第六話
「お腹は空いてる?急だったからこんなものしかないけど」
デイジーはかごからバケットを取り出してセルジオに手渡した。
「すまない、助かる。実際腹が減ってるよ」
言うが早いか、彼はそれにかぶりついた。
「で、食いながらでいいから聞いとくれ。トーキョーから来たなら魔力電池は持ってるよね。うちは基本宿屋と食堂をやってるんだけど、あんたみたいな人間も面倒を見てる。お代は食事込みで一日に付き魔力30ってとこだ。自分で出せなくて稼がなきゃならないなら仕事先も紹介するよ」
見る間に一本平らげたセルジオが答える。
「そいつはありがたい。俺は12くらいは自前で出せるが、それ以上となると厳しい。仕事を斡旋してもらえるなら是非お願いしたい。というか性分で遊んで暮らすってのは合わないからな、魔力に関係しなくても何らかの役割は欲しい。ここに警察官とかがいないなら俺が手伝ってもいい」
それを聞いてデイジーは少し考え込んだ。
「そいつに関しては私だけの一存では決められないね。そういう仕事をしたいならなおさらみんなの支持を得なきゃだろ?得体が知れない上にトーキョー追い出された人間が治安だ警備だって言って信用されると思うかい?」
「それはその通りだな。扱いはあなたに一任するよ。それまではなんでも雑用でもやるとしようか」
「それがいいよ。力仕事をやる人間は足りないくらいだからね。大いに働いとくれ」
お腹も落ち着き、心も澄み切ったような気分になったセルジオは、やおら立ち上がり大きく伸びをして深呼吸した。
「二人ともありがとう。色々あったがスッキリしたよ。これからも何かと世話になるが、よろしく頼むよ」
「あいよ!こっちも遠慮せず仕事を振るから覚悟しておくれ!」
「魔法のことに関しては私が話を聞くからね。相談したいことは遠慮せずに聞いてね。ドローンも数は少ないけど一応保有はしてるから、急ぎの用事があれば言ってくれていいよ」
「そいつは助かる。魔力に関してはカツカツだからなかなか使う機会もないだろうけど、覚えておくよ」
デイジーはそこで悪戯を思いついた子供のような表情になった。
「一つ聞き忘れてた。いいかい?」
「いいとも、なんだ?」
デイジーはセルジオに顔を近づけ、こう聞いた。
「あんた、酒はいける口かい?ここにはなかなか飲み相手がいなくてさぁ。あたしに付き合うなら原価でサービスしたげる」
「……一応付き合いで飲むことはあったが、どちらかと言えば下戸の類いだ」
「なんだい!面白くないなぁ!」
「ふふ、良かったね。飲めると返してたら地獄を見たとこだったよ。正解だ」
「おい!アイちゃん!言い方ぁ!」
三人は古くからの友人のように笑い合った。
こうしてセルジオは住む場所を得たのだった。
落ち着いたところでセルジオは立ち上がった。
「それじゃあ、うちに案内しようか。ひとまずは休まなきゃね」
三人は光遙亭に向かってのんびりと歩き出した。
「どうだい、トーキョーと違って何もないけど、割といい場所だろ?」
デイジーの言葉に、改めてセルジオは集落の様子を眺めた。
右手には海が広がり、左手には丘陵地帯に畑と森が広がっている。道沿いには木造の家々が立ち並ぶ。だが高層住宅はないし、住宅にはほとんど庭もあって余裕のある建て方をしているので、眺めを大きく阻害する様子ではない。むしろ遠景の自然と近景の住宅地がいいバランスとなって一体の雰囲気を醸し出していた。
「そうだな、落ち着いたいい場所だ。ここなら気持ちもゆったりと暮らせそうだなぁ」
その言葉にアイビーはなんだか誇らしくなった。何しろ、ここは魔女が善き人間を時間をかけて選別し、不自然にならない程度に造成も手伝い、周囲に危険な野生動物が近寄らないよう分身に警戒もさせ、住み着いた人間から不平が出ないよう実現可能な範囲で手を尽くしてきた場所だからだ。ある意味魔女の箱庭であった。
集落の規模も『その他の人間たちが全て死んでしまっても百年以上かければ人類の再生をできる程度』から考えて調整している。勿論カツウラの住人は一切そのことを知らない。
当然自然の脅威に関してもカツウラは特段の注意を払って払いのけている。だから漁業では天候がいつもいいので毎日が出漁可能で、農業は常に穏やかな日照と適度な降水で豊作が約束されている。どちらも天候によって不作や不漁になることがないので産品出荷も安定しており、これにより外部から買い付けに来る仲買人から高評価を得ている。安定して高値で出荷できるここは生産者にとって天国であった。
「あんたならここに馴染めるかもね。ここは外から来た人に対しては暖かく迎えるようにしてるんだけど、来た人が馴染めなければまた出て行っちゃうからね。特に魔力が多めの人は嫌がる人が多いみたいだね」
セルジオはトーキョーで市民に寄り添い苦情を聞いて職務を果たしていた頃を思い出していた。彼らは魔力をほとんど出せないので少ない報酬で重労働を強いられていた。反面魔力に困らない連中はそういう貧民を見下して悦に浸っていた。……魔力が多い人間にとってはここは面白くないだろうな。
「そうだな、ここは魔力を持たない人にとってはいい場所だ。俺も少ないからここで何か仕事をして稼がないとなぁ」
「まずは海はどうだい?あそこはとにかく人が足りてないし働けば現物支給で取れたての魚が一杯もらえるよ。良ければアイラに話を通しておいてやるけど?」
「そいつは助かる。是非頼むよ」
二人が話している間、アイビーは後ろを黙って付いてきていた。
そろそろ分身たちとの情報統合の時間だ。一旦この辺で離脱しておきたい。
「……ごめん、デイジー?」
「どうしたアイちゃん」
「いやぁ情けないけど歩き疲れて眠くなっちゃったよ。先に帰っていい?」
「はぁ?歩いたってそんな歩いてないだろ?これで疲れるってどんだけ虚弱なのよあんたはさぁ?」
「しょうがないじゃない、いつもはドローン使ってるんだもの」
「ったく、これだから魔力持ちは。ねーセルくん」
「……セルくんって、俺のことなのか!?」
「いいだろセルくんで。嫌かい?」
セルジオは鼻の頭をひっかきながら答えた。
「呼ばれたことがないから面食らったけど、それでいいよ、好きに呼んでくれ」
「じゃセルくんで。よろしく、ね!」
デイジーはセルジオの背中を力一杯平手でひっぱたいた。
「いってぇ!なにすんだよ!」
「ほんの挨拶代わりだよ、気合いも入るだろ?」
いきなり背中を殴られて悶絶するセルジオ、平然としてカラカラと笑うデイジー。
「セルジオさん、こいつはこういうやつだから慣れてって。慣れなくても頑張って慣れてね」
アイビーの言葉を聞いたセルジオはほんの少し、判断を間違えたかもしれないと思った。
「んじゃあ、お先に」
どこからともなく取り出したドローンにまたがって、颯爽とアイビーは飛んでいってしまった。残された二人はそれを見送る。
「……デイジーさん」
「どした、セルくん?」
「今、ドローンをどこから取り出したんですかね?俺も長くトーキョーにいましたけど、ああいうの見たことないんですが」
「え!?トーキョーでは普通なんじゃないの?アイちゃんはいっつもそう言ってたんだけど?」
「普通じゃないと思いますが。確かに個人用小型ドローンは使う人も少ないんですが。そもそも魔力電池を差し込まずに起動するドローンもほとんど見ませんよ」
「そっかー。ま、アイちゃんがやることだし、そういうもんだ。深く考えても私らには分からんし」
セルジオはまたも違和感を感じた。ここまで魔力を必要としないカツウラで魔力を潤沢に使える人がいる。ドローンも見たことのないタイプで、扱い方も独特だ。何か引っかかる……
訝しがるセルジオの後ろ姿を、分身はひっそりと観察し続けていた……
ドローンで飛び立って、自分の居宅に飛び込むと、アイビーは身体をそのままベッドに横たわらせ、本来の本体へ意識を戻した。
最近はカツウラにいる時間が長くなっているので、本体に戻る時間が減っている。
本体をそのまま寝かせたまま、魔女は分身との同調を開始する。
まずはトーキョーに配置している特権を持ったサブ分身からだ。早速あまり良くないニュースが入ってくる。
あの会合が終わり、セルジオが追放されてから、トーキョーの貧民層の扱いが一段と悪くなったという。彼は現場でかなり苦労していたようだが、それだけ重要な仕事をやっていたと言うことだろう。彼がいなくなってから民衆の声を丁寧に聞いて対応する人がいなくなった。彼ほどではないがそれなりに対応する警官もいたのだが、セルジオがああなった以上、体制側に逆らえる空気ではなくなったのだ。結果、民衆の声は握りつぶされせき止められるように変化した。
デモは即座につぶされる。扇動者はしらみつぶしに捜索され、身内もろとも逮捕拘留される。不平を言う者がいれば懲罰として魔力電池の蓄えを没収される。かなり状況は悪い方向に動いている。
他の分身からも情報が上がってくる。
以前からトーキョーの連中が熱心にやっていた前世持ち(つまり地球からの転生者)の回収と連行だが、範囲を更に拡大したという。回収用ドローンの台数を増やし、行動エリアも広げているようだ。
前世持ちは魔女にも分からない方法で唐突に空間に転移してくる。現れる場所や時間にも法則はない。転移してきた人間は例外なく高い魔力を保持している。また高い確率で特殊な魔法も行使できるのも確認されている。事実、魔女が使っている魔法のいくつかも前世持ちの人間が使っていたものを観察し研究し魔方陣に落とし込んだ物が多い。隠蔽魔法はその際たる例だ。
魔女にとっては、特殊な魔法が魔女に知られる前に人間側に渡るのが許せなかった。魔法技術は魔女が優位に立っているべきであり、魔女の知らない魔法がこれ以上人間側に独占されるのは可能な限り避けたい。
魔女の分身が先に前世持ちの湧きにたどり着くこともあったが、広大な土地全てを監視し先回りするには分身の数が足りない。何よりそれだけのために分身を無駄に徘徊させて使い潰すのももったいない。よって手が回らないのが実情であった。
だが何もしないわけにも行かないので、トーキョーのサブ分身に命じて回収ドローンに分身をできる限り張り付かせるように指示を行った。サブ側のコントロールにやや負担が増大するが、やむを得まい。ドローンに張り付かせて前世持ちの回収時に横から調査を行い、特に魔力の高い人間がいたら素性を確認する。目立つ動きをしたら察知されるので派手には動けないが、様子を伺って軽く調べるくらいなら可能だ。
その他、トーキョーに与しない都市や村の様子も報告を受ける。
今のところは『イーザンテ』『ジーサンプ』『テイラオユ』が主要な都市ではあるが、それらは魔力電池を導入してから目に見えて住人が減少傾向にある。特に前世持ちはトーキョー生活にあこがれて居を移す例が多発しているようだ。この星生来の者は魔力も少ないことが多く、魔力本位制経済では国力が魔力の大小に大きく影響されるので、前世持ちが減るとそこの景気にもじわじわと効いてくる。
魔女のところには例の会合で財務官が語った内容も分析されて徐々に上がってきていた。とはいうものの彼の話した内容はマクロ経済に関する基礎知識を持っていないと理解が追いつかないところが多く、魔女にとってはもはや暗号の解読に近かった。しかし時間をかけて読み解いている最中であり、理解ができる部分から魔女にもその内容は把握されつつあった。
彼は言った。『全体の成長が重要であり、個々の問題は放っておく』『この世界を最速で作り替え、自分たちの理想を現実にする』と。
魔女は、その部分だけで危険性を理解した。彼らは居心地が良く見てて飽きない人間たちを一気に変質させ征服しようとしているのだ。これは魔女にとっては看過できない性質のものだった。
自分が時間をかけて育てて環境を整えてきた場所を、他者が勝手に造り変えてしまおうとしている。
魔女は、思っていたよりも早くその時が訪れそうだと認識を新たにしていた。あの魔方陣の作成も急がなければ……