第三話
一方。
ここはトーキョーのメインタワー、その最上階。ここの周辺にはドローンの類いは一切接近を許されていない。
その下側にはドローンの接舷専用フロアがある。ここに駐機可能な人物は登録されている人物だけだ。接近する物体がもしあれば誰何なしで撃ち落とされる。毎年何例か哀れで不幸な渡り鳥が被害に遭っている。
そのフロアは現在、大型ドローンで埋め尽くされていた。大きさで言えば一般的な物流ドローンよりも大きい。しかしながらそれには人間数人程度しか収容スペースはなく、その他は装甲板と各種兵装で埋め尽くされていた。これを空中に飛ばすにはフルチャージした魔力電池10個が必要で、それも一回の飛行で使い切るほどの魔力消費量であった。
そこまでの魔力を平然と消費可能な要人が、ここには集っているのであった。
最上階の会議室。そこはトーキョーの街並みからは想像できないほどの技術力と文化の高さを物語るものだった。
調度品も設えも、いわゆる前世の地球のものを似せて再現してある。テーブルもチェアもそう、天井のシーリングライトまでもそっくりだ。ここには蛍光灯もLEDライトもない。それどころか電気がそっくりそのまま魔力に置き換わっているようなものなので、本来ならわざわざ天井に明かりをともす必要もないのだ。魔法を使えば空間に複数の光源を設定して影を作らず目にも優しい照明も簡単に灯せる。しかしそれでは地球らしさがない。
それらも全て、ここに集う要人たちが全員地球出身の前世持ちで権力を司っているが故であった。
彼らは世間の人々が着用していない現代地球スタイルのビジネススーツを着込んでいる。ネクタイにワイシャツ、ジャケットとスラックス。言うまでもないが世間に広まっていないのでこれらは全て専門の職人が生地から織り上げ縫製して仕立てた物だ。履いている革靴もわざわざ牛と似ている家畜を飼育してそれの皮革をなめして加工した物から製造されている。効率から見れば無駄としか思えない。しかし彼らが望めばそうなるのである。
彼らはその世界に定められた法律を根拠として選抜され、定期的に集まって重要な議題を議論するために集結している。
しかし、まずその「法律」が欺瞞の産物である。一般人にはそれ以前に人権が存在しない。法律に定められた権利もないし、参政権もない。その法律の存在も知らないので改正を訴えることも不可能だ。
それを知るのはトーキョー全市民1000万人超のうち、数千人だけ。厳正な審査、魔力の上納実績、思想審査を行った人だけがそれを知る権利を持つ。上位の存在に対して多大な貢献をし、それに従い唯々諾々と従順な態度を一定期間取れた者には更に上位の権限を持てる。
結果的に前世の記憶から遵法精神を引き継ぎ、選民思想により秘密を共有する人間だけがトーキョーの支配者階級に上がる権利を有するのだった。
その上で、このフロアで協議に参加できるのは更に選抜された一握りの者だけである。実質、民衆に知らせず作成され民衆には条文さえも公開されていない、彼らが定めた法律を行使して世界を牛耳る独裁者集団であった。
とはいうものの、彼らの多くはそれを間違っていると思っていないし悪意も持っていない。未熟な普通選挙や普遍的な人権が世界を混乱に導くと確信しており、それまでは緊急避難的に選ばれた人間だけが正しく世界を運営するべきであると心から思っているのだ。
中には「将来的にこの制度は撤廃し、自分たちが世界を壟断した責任を取るべきだ」と考えているものもいる。だが現在はその時期ではない、だからこれを続けていけば良いとの考えだ。
ではなぜそういう規則が存在するのか?それは「彼らが規則を守り規則に沿って行動し規則を決める側にいることに満足している」からだ。極めて官僚的な考え方であるが、他者を支配し管理する彼ら自体が規則を遵守することで安心感を得るのである。擬似的であるが法の支配があるという体裁が彼らの心を安らげるのである。
彼らの中には前世で法整備を担当していた法学者や政治学者も多数いる。彼らは現在、トーキョーでの憲法とはどうあるべきか、国家機能と民主主義との兼ね合いで選挙によって選ばれた議員によって構成された議会制度の建て付け、この世界において裁判制度と三権分立をどう実現していくかを真剣に討議している。……勿論議論の内容は一般には公開していない。しかも彼らの既得権も維持したままの制度設計を盛り込んでいることから出てくる制度案は矛盾だらけであり、議論も遅々として進んでいないのが実情であった。
円形のテーブルに彼らは座っている。これも上座と下座を設けないことで上下関係がないと自分たちに納得させている。現実として組織のトップである議長は決まった人物がここ十年以上座り続けている。結果の決まっている議長選挙を行い、延々と信任を得ているとの事実を積み重ね、権力は一人に委ねられたままだ。
結果として、現在のトーキョーは独裁者とそれを支える特権階級により独善的に管理されている全体主義国家に他ならなかった。
議長がマイクを手に取った。……これも魔力で動いている。技術的な側面や構造から考えれば発した言葉を周囲に拡散する装置はもっと自由に設計できるし効率的でもあるのだが、「マイクとはこういう物だ」との既成概念を変えられないことからマイクは手に持って話す形状となっている。
「時間になったので議事を開始します。まずは治安と人々の動向から警備担当からの報告を願います」
傍らに制帽を置いた制服姿の男がマイクを取った。
「それでは報告致します。前回報告のあった大規模犯罪組織でありますが、内情偵察を敢行した結果実態が掴めて参りました」
「主体となっているのは主に前世が新興国であった者たちです。特定の宗教を崇拝して教条的に行動している狂信者も首謀者に連なっています。このトーキョーが日米出身者をベースに動いていることに対して反感を持つ者も多くいます、しかし当初の予想に反してこれらは多くありませんでした。なおその一部にはマフィアやヤクザなどがこちらに来て先鋭的な活動に身を投じているケースも散見されます。しかしこちらも表立って動いている割には人数はそう多くありません。具体的な人数や詳細はお手元にお配りした資料の2ページ目からを参照下さい」
彼らは配布された資料をめくり読んでいる。これも「いちいち使える植物を探して紙に加工して、そこに筆記用具で文字を書き込む」余計な手間を投じて作られた物だ。魔法でプロジェクターのように空中投影し図版で表示すればもっと簡単なのだが、彼らは儀礼的な手間を惜しまない。そして「資料は紙に書かれた物だ」との既成概念を重要視している。
「例外的に現地の先住民が加わっているケースも見られました。ですがこれは割合としてはかなり少ないものです。傾向としましてはこちらに来てから新たな環境に馴染めずにいる連中が反体制組織に加わっているのが大部分です。ここまでの分析としては、特に宗教観からここの世界のシステムが受け入れられない者たちが主導しているというのが私たちの見解です」
「ふむ。ここには男女比では男性が多いとあるが、ここに関しては分析はされているかね?」
「そこは今のところそういう傾向があるというだけでして……社会参加者としては女性の方が男性より新たな環境に順応しやすいとの俗説もあるようですから、それが関連しているかもしれないというのが私見であります」
「それは君の主観だな。ここに関してはもう少し調査を進めてくれたまえ。他の者から意見はあるかね?」
背広を着た男性が手を上げた。財務官だ。主にトーキョーの経済関連を一手に引き受けている。
「治安に関しては経済活動に大きな悪影響があります、これは常々申し上げているところではありますが。秩序悪化が景気に対して下押し圧力となるのは言うまでもありませんが、物流や小売につきましても予測が困難なファクターとなります。グランドデザインとして将来のあるべきトーキョーの姿を正確に描き出すためにもそれらの問題はしっかり対処していただきたい」
警備担当の男がそれに対して声をあげた。
「それにつきましてはこちらからも提案がございます。正直申し上げますが、治安の悪化は民衆の経済格差の拡大が無視できない要素となっていると、現場から上がっております。曰く、仕事の量に対して魔力の報酬が少ない、仕事の種別と労働の過酷さに魔力配分に不均衡がある、等などを犯罪を犯す者どもが口々に言い訳がましく言いつのるというのです。これらの不公平感をしっかり手当てしてやらねば社会不安の根元が解決しないのではないかと考えるのですが」
「それについては単純な図式ではない。彼らの出自、生活状況、居住区による仕事の割り振り、それらが報酬の多少にある程度関連があるのは仕方のないことだ。企業を運営し組織を動かし投資者に対して適切な運用益を渡す、経営者の苦労は計り知れない。何よりここは発展途上のトーキョーであり、何もかもが成長途中なのであります。社会のひずみを発端として発展の早い分野と遅い分野でどうしても差が生じるのは致し方あるまい。時間がたてばそれらの格差も平滑化して本来の姿に近づくと確信をしております。我々としてはそれを待ってもらいたい」
議論は続く。
「申し上げます。現在トーキョーが成長を続けており、将来的にはさらなる発展を成し遂げるであろうというのは私は理解できております。しかし、世の中には凡庸な者や魯鈍な者も数多くいるのです。そしてそれらの理解が及ばない者が社会の底辺から中級にかけて広く分布しているのもまた事実でありまして、そんな連中が不平不満をこぼしているわけです。そういう者どもを慰撫する政策もあってはいいのではないかと。社会に不満を抱く連中の気持ちを少しでも和らげるのも一つの方策ではないでしょうか」
「えらくお優しい意見ですな。なんとも民衆に寄り添った考え方をなさるものだ。ええ、意見は賜りましたよ。しかしですな、私から言わせるならばそやつらは社会の変革について行けなくなった落伍者ですぞ」
彼は一呼吸置いて続ける。
「よろしいですかな?人類の歴史においても新興国から先進国に至るまでには数々のクリアせねばならない障害がありました。しかも先例においては宗教や民族の根強い軋轢と戦わねばならなかった。我々はここで人類の発展をやり直して迅速なる成長を遂げるべく知恵を絞っているわけです。偉大なる地球の歴史を振り返りつつ、障害となる要素を可能な限り排除し、経済発展への道筋への最速のキャッチアップを我々は目指している。ここまでは皆さんにもご理解を賜らねばならない」
彼はそう言うと、周囲に視線を走らせた。
「私は前世でマクロ経済学を修め、自由競争を基礎とした市場経済を題材としていくつも論文を書き、数カ国の中央銀行から招聘されて金融政策への助言も行ってきた人間です。故にトーキョーが目指すべき最速の人類の進歩がいかなる形で実を結ぶかというルートも見えています。まずエネルギーインフラと基軸通貨の確固たる安定。それを元に経済活動を発展させる。少しでも人口を増やし、魔力と労働力の安定供給を図る。社会不安を減らし、将来への希望を抱かせ、今は苦しくとも未来はバラ色の世界が待っている、それにむけて一丸となって国家の規模を拡大していく。……現在はまだ国家としての体裁はなく都市国家と言うべきですかな。我々が導き人類の版図を拡大し、世界に我々の経済基盤をあまねく行き渡らせる。以前にも申し上げておりますが、これを可能な限り早く成さねばならんのです。些細な問題で発展の速度を落としている場合ではない」
彼の演説をさきほどの警備担当の隣に座っていた副官が顔色を変えつつ手を挙げた。
「些細な問題ですって?不躾ではありますが、それはあなたが現場を顧みておられないからだ。資料にもある通り、毎日多くの民衆がデモを敢行し、我々の窓口に押しかけ、自らの境遇をなんとかしてくれと訴えかけてくるのですよ。なだめても追い返しても結果は同じ。毎日違う人間が同じような陳情を抱えてきています。魔力を持っている人間はずるい、魔力を持たぬ者は労働に従事しても日々の生活にもことを欠く。果てには街中のあちこちで空っぽになった魔力電池を掲げて魔力をせびる貧困者があちこちにいる。あなたは仰った。世間には凡庸な者や魯鈍な者が多い。そんな者たちは競争に負けたのだと。優勝劣敗、優れた者が社会を牽引して支えていくのだということなのですね?ですがお言葉ですが、現在そんな負けてしまって立ち直れない落伍者が社会のかなりを占めているのです。これはもう無視できる規模ではないのではないかと思っているのです。これで些細であると言い切れますか?」
端から見ても場にふさわしくない熱量に見えた。さすがにこれは言い過ぎたのではないか?そう感じる参加者が大半を占めた。
「おい、今はお前に発言機会は与えられていない、黙りたまえ」
副官の不規則発言に警備担当が彼のマイクを奪った。
「なるほど。現場を見てきた方にはそう映るのですね。これは大変貴重なご意見を拝聴できました。心から感謝を申し上げますよ」
財務官は取り立てて慌てることもなく、顔色一つ変えることなく応じて見せた。
「では、こちらも当方からの立場から申し上げると致しましょう。あなたが仰ったのはミクロな経済観です。マクロ的な視点ではありません。その上で私の専門はマクロ経済なのです。細かいところには様々な問題が発生しているのは承知しましたが、私はミクロに関してはあまり拘泥しないようにしています」
その言葉を聞いて先ほどの制服の男が立ち上がって遮ろうとしたが、隣の上司が慌てて制止に入る。
「全体を観察して長期的な視野を確保して遠大な計画を策定する、それが私の仕事です。確かに急激な経済の変動でありましたら人間が子供から大人に育つ際の成長痛のような痛みは伴うでしょう。あまりに痛むようでしたら休息を取り、時には鎮痛剤を処方されるケースもあるかもしれません」
一拍おいて話は続く。
「ですがね、成長痛に見舞われた子供に対してそれ以上の対処は必要ですか?成長が早すぎる、では根本的な解決方法として食事制限を行いますか?それとも運動をやめさせ、ベッドに縛り付けますか?しかもそれで抜本的解決に至らない可能もあるのです。痛がる子供を見かねた親がそのような処置を医師に願ったとして、医師はそれに応じますでしょうか?私の考えではそうはならない。なぜならそれはその子の成長を阻害する行為になるからです。痛みを抑えるために子供の成長を止めるなど、果たして理性的な行動と言えますか?」
先ほどの男はまだ何か言いたげにしており、周囲がそれを抑えて事なきを得ている。財務官はそちらを軽く一瞥して更に続ける。
「先ほどのたとえから話を戻すならば、私の仕事は子供の成長を促し、立派な大人に育て上げるようなものです。その際に成長痛が出たのであれば適切な痛みの管理とメンタルコントロールをカウンセラーにでもやらせます。状態を観察して状態を安定化させつつ、その上で痛みよりも肉体の成長を促す方に精力を注ぎます。現場の皆様におかれましては民衆の方々からの怨嗟の声を受け止める大変なお仕事をさせてしまっているということで、ご苦労や心痛は想像のできないものがおありでしょう。ですが。私においてはそれはあくまでもミクロですので現場の方にお願いをして、件数と大まかの状況だけをここへ上げていただいて現場の要員が足りないのなら過不足なく人員を増員することを検討する。そして我々は我々にしかできない長期的経済発展計画を遅れることなく遂行していくのです。これこそがやらねばならん仕事であります」
長々と自説を述べた男は、一旦口を閉じた。
さきほどの副官はいつの間にか外に連れ出されていた。我慢が仕切れず抵抗したところを取り押さえられたようだ。
「おや、さっきの副官殿は退出なされたのですね。今一度議論をと思いましたが、消えてしまわれたなら仕方ない。しかし彼のような民衆を大事に思い正義感にあふれた人間が市中を警戒してくれているのはとても良いことと感じます。私の立場では目が届かないところを見て下さっているのですからね。彼には引き続き職務に励んでいただきたいものです」
彼は議長に目をやった。議長が手を軽く挙げると彼は着席した。