第二十話
ここはセント・グレゴリオ聖王国。山あいに位置し、周囲の街道にも近い。
領地の回りは高い壁で区切られており、侵入者を阻む要塞のような造りとなっている。
ここは、主に前世持ちの中でも信心深い人たちが集うところだ。
ここに入るには、やや特殊な条件がある。
条件はどちらかを達成しなくてはならない。
1.聖書の一節を諳んじて唱える。
2.固有魔法として防御魔法か治癒魔法を使う。
前世持ちのなかで聖職者だった者は、かなり高確率で防御魔法か治癒魔法を使えることが知られている。これは洋の東西を問わず宗教で高位の地位に就いていた人に多く見られる。なのでそれらの魔法を使える者は入る資格があるとされている。
聖書の暗唱はいうまでもない。むしろこちらは敬虔な信者であればかなり簡単にクリアできる課題となっている。こちらは申告すればコーランや仏経典でも構わない。ただ正しいかどうかをすぐに判定できる人員が限られるため、先に申告してからとなる。
たまにこの世界で過去に布教していた宗教の信者もやってくる。但しこちらだと聖典がないこともあり条件には含まれない。
関所をくぐり抜けると石造りの美しい街なみが並んでいる。石の加工技術はそこまで高くなかったので飾り細工などはない質素な見た目だ。
この国の歴史はそこそこ古く、三百年前くらいからになる。主に前世で殉教した信徒が漂着してくる例が多かったようで、ほぼ一様に『ここは神に祝福された天国である』と認識しているようだ。一般的な前世持ちと認識は大きく異なる。
ここは最近のトレンドである魔力電池と魔力本位制経済を全面否定している。歴史のある金貨をベースとした貨幣制を使い続けており、エネルギーとしても魔力を活用していない。魔力は神から授けられた神聖なものであり、それを欲望に使うなど言語道断。これが公式見解となっている。
また魔方陣を使用した魔法も否定している。彼らにとって魔法とは固有魔法だけだ。
魔法を利用した技術は全て拒否している。なので通信手段として用いられる魔力ベースの電話もここにはない。よって、他国との情報伝達も極めて遅い。しかし外部の情報に国家内部が踊らされにくい状況は国家を司る枢機卿たちにとっては都合の良いものであった。入国審査がとても厳しいのは、外部からの情報遮断も背景にある。
住人の食料や生活物資は、ほぼ国内製造で賄われている。主食は小麦、これをパンに加工して流通されている。宗教的価値観に欠かせないのが神から与えられし葡萄酒の原料となるブドウ。これも大々的に生産されている。その他では牧畜なども盛んであり、乳製品が多く生産されている。
……なお、これらの作物を育てる技術、それ以前に野生の植物から丹念により分け選別して小麦やブドウを前世と同等レベルに進化させたのは過去の魔女と日本人たちである。ではあるが彼らはそれに気づいてはいない。パンと葡萄酒は神との契約時に与えられたものであり、それの起源を考えることも彼らには禁忌である。
他国との貿易で食品を輸入ができないこととエネルギーとして魔力を活用できないことから、受給ベースで国家として支えることのできる人口は限られる。住民の多くは農業生産に従事して機械化されていない農業に従事を余儀なくされている。だが彼らは信心深いため、それも神からの試練であると受け入れている。安息日以外は勤労に従事する。日々の生活で汗水を垂らして社会に奉仕するのが役割であると信じている。彼らの宗教観であればそれらは天国へと至る道であり、現在住んでいるこの土地が天国であると信じるとするなら論理破綻するはずなのだが、そこを深掘りする住民は極めて少ないようだ。勿論その矛盾に気づいて他国との経済格差に不満を抱く住民もおり、大抵は聖王国から他の国家に移住することになる。彼らの口からは悪口しか出てこないため、聖王国の他国での評判は概ね悪い。
街の中心部にはひときわ高い建物が存在している。白い石材に彫刻が施され、窓にはステンドガラスが配されているそれは、まさに教会としての荘厳さを兼ね備えている。
いうまでもなくそこは聖王国の統治と信仰の要となるシンボルである。
建造されたのは百数十年前。二十年近くの建造期間を費やしている。これが建造された頃には言うまでもなくトーキョーは存在していなかったので世界が金本位制で動いていた。故にセント・グレゴリオ聖王国に名だたる職人たちが集められ資源を投じて建造する余裕があったのである。
それは同時に聖王国に富と権力が集約される原動力ともなって、一時代を築く源ともなった。現在であれば魔力本位制で経済が動いているので再現は不可能であろう。過去は趨勢を誇ったが、今や世界の中心から遠い存在となって没落した国。それがセント・グレゴリオ聖王国の今である。
過去の遺産とも言えるその場所に、五人の枢機卿が集っていた。普段は各地にて布教活動を行っている彼らであるが、一年に一度本国に戻ってお互いの現状報告と聖王国の活動方針を定める会合が開催される。今日はちょうどその日に当たっていた。
全員集うべき会合ではあったが、一人が欠席となっている。
「越虚殿は来られていないようだが、誰か事情を知るものはいないか?」
口を開いたのはエーベルハイト・シュタール。この世界においてはセカンドネームやファミリーネームを持つ習慣は一般的ではないが、ここ聖王国では前世とのつながりも重視していることから積極的に名乗っている。敬意を表する際にはファーストネームで呼ぶのも失礼に当たる。
彼は立場上において会合をまとめるリーダーとしての地位を預けられている。だが集団指導体制を採用している聖王国においては枢機卿は等しく同じ権威を持っており、ここでも彼らが座っているのは円卓の席上だ。
「僕は聞いていないが、彼のことだからどこかを飛び回っているのだろう。全くご苦労なことだよ。頭が下がるねぇ」
こう返したのはアリステア・レノックス。別名『一言多いレノックス』。場の空気を読まず、冷ややかな笑顔で積極的に地雷を踏みに行くスタイル。だが歯に衣着せぬ物言いでタブーなく発言する彼の言葉には場の沈黙を破り膠着した議論を動き出させる力も宿っている。彼の言い方は他の枢機卿も慣れているので、多少の暴言には誰も文句をつけない。
「聞いてないなら黙ってなよ、わざわざ言わなくていいっての」
彼の軽口に合いの手のように返して見せたのはヴィットーリア・ローザ。枢機卿の紅一点であり、前世で唯一バチカンの枢機卿であった過去も持っているので、彼女は自身を『シニョーラ』と自称している。だが周囲からはいい年して色気が抜けず派手な振る舞いと若い男性に色目を使う節操のなさを指摘されることも多く、今ひとつ威厳に欠ける人物だ。
「おお、おお、いつもながら目に毒なドレスを着こなしているねぇ。さすがシニョーラだ。神はあなたに知性と美貌の二物を与えてしまった。なんと罪作りで不公平なことであろうか」
大げさなゼスチャーで芝居がかった発言を繰り出したのはカーティス・ディーン。前世ではテレビ伝道師として名を馳せた人物だ。薄っぺらで作り笑いを浮かべつつ美辞麗句を並べる彼であるが、神への忠誠心だけは本物である。なにより固有魔法としての治癒能力が唯一無二であり、それが彼の枢機卿としての地位への存在理由となっている。
「やれやれ。いつもながら個性的な面々だよ。ここがどこなのか判らなくなってしまいそうだ」
そういいながらあごひげを撫でている彼はヌレッディン・ギュレル。彼は枢機卿の中で唯一ムスリムとしてここにいる。あらゆる宗教に寛容であり、旧約聖書に端を発する三大宗教への造詣も深い。前世ではその寛容さが仇となりテロの目標になって命を落とした過去がある。
「結局は越虚の行方は誰も知らないのだな」
シュタールはこめかみに指を当てながら念を押すように周囲に告げた。
「ではこの人数で今回の議題に入りたいと思う。異論はないな?」
彼の言葉に集った枢機卿たちは一様に頷いた。
……
金属の杖を片手に独り彷徨う男性。禿頭に質素な和服の出で立ちの彼こそが聖王国の枢機卿の一員、越虚である。
彼もあちこち放浪する中でその関係性を口外していないし、和装であるのでその出で立ちだけを見たなら聖王国の関係者と思うものは誰もいない。彼にとっては謎の存在のままで情報収集するのが都合が良かった。
足取りを掴まれるのもよろしくないため、本国に帰還することも少ない。一年に一度の会合があることは承知していたが、リスクを冒して出席する必要性を感じなかったことから敢えて戻ることはしなかった。定期的に手紙を送って情報を本国に知らせたいところであるが、手紙を聖王国に届けるインフラが確立してはいない。
彼は、この世界においても極めて珍しい存在である。その風体から見ればがっしりした体型の中年男性にしか思えないが、その実体は人としての常識を越えた齢四百歳ほどとなる。彼は固有魔法として身体強化と身体防御を会得していて、それの効果で肉体の老化が止まっていたのだ。ある程度は自己修復も可能なため、ほぼ無敵と言える存在だった。とてつもない威力の攻撃魔法を食らったり肉体を無数に切り刻まれれば恐らく死に絶えるだろうが、それ以外なら命を永らえることが可能であった。この世界においては魔女に続く強さを誇る。
彼は最近になって注目を浴び始めた場所へ近づいていた。
カツウラである。
そこでは主に日本食に適した食品を生産し製造加工しているという。大変に品質が良く味も絶品だとかで、カツウラ産の食材はあちこちの街で高値で取引されている。
越虚にとっては大昔の出来事が脳裏に重なって見える。聖王国に招かれる直前の時期だ。永い時を掛け、植物を選別し改良して様々な作物を研究開発していたあの頃。彼は前世から山地を駆け巡り野生の草を食して飢えを癒やすことが多かったことからその知識を買われて食に貪欲な人々のサポート役に就いていた。
そこはきっかけとなった女性の名前をとってヤヨイ村と呼ばれていた。そして複数の分身を操る魔女の存在もあった。無表情で人間味に欠けた話し方をするが、心の奥底は愛情と優しさを併せ持つ、とても強き魔女。ことあるごとに死ねないと愚痴をこぼしていたから、きっとどこかで生きている。……いや、伝え聞いた北の国家崩壊の話からすれば、あれはきっと魔女がやったのだろう。
越虚は思う。宗教観や倫理観が全く異なる聖王国で知識と能力を買われて枢機卿という地位を与えられているのは、思い上がってつけあがれば恐怖の魔女が裁きを下しに来る、それを未然に防ぐ役目を与えられているに違いないと。聖王国を滅亡させないためにも、あの曲者揃いの枢機卿たちをうまく御してやらないといけない。それも常軌を逸した魔女の存在をぼかしながら説明せねばならない。人間の上位に不滅で無敵の対象がいるとなれば、彼らを刺激して全面戦争から自滅の道を歩みかねないからだ。
そう考えながらカツウラに歩みを進めていると、上空から威圧感が漂ってきた。
彼は上空を見上げる。そこには何も見当たらない。だが間違いなく魔力の強い感覚が肌を通して伝わってくる。
まさか……いや、あの人ならばあり得ないと考えること自体が誤った選択となる。まさかと思える選択をこそ、今は選ぶべきだ。
彼は、何も見えない方角に向け、魔力を感じる方向に向かい、敬意を表して蹲踞の姿勢を取った。手にした錫杖を地面に置き、跪き、頭を下げ、敵意がないと体勢で示したのだ。そしてこう口にした。
「お久しぶりでございます。越虚です。ヤヨイ村では大変お世話になりました。お変わりはございませんか?」
しばらく彼はその体勢を維持していた。
すると、目の前に突如人影が姿を現した。
……
カツウラの周囲を警戒していた分身の一体が、街道を外れた山中に男性がいるのを発見した。かなり険しい山の中を、驚くべき速度でかき分けて移動しているようだ。
その分身は本体に対して詳細な偵察の許可の意見具申を行いつつ不審人物がいることを報告して、隠蔽を維持したままそこに近づいていった。
男性は精悍な風貌の男性だ。質素な和風の出で立ちに禿げ頭。手には金属の棒を所持している。武装していると判断して分身は攻撃の魔方陣を起動してから接近する。
すると男性が唐突に顔をそちらに向けた。隠蔽が破られたとしたら一大事だ。
だが、男性は手に持った棒を足元に置いて身を低くし、恭順の意を表するような姿勢になった。
そして、自らを越虚と名乗り、ヤヨイ村の名前も口にした。
これらは現在カツウラでアイビーとして活動している本体にもリアルタイムで共有されていた。
即座に本体は意識をアイビーから偵察している分身へ移し替える。
そして、かつてヤヨイ村で生活していた頃の魔女の姿を再現して変化した。
……
「顔を上げよ」
蹲踞していた越虚はそう呼びかけられて前を見た。
そこには、あのヤヨイ村の魔女の姿があった。
彼の脳裏に、とても古い記憶が蘇ってくる。同時に彼の目から涙がとうとうとあふれてくる。もうすっかりと涙など涸れ果てたと思っていたが、彼の頬を止めどなく涙は流れ、笑みによって刻みを深くした顔の皺に沿って伝っていく。
「お前は本当にあの越虚か?」
「……はい。はい!そうでございます!その節は大変お世話になりました」
「何を言うか、お前があちこち捜してくれたおかげで様々な作物を再現できたのだぞ。お前がいなければイチジクも実らなかった。大いに誇るがよい」
「ああ、それにしてもお互い変わらぬ姿で再会できたこと、大変嬉しく思います」
「それはこちらもだ。固有魔法で生き永らえているのか?」
「魔女殿には隠し事はできませんな。その通り、会得している魔法の作用にて命を保っております」
「ふむ、その話には大変興味がある。だが積もる話をこのような場所で続けても埒が開くまい。この先に私が管理している街があるのでそこにまず向かおう」
「やはりカツウラは魔女殿のゆかりの土地でありましたか。合点がいきました」
魔女は空を飛んで先を行き道案内をする。越虚は顔の涙を雑に拭ってから足取りも軽く急斜面を駈けていった。




