らげるために前方に身体を倒しストレッチをする。


ゆっくり身体をほぐしていると、頭もなんだかスッキリしてきた気がする。なぜここに寝ているのか、自分は何をやっていたのか……?


……!


思い出した。彼の脳裏に直前の記憶がよみがえったのだ。衝撃と共に。

彼は、うまくいかない生活を嘆いていた。やっと得られた仕事も辛く、自分より年下の上司に罵倒される毎日。営業回りで飛び込みをやらされるも成績は出なくて、朝から夜まで足を棒にして歩き回ったところで成果も出ず、歩合給もないから手取りも驚くほどに少なく、残業は記録されず一切給料に反映されない。でも要領も良くない彼には転職の当てもなく、毎日精神をすり減らし苦しい生活を送っていた。

ある日、そんなブラック企業からも解雇を言い渡される。人員整理でそれなりの一時金は出たが勤務年数が短いから退職金は出ない。再就職をしようとハローワークに通ったが、希望に添う企業からの求人は見当たらず、いよいよ精神は限界に達しつつあった。

彼は心から絶望し、自暴自棄に夜の街を彷徨う。コンビニで缶チューハイを数本買って一気に飲み干したところで管理の手違いで開いていた高層マンションの非常口に視線が向いて、そこから衝動的に侵入した。

長い非常階段を昇ってから屋上まで到達してから彼は、動転して意識がもうろうとしているままに建物の端にあるフェンスへと足を運んだ。

そして高さ40メートルほどあるそこから地面に身を投げたのだ。


衝動的だったので遺書を残したり靴を脱いだりといったよくある手順は省いていた。特に考えもせずフェンスを越えて清掃ゴンドラのアームを支えに端にたどり着き、そのままの勢いを殺さず墜落したのである。

落下を始めてから彼は我に返った。即座に後悔した。自殺するほどの絶望でもなかっただろう、親や親戚に頼れば打開策はあったんじゃないか?だがもう手遅れだ。彼はドンドン近づいてくるアスファルトの地面に対して今度こそどうしようもない絶望と恐怖を感じて絶叫した。


彼の記憶は前に伸ばした両腕が地面に激突して砕け、自らの絶叫と地表へ激突する寸前で途切れていた。恐らくそこで絶命したのだろう。


では、今はどうなった?記憶が正しいなら彼は自宅近くのマンションの地面にむごたらしい死体の状態になっているはずなのだ。でなければ間一髪助かって救急施設のベッドに寝かせられているのではないか?

どう考えても、荒野にただ一人で寝ているわけはないのである。


彼はそこで一つの仮説に思い当たった。……異世界転移?赤ん坊ではないから転生ではないだろう。だがあんなのは作り話だ。どこかで世を儚んでトラックに飛び込み自殺を図る人が出た、なんてニュースも聞いた覚えがあるが、その時にはトラックにはねられた人が重傷で済んで、警察からの聞き取りでそういう世迷い言とか妄言とかでそんな供述があった、とかだったはずだ。

ドラマやアニメでそういうストーリーが流行っているのは知っている。深夜アニメでそういうのを見かけた覚えもある。だが鬱状態になっていた彼にはコメディータッチで描かれる賑やかなアニメなど見ていられる気持ちにもなれなかったのですぐチャンネルを変えて別の番組を見ていた。だから知ってはいても憧れたりなどはしていない。


しかし、その他の可能性を模索してみようにも、あまりにも突拍子もない状態にある現状は、「異世界に来てしまった」以外に理屈が通らない。少なくともその考えが脳裏に浮かんだ段階で、彼の頭に「そうだといいな」「もしそうならやり直しがきくな」との想いが頭をぐるぐると回り始め、他の可能性が浮かばなくなった。


もしそうなら、これからどうなるんだ?自分はどうすればいい?

あれか、冒険者ギルドを捜してそこで冒険者登録をすればいい。そこでステータス画面を確認して転生ボーナス特典の大きさにみんなに驚かれたりするんだ。そしてやり直しの人生を……


彼の顔はいつしか緩んでいた。本当にそうなら痛快じゃないか。もしも、もしあの場所で飛び降り自殺を敢行したことでこの状況になったとしたら、案外自殺を図るのも悪くないんじゃないか?そうなれば『あっち』で倫理観だのなんだので自殺を思いとどまる風潮も、つまらない人生をリセットできる道筋を国家が踏みとどまらせて現世に縛り付ける情報工作でもしてたんじゃないのか?


何も追加情報がなく憶測だけで思索を巡らす彼には、まるで現実性のない事柄も信憑性を帯びたものに思えてきた。というかそうあって欲しいとの願望が自家中毒として彼の頭を浸食している。


突拍子もなく訳の分からない妄想で脳内が埋め尽くされていてまんざらでもない彼は、気がつかないうちによく分からない物体がわずかな風切り音と共に接近しているのにも気づかなかった。


頭の上に日影が差した。周囲が暗くなったことに気づいた彼は、慌てて現実に戻り頭上を見上げる。


そこには、銀色に光る葉巻型の物体が浮かんでいた。彼の常識から察するに、こいつは間違いなくUFOだ。宇宙人が乗っている奴だ。これに不思議なビームで吸い込まれて閉じ込められ、そこで妙な格好をしている宇宙人から人体実験を受けるんだ。妄想癖の抜けきっていない彼はとっさにテレビの怪奇特集でやってた荒唐無稽な作り話を巡らせた。

となれば自分の身が危ない!一刻も早く逃げないと!


と、彼が行動を起こす前にそのUFOの一部が開き、そこから垂れ幕が下がった。

垂れ幕には英語と日本語、あと全く読めないヨーロッパ語圏の言葉と中国語などのアジア語圏の言葉でこう書かれていた。


「これは乗り物です。未確認飛行物体ではありません。宇宙人もいませんのでご安心下さい。これはあなた方のような異世界からやって来られた方々を安全に運ぶものです。今から入り口を開くので乗り込んで下さい」


彼はそれを見て嬉しくなった。ここは異世界だ!そして未知の冒険が始まるんだ!人生もやり直せるんだ!俺は賭けに勝ったんだ!俺を虐げていた連中め、ざまぁみろ!お前らの手が届かないところで俺は成功してやる!

さっきまで陰鬱としていた彼の心は一気に明るくワクワクしてきた。特に異世界転移という予想が的中したのが理屈もなくウキウキして仕方ない。


垂れ幕の横の外壁が機械の作動音と共に横に開き、ステップが降りてきた。彼としては機械音が出るのはなんだか興ざめだ。無音で想像しない方向で作動して欲しいところだ。これを作った奴にはロマンが足りないな。

気分が浮ついている彼は調子に乗って未知の相手に対してダメ出しをしていた。……そもそも何も支えがなく音もなく物体が空中に浮いているわけであるが。

特に怪しむそぶりもせず、彼は意気揚々とそれに乗り込んだ。


入るとそこには銀色に輝く球体が浮かんでいた。なかなか未来感があるじゃないか。これは評価点だな。……彼は未だに浮かれているようだ。異世界の舞台設定の批評家になったつもりらしい。

乗り物には窓がないので外部の様子は分からない。照明もなく、浮かんだ球体が鈍く光っているので周囲の様子はぼんやりと見ることができる。


「Hello.」


球体から声がした。


「あ、ああ。こんにちは」


「認識しました。あなたは日本人ですね。それではあなたに対しては日本語ベースでの会話を続行します」


なるほど。まず英語で話しかけて相手の言葉を聞いてから自動認識か。AIかなんか分からんがいい仕事してるな。


「これからこのドローンは他の転移者を引き続き回収しつつ私たちの歓迎施設へと案内して参ります。そこに腰掛けてしばらくお待ちください。当機はまもなく発進します」


彼は指示の通り、外への壁にくっつく形で設置されている長椅子に腰掛けた。見れば先客が数名いる。格好や年齢もまちまち。おそらくやって来た国も違うのだろう。彼は外国語が苦手なのでできる限り彼らと接触しないよう端に座った。さっきの球体は彼以外には別の言語で話している。聞き取れない言語で球体に強い語気で怒鳴っているのはかなり耳障りだ。


この光景、見た覚えがあるような。……海外ドラマでやってた、囚人移送車両、のような?

いや、効率的に人間を運ぶ形として優れているからこんな形になっているだけだ。決して自分たちを攫って収容施設に連れて行くなんてこと、あるはずないだろう。ここは異世界なんだ。ここに来れた俺は勝ち組なんだ、それがひどい仕打ちを受けるはずないだろ。そうなったら異世界転移しても地獄ってことになってしまう。そんなはずはない……

彼はいつしか浮かれ気分から沈んだ気分へと急速に落ち込んでいた。


移動をしているらしいが、彼にはそれが実感できない。外は見えないし、風切り音以外は飛行している音も聞こえてこない。周囲の人物もあれっきり何も言葉を発しないので何とも微妙な空気だ。体感時間だけが頼りだが、この状態ではそれもどこまで当てになるか。


……唐突に外壁の一部が開き、外の光が差し込んだ。

すると外から見知らぬ人間が二人乗り込んでくる。

空中に浮かんでいる球体が彼らに近づき、ハングルで応えたので球体はハングルで会話している。韓国人だろうか?


今度の二人は知り合いらしく、ハングルで会話をしていた。ただ彼はハングルが話せないのでその内容までは分からない。

しかし不思議なもので、全く何も音がしないよりは彼らの話し声があるおかげで空気が和んだような気がした。彼らはさっきの男と違い怒鳴り合いにはなっていない。気分を害する光景にならず良かった。


彼らも話し続けて会話の種が尽きたか、再び室内に静寂が訪れてからしばらく経過。

唐突に球体が英語、恐らくヨーロッパの国の言語、日本語、ハングルの順番でアナウンスを始めた。恐らく同じ内容を多言語で伝えているのだろう。


「当機は目的地に到着しました。足元に注意をして降りてください」


再び外壁が開く。奥にいた人物から順番に降りていくようだ。最初にアナウンスがあった言語を解する人から動いている。彼も後を追って三番目に外に出た。


降りた場所は、彼の予想を超えていた。いわゆる異世界転生や異世界転移でありがちな中世の街並みではない。コンクリート外壁とガラスの窓で構成された高層建築の近代的なビルが整然と建ち並ぶ、大都市の光景だ。言い換えれば実にロマンがない風景である。


着陸した場所は開けていて、広場になっている。足元もアスファルトで舗装されていて白線で矢印が描かれている。そこには既に十数人の行列ができていて、整然と並んで順番待ちをしている。

目の前には金属板に多言語で案内表示が出ている。


『番号がありますのでそれに従って順路をお進みください』


その先には①、②、③と大きな看板が掛かった建物と入り口がある。


彼は、免許更新で訪れた運転試験場を思い出した。どう考えても異世界感がしない。

冒険者ギルドはない。酒場もない。冒険が始まるような雰囲気は全くなかった。高揚感はすっかり消え去り、再び陰鬱な気持ちになる。


彼は同じ乗り物でやって来た連中と一緒に①の窓口に並ぶ。

特に時間は掛からず行列はずんずんと進んでいく。たいした時間は掛からず入り口から建物の中に入った。


中は空港の入国審査かといった雰囲気だ。ゲートが複数設けられている。

係官と共にさっきと同じ球体がそばに浮かんでいる。ここでも多言語対応らしい。

ゲートをくぐるとカウンターがあり、書類の筆記を求められた。用意されている筆記具はどう見てもボールペンだ。本当にここは異世界なのか?

名前、年齢、過去の職歴、その他得意なスキルや資格などを書かされた。係官が書類を確認したところで次の装置に案内される。


そこには手形のマークがある金属板があった。


「そこに手のひらを数秒当てて下さい。一度当てたらしばらく離さないように」


何をするのか一切分からないが、言われたまま彼はそこに手を置く。

すると金属板が鈍く光って明滅を始めた。あわてて離そうとしてしまうが、さっきの注意を思い出して当てたままにする。

係官がさっきの書類に追加で何か書き込んで、それからスタンプを押している。


「ありがとうございます。登録は完了しました。2番の窓口に進んでください」


球体からの指示があり、彼はゲートを抜けて左端の2番へ歩いて行く。こちらも行列ができていたが、やはり進みはスムーズだった。


近づくと壁の一部が開き、入り口が現れる。そこの中には球体と、簡素なベッドがあった。健康診断でもやろうというのか?

彼が入ると窓口の扉が静かに閉まる。


「そこに横になって、リラックスしてお待ちください」


ここまで来ると、彼も球体と会話を自然に行うようになっていた。

さて、採血か、それとも心電図か?しかし誰もいない。そういう検査を行うなら誰か担当者を置かないとできないような……


唐突に球体がまばゆい光を放つ。その瞬間、彼は意識を失った。


彼が昏倒したところで、ベッドがそのまま床に吸い込まれていく。床が音もなく口を開け、ベッドを飲み込んで下に移動を開始する。見る間もなくベッドは床下に消えていった。入れ替わりで下から新たなベッドがせり上がってきて、元の位置に固定され、床の開口部が消える。彼がそこにいた痕跡は全くなく、次の人間を迎え入れる準備ができていた。

閉まっていた入り口が再び開き、次の人間が入ってきた。




寝台に乗せられたまま、彼は暗黒の空間を運ばれていく。意識がないので彼にはどうすることもできない。


彼の運命は、そこで実質終わりを告げた。彼は他人より魔力の数値が高かったので世界の闇に飲み込まれたのだ。その場所がトーキョーという名前であるということも知らず……

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