第十四話
場面は変わって。
地理的にはトーキョーからもカツウラからも離れたところ。名前をノヴィ・ソユーズという。
そこには前世を共産圏の国家で過ごした者が多く、地名もロシア語圏から命名されている。
大陸の北の方に位置しており、かなり気候的には厳しい。だが一年を通して気候は安定しており、穀物の栽培が盛んに行われている。彼らはもちろん知る由も無いが、本来その場所は地殻変動が激しい地理的特徴があり、大地を母と崇める彼らにとっては安寧の場所では無い。しかし魔女が常に地殻変動を抑えていることから彼らにとっては前世の場所と似通っていると認識しているようだ。
この世界では一般化している前世と前世持ちの概念だが、彼らの多くはそれも信じていないようだ。輪廻転生は価値観として持っていない様子であり、彼らとしては『不思議なことが起きて死んだはずなのになぜか生きており、人としての生を続けている』以上の意味は成さないらしい。そこに人生やり直しとか前世で頑張ったご褒美とか意味を見いだそうとする人々とは馬が合わないということで、そこに住まう人の大多数はよそで馴染めず移住先を捜してたどり着いたケースが目立つ。
好き好んで寒冷な場所を好む者も限られており、結果的に二十年近くの歳月を掛けてロシア語話者が集団となって国家を形成するまでに至った。なお元々住む人が少なかった場所であるので、そこの住民はほぼ全てが共産主義を信奉する転移者で占められている。
その地方は周囲にまだ無人の土地も多かったことから、彼らが積極的に他国への侵略を行う気配は無かった。土地は割と肥沃であり穀物栽培には適しており、加えてこれまで開発が及んでいなかったことから地下埋蔵資源も豊富で露天掘りで容易く採掘もでき、技術革新が進めば兵力を拡大して領土拡大の野心を抱く余地はあった。とはいえ人口がまだ少なく、国力としても途上であったことからそういう状況となるのはまだ先と彼ら自身も思っていた。
ゲームチェンジャーとなったのは、トーキョーからもたらされた魔力電池と関連技術である。
エネルギー源としての魔力に対して彼らは冷ややかであった。魔法という存在は知られているが彼らは前世の技術を基礎とする既知のテクノロジーにこだわり続けていた。
だが魔力本位制を基礎とする価値の創造は彼らによって換骨奪胎されてつまみ食いされることとなった。
ノヴィ・ソユーズ国内において魔力は通貨としての流通は無い。ルーブルがそのまま貨幣単位として使われている。通貨価値としても前世での基準に寄せる形で流動性を管理している。
その上で国家への納税が魔力で賄われる。国家からすれば「通貨ではなく使い道のない魔力であれば負担は感じないだろうから供出せよ」という論理だ。併せて国内で『魔法に関する情報統制』も行われている。あれは人類にとって未知のテクノロジーであり軽々に扱ってはならない、国家が一括管理するので危険予防のために全て吐き出せ、そういう建て付けの理論で国民感情を誘導している。
なお通貨であるルーブルにも税金は設定されている。国民にとっては税金を二重取りされているわけだが、情報操作が行き届いているので重税感はそこまで感じていない。
その上で、国家としてのノヴィ・ソユーズは魔力を外貨として活用して他国から物資を購入する原資に宛てている。国内で流通している貨幣と対外的な通貨を分けることにより国内経済と対外経済の連動性を切り離して国内経済の管理を有利に行っている。最大の経済圏であるトーキョーが魔力本位制を敷いていることから為替の変動によるリスクも顕在化していない。良くも悪くも自国の経済だけで回っている。
ノヴィ・ソユーズにおいて魔力電池は個人が所有する物ではない。国家が管理し、魔力を徴用する道具としてだけ少数が機能している。
週に一度、国民には魔力を国家に供出する義務が課せられている。体内に蓄えられている魔力を全て魔力電池に移し替えてしまうのだ。
彼らも前世持ちであるので、比較的魔力を産み出せる量は多い。中には一日300出せる者もいる。一週間貯め続ければ電池をほぼ一杯にできる者すら存在する。トーキョーであれば間違いなく上流市民となって何不自由なく暮らせる資質と言える。
しかしここでは魔力が多くても少なくても基本的な生活は変わらない。多量に魔力を出せる者には国家への貢献が大きいとして特別報償が与えられる。……名誉を与えるのが目的であるので与えられる報償としては少ない。だが名誉であるので周囲からは大いに讃えられる。結果として国民としてのランクも向上するシステムである。国家も他国の情報は基本的に公表していないことから、恵まれた資質を持つ者に実態は知らされないことになる。
他国から入ってきた人に対しても魔力の扱いについては例外ではない。入国管理の窓口で所有していた魔力電池は提出させられ、特例措置として充填されていた魔力は公定レートでルーブルに換算して両替される。出国時にはルーブルを魔力に換算して充填し魔力電池と共に返還される仕組みだ。この際に手数料と関税相当として一定割合が天引きされる。
これらの処置について訪問者からは極めて評判が悪い。魔力電池の利便性に慣れてしまった彼らにとって紙の貨幣は使い勝手が悪い。いちいち偽札かどうか鑑定する手間も生じる。管理しなければ盗まれるリスクもある。しかも目に見える形で相手国に税を支払わねばならず、本来なら額面通りに受け取れるはずの利益が少なくなる。
だがそれを勘定に入れて売却価格に上乗せして取引を行っていることから業者側にはそれなりに利益は出ている。当然、対外的な取引にコスト上乗せになりノヴィ・ソユーズ国内のインフレ要因となっている。
ノヴィ・ソユーズは前述したとおり魔力を主に外資として活用しており、国内で産出できない物資、オオタで製造された製品など先進的工作機械の輸入に充当される。その他石炭や重油を燃料にする内燃機関やニトロ系化合物を主原料とする火薬に添加することで出力を増大させる効果があることが知られており、軍事目的にも活用される。
この国にとっては魔力とは国民から都合良く徴用できて軍事力を飛躍的に強化できる存在である。それ以上の意味はない。
この国民の暮らしぶりは決して楽ではない。寒冷な気候も相まって生活するのも厳しく、生活物資は基本的に穀物やウォトカなどの配給、肉や野菜はルーブルで購入せねば手に入らない。価格は統制が掛かっているが、公設市場では物がないので結局価格の高い闇市で買うことになる。
ここまで圧政を敷いていれば政権転覆など起こりそうではあるが、何しろ前世から我慢強く圧政に慣れている市民が多い。その上法整備も未熟で憲法なども制定されず、なし崩し的に独裁体制ができあがってしまっている。現在の地球の時間軸で言えばロシア革命以前の帝国主義時代よりもひどい状態だ。
だが皮肉なことに、ここに転移してきた前世持ちの多くは国家間の紛争に徴兵されて戦闘中に命を落とした者が数多く存在している。それらの当事者にとっては悲惨な戦闘で肉体に損傷を受けた状態で死んだはずが五体満足な状態で生きながらえていることとなり、『戦わなくても済む地域で健康な肉体を得て平穏に暮らせることができている』との実感が大きい。よって多少不便で生活に苦しくてもほとんど不満は出なかった。……ここまでは。
この国の統治機構は、ほぼ全て前世のまま引き継いでいた。前世で平民であった者はそのまま支配される階級のままで、権力を持っていた側の者はそのまま支配する側に回った。さらに出世を夢見ていたものの果たせなかった者もなし崩しで支配者階級へ割り込んだ。結果として、国家の支配構造に詳しい者が権力の握り方も知っていたわけである。下級の組織構造、そこから階級を重ねて上流へと至るシステム。法体系は未成熟であったが組織構築は堅牢なものであった。
彼らはここでも国家計画としての重工業を推し進め、五カ年計画で着実に実行に移していった。鉄鉱石を鉄鋼へ精錬する。原油をくみ上げて石油製品を精製する。各種工作機械を作り上げて機械化を進めていく。さらに石灰岩からコンクリートも生産し、火薬をはじめとする化学製品も生産体制を確立させ、短時間で一気に現代化への道を歩んでいた。
それらの一部はトーキョーにも輸出され、トーキョーの急激な近代化へ寄与することとなる。しかしながらトーキョー側がそれの代価として魔力を払おうとしてきたのを彼らは望まなかったので、結果として大幅な取引には至らなかった。特にノヴィ・ソユーズ側は戦略物資として石油製品は外部に出そうとはしなかった。トーキョーも魔力によるエネルギーに依拠していたためそれを望まなかった。よって化石燃料を起源とする物資はノヴィ・ソユーズが独占することとなった。
さて、そこに一人の青年がいた。名前はユーリ。彼はロシアのベルゴロド市に居住していたが、祖国防衛の部分動員に徴用され戦闘に参加してその後戦死した。そしてこの世界に漂着してからノヴィ・ソユーズに移住してきた青年である。
彼には姉がいた。姉はマリーヤという。彼女は戦闘が勃発してから親戚がいるウクライナに居住しており、西側の文化に薫陶を受けていた。それゆえウクライナの危機に黙っていられずパルチザンに応募し、サンクトペテルブルク近傍の軍事施設へと潜入し情報収集と攪乱を担当していたが発見され射殺された。そしてこちらに漂着してきている。二人が亡くなったのは別の土地であったが、二人の絆ゆえなのかこちらには二人が同時に同じ場所に転移してきていた。
ノヴィ・ソユーズへはユーリが行こうと提案し、マリーヤは乗り気ではなかったが大事な弟とまた離れるのを嫌い、また思い込みで失敗する癖のある弟を守らねばならないとの思いから同行してやって来ていた。
ここは庶民には暮らしにくい土地だ。なので姉弟は共働きで暮らしていた。
裁縫の仕事を終えたマリーヤが一緒に帰ろうとユーリの仕事場である建設現場に立ち寄ると、そこで騒動が起きていた。
ユーリが誰かと揉みあいになり、殴り合いに発展している。
「止めて下さい!私の大事な弟なんです!許して下さい!」
即座にマリーヤは割って入り、ユーリをかばい抱きしめて守ろうとした。勢いは止まらず彼女も巻き添えで殴られてしまう。
「おい!マーシャ姉さんは関係ない!殴るなら俺だけにしろ!」
ユーリは声を張り上げた。その甲斐あって暴力は一旦ストップする。
部外者を殴ってしまった後味の悪さからかその場は沈静化し、囲んでいた男たちの群れはそこから離れていった。
「ユーリ、大丈夫?どこか痛い場所ない?」
「大丈夫だよ姉さん……いてて、口の中が切れてる」
……
「いったい何があったのさ?」
二人の質素な宿舎の部屋に戻ったところで、ケガの治療をしながらマリーヤはユーリに話しかけた。
「どうもこうもないよ。幹部役人がやって来て現場の進捗が悪いって話になってノルマが突然倍になったんだ」
「うん」
「でも僕はそれに従って頑張ってやろうとしてたら、あいつらがサボって手を抜いてるのを見つけてさ、文句を言ったら言い争いになっちまったんだ」
「はぁ……バカだねえ、あんたはちょっと生真面目すぎるんだよ。みんなと足並みを合わせてうまくやればいいのにさ」
「それじゃ国の計画が達成できないよ。偉大な大統領が決めて下さった方針なんだよ、それを守って働くのが僕たちの責務じゃないか」
マリーヤはユーリの言葉に陰鬱となった。ユーリは純粋だし外の世界を知らないから骨の髄からの共産党員であろうとしている。彼女の価値観からすればそれは間違っている。そうは言っても訂正し違うと否定するのは容易いが言ってしまうと大事な弟の言葉を否定することにもなり、また離ればなれになってしまうかもしれない。それだけはなんとしても避けたかった。
「……うん、そうだね」
まずは波風を立てず言葉を濁すマリーヤだった。




