第十二話
場所は変わってトーキョー。中心街から外れた貧民街だ。ここにも高層建築物は建ち並んでいるが、その足元はというと薄汚れていて寂れている。目つきの悪い人間たちがそこかしこにたむろしており、いかにも治安が悪そうである。
その一角に魔力配給所と書かれた看板が掲げられており、そこへものすごい勢いで人が押し寄せていた。
「押さないで-!一列に並んでくださーい!」
カウンター前で人混みを整理しようとしているが、群衆にもみくちゃにされている男がいる。
セルジオが追放される前まで彼の部下をやっていた、名前はマサヨシである。
セルジオがいなくなったので、マサヨシが繰り上がって現場責任者となっていたのだった。
トーキョーでは警官の役職としてこういう雑務も押しつけられている。あまりにも急激に成長してしまった自治組織であるので、制度設計もいい加減なままになっており、結果便利な人材として人材不足なままで割り振られ改善されていなかった。
「おい!いつまで待たせるんだよ!早くしてくれ!」
「早く魔力をもらって帰らないとうちの子にご飯が食べさせられないの!急いでちょうだい!」
「てめぇ!俺より遅く来たのに何でそこにいるんだ!そこをどきやがれ!」
「うるせえ!お前がぼうっとしてるから動いちまっただけじゃねえか!黙ってろ!」
制御し切れていない群衆は混乱して収拾がつかない。あちこちで乱闘騒ぎも起きている。殴り合いになって振り上げた拳が意図せず別の人物に当たって、それが更に乱闘騒ぎを広げてしまっている。
『ああ……だめだこれ……俺には無理っすよセルジオさーん……』
何とか収拾がつくように抑えようと彼なりに奮闘はしているのだが、ほとんど何もできていないどころか乱闘に巻き込まれて巻き添えで小突かれている始末である。
ここに詰めかけている群衆は、月に一度の魔力配給を貰いに来ている。トーキョーの政府の方針で貧民に対して施しを行っているのであるが、上司である署長は細かいところまで指示を行わず現場に一任しているので、現場の責任者がよほど有能でなければ混乱を巻き起こしてしまう。その上で市民に対して要らぬ警戒感や敵がい心を抱かせないようにと、現場での暴徒対策はほぼ禁じられていた。過去に同様のケースで流血騒ぎになり市民から苦情が殺到したことがトップの会合で取り上げられ、それ以後は武装はしてはいけないとの取り決めとなったのである。これも上層部が現場を見ていないことから発生した齟齬であった。
セルジオは、なるべく穏便に済ませるため事前に周到な用意を行っていた。彼が前日から窓口前に立ち、整理券を配布し、徹底的にその順番を守らせていた。おかげで整理券の奪い合いなど多少の混乱は起きていたものの、ここまで致命的な混乱にはならずに済んでいたのだ。……反面セルジオは時間外労働で徹夜し整理券も自分で用意し配布も自分で行い整理券を渡した人物の顔まである程度記憶して対応するという、自らに凄まじい負担を強いていた。
前回までセルジオの下について指示を受けていたマサヨシは、今回は見よう見まねでそれをやろうとしたのだが……
『ありえねえ……どんだけだよセルジオさん……全然できねぇじゃん』
セルジオはそういう細かいところを引き継ぐ前に追放されてしまった。なので準備方法などノウハウがないところからマサヨシに丸投げで任されてしまい、結果何も準備できないまま当日となってしまったのだ。
セルジオも最初からそこまで要領よくこなせているわけではなかったが、持ち前の几帳面さで改善点を洗い出し、回数を重ねるたびに洗練された方法となっていったのだった。
それらは全部セルジオが個人で考案して仕事の時間外で行っていた。故に組織として全くノウハウは共有されていない。とは言え、急に人事が変わるリスクまでは予測できていなかったので、起こるべくして起こった事態である。セルジオはその問題点を理解していたので、毎回上司に提出する詳細な報告書で改善策を立案していたのだが、全く現場にフィードバックされなかったのだ。
整理券は準備できなかった。整理する人間が不慣れで、現場の人数も足りていない。集まっている人間の顔を覚えて対応する器用さはマサヨシにはない。集まった群衆は生活がかかっているので必死。結果、窓口前は必然的に大混乱となった。
あらゆるところで掴み合いの乱闘が起きていて収まる気配はない。それに巻き込まれた女性たちは叫び声を上げて逃げ惑い、隅で固まっておびえている。
ここで手詰まりとなったマサヨシはやけを起こした。パニックを起こしている相手に一番やってはいけない方法を選んでしまった。とにかく早く終わらせて帰らせようとしたのである。
「今から!魔力を配ります!俺の前にいる人から優先!早い者勝ち!俺に危害を加えたら魔力は渡しません!はいスタート!」
と彼はあらん限りの力を振り絞って大声を出した。
それを聞いた前の方にいた群衆が一気に窓口に押し寄せる。
「よし!俺が最初な!」
「先を越すなって何度も言ってるだろうが!」
「え?よく聞こえなかったんだけど、魔力の配布してるの!?」
「だから!俺を!殴るなって!痛い痛い痛い!」
唐突に配布が開始された。かなりの大声ではあったが、何しろ乱闘騒ぎとなっている現場では全体に声は届かない。前の方にいた人はとっさに気づいて殺到した。
なるべくして前方に向かって群衆の圧が集中している。順番を競ってさらに混乱は広がり、殴られて吹っ飛ばされて血を流して倒れる人まで出ている。だが誰もが魔力を欲しがっているので、怪我人には誰も気にもとめない異常な状態だ。
「後ろの奴!押すなって言ってんだろうが!」
「俺だって後ろから押されてるんだ!しょうがないだろうが!」
「お願いだよ!魔力をちょうだい!もらえなかったら子供が飢え死にしちゃうの!」
とにかく早く終わらせるしかない。そうマサヨシはとっさに考え、手近な人の魔力電池に供給端末を近づけた。
「配りまーす!受け取ったら早く帰って!」
もみくちゃにされながら彼なりに奮闘し、魔力の分配を行っていく。だが細かいところまで確認できていなかったので、一度受け取った男がもう一度魔力の二重取りをしていたのに気づかなかった。それを目ざとい男が発見する。
「あー!こいつもうもらってるのに二回目受け取りやがった!許せねえ!」
これをきっかけに混乱は更にひどくなる。死人が出てもおかしくない状況だ。
マサヨシは早く終わらせたいので必死に魔力の配分をがむしゃらに行っている。誰に配ったかなんてまるで見ていない。
受け取った人間はそのほとんどが帰っていくが、何度も魔力をもらえないかと画策する連中もいるのでいつまでたっても群衆は収まる気配がない。
そうこうしているうちに魔力の配分予定が終わった。予定していた魔力のストックが尽きたのである。
「魔力終わりました-!配布終了でーす!もらった人は帰って下さーい!おしまーい!」
彼はそう怒鳴るが、配布にありつけなかった人から抗議の声が上がる。
「ちょっと待って!もらってない!どうなってんの!」
「まだ終わるなよ!どうなってるんだよ!おかしいだろこれ!」
「終わりました-!終わったの-!おしまーい!」
腕を振り回し制止しようとしたマサヨシに一人が食ってかかる。
「お前よぉ!そもそも今回やり方がおかしくねえかぁ!整理券もなかったしダブって配給しているし、どう考えてもお前が悪いだろ!」
それに他の連中も呼応する。
「そうだよ!こいつの手際が悪すぎる!」
「どうしてくれんの!あんたのせいでうちはご飯が食べられないよ!死ねっていうのかい!」
「責任取ってお前の魔力を寄こせ!お前の電池を出せよ!」
今まで混乱の中にあった群集心理が、担当の人間に対して敵意を向けるようになって、悪い意味でベクトルが収束してしまった。
魔力を受け取れなかった人が警官であるマサヨシにあらん限りの暴力をぶつける。普段なら警官に対して暴行を加えるなど、即座に逮捕されてしまうから絶対にあり得ない光景だ。
しかし興奮状態にある群衆はそれの異常さを認知できず、完全に暴走した。
「確かに!俺が悪いんす!それは認めます!でも俺も精一杯やってるしこれ以上何とかしろって言われても無理っす!勘弁して下さいっす!」
頭を守り身体を丸め、暴力に耐えるマサヨシ。ついに彼は堪えきれず号泣してしまった。だがそれが反感を煽ってしまう。
「泣いて済むと思ってんのか!きちんと責任を取れ!」
「誠意を見せろ!それが責任ってもんだ!」
「泣きたいのはこっちなんだよ!あたしだってこのままうちに帰れないんだよ!子供にどう説明すればいいんだい!」
……なお、現場にはマサヨシ以外にも担当の警官が配置されていた。しかし、この混乱を見てみんなが散り散りに逃げてしまい、結果マサヨシに全て押しつける格好となったのである。
……
「それで、魔力の配布としての体裁は確保したが、適切な配布かどうかは確認できなかった、と?」
「はいっす……」
場所は警察署の署長室。そこには報告書を前に苦々しい表情を浮かべ立派な机と椅子に腰掛けている署長とふらつきながら何とか立っているマサヨシがいた。
マサヨシは大けがを負ってあちこちに包帯を巻いた痛々しい姿。けがの具合から考えればベッドで直ちに休息させるべきレベルである。最低でも椅子に座らせて休ませねばならないところなのだが、署長は彼に対して一切いたわりの態度を示さなかった。
マサヨシは必死に体制を維持しようと努力しているが、もはや立っているのも難しい。
「こんなことは直近では起きていなかったんだがね。魔力の配給は数年間というもの今まで大きな問題が起きた報告など無かった。警官が民衆から暴力を振るわれて大けがを負うのも恥ずべき話だ。分かっておるのかね?」
「はいっす……」
「君に任せたのが間違いだったのかね?私の判断がおかしかったのだろうかねぇ?」
「……」
「返事は?」
「俺が悪いんす……俺が無能だから悪いんす……」
「そうなのか。君は無能だったのだな。私の見る目がなかったと」
「いえ、署長は悪くありません、俺が全部悪いっす」
「全く、無能な部下を持つと苦労する。情けない」
「すいませんっす……」
本来陽気で快活な性格であるマサヨシだが、ショックな出来事が重なってしまい、すっかり意気消沈して鬱になり判断力も鈍ってしまっていた。身体の各所に骨折も負っていて、痛みで気を失いそうになっている。とにかく自分を責めてこの場を収めてなんとかしようとしている様子だった。
「今一度君から確認をしておこう。無能でも聞いたことに答えるくらいはできるだろうな」
「はいっす」
「規定量の魔力を渡すことはやった、だが相手の確認を怠り、二重三重に魔力を不正に受け取った者がいる」
「ええと、それについては……そう苦情を受けました。自分は確認できていませんが」
「魔力を渡したのは主に男性で、乱闘に参加できなかった女性に対してほとんど魔力の配布はできていない」
「それは……多分その通りっす。自分、訳が分からなくなって近くにいた人にとりあえず魔力を渡してたんで、その配慮はできなかったっす」
「その上で君が無能さを発揮し、人々に手際の悪さを責められて、それが元で暴行を受けた」
「はいっす。間違いありません……」
「……はぁぁぁぁぁぁぁ」
署長は大げさに頭を抱え、深くため息をついた。
「君が今回やった不祥事は、警察全体の信用失墜につながる重要な物だ。事は君だけではなく、私の将来にも傷が付いた。私が部下を適切に指導できず、現場を混乱させて業務を正常に行えなかった、その責任が私にも掛かっているのだ。これが如何に深刻であるか、分かるかね?」
「本当に申し訳ありませんっす……」
「不正に魔力を受け取った者がいたとして、それをどうすれば問題は解決すると思うかね?何か提案はあるか?」
「分かんないっす」
「さっきから生返事ばっかりで、聞いてるこちらまで気が滅入ってくる。ピタッと立ってることすらできず、フラフラしとる。真面目にやる気があるのかね?」
「すいません。すいません……」
署長はさすがにこれ以上は有用な情報は得られないと判断したようだ。
「もうよろしい。大体の事情は確認した。残りは明日までに報告書、改善案と反省文を書いて提出するように。よいか?」
「……はいっす」
「これで話は終わりだ。下がりたまえ」
まっすぐ起立することすら難しい体調であったが、マサヨシはかろうじて署長に敬礼の姿勢を取った。
よたよたと足を引きずりながらマサヨシは退室する。
彼が扉を閉めたところで、署長は再び深いため息をついた。
「ああ全く。どこまで間抜けなんだ。与えられた仕事すら満足にこなせん部下がいるとはなんたる不幸だ。前任者は連れて行った会合で問題を起こして反抗するし、その次は無能で仕事を全うできないだと?まともな奴はどこにいるんだ?情けなくて嫌になる……」
その後ろには魔女の分身がいた。もちろん隠蔽で身を隠している。
彼の叱責を傍で聞いていたが、あまりにも理不尽だ。
マサヨシに仕事をさせるに当たり、何も具体的な指導は行っていなかった。現場に適切な人員をあてがっていなかった。過去の事例を参照できる環境がなく、行き当たりばったりで仕事をさせた。その上で失敗したことだけを必要以上になじり、どうすれば良かったのかも教えない。先ほどの言い方だと、署長自身も現場の改善策を思いついていないようだ。立場上過去の詳細報告を受けているはずなのに、それを踏まえての発言もなかった。
自分は優雅に座りながら、痛々しい姿の部下をその場に立たせ、厳しく叱責する。これも思いやりのかけらも感じられない。
彼は部下を何度も無能だと断じていたが、魔女から見れば上司である署長の方が無能ではないか。
分身は統括するトーキョーのサブ分身に現状報告をあげた。しばらくすると返答が来た。
そちらはそのまま観察を続けよ。先ほどの男にはこちらから新たな分身を送って対応する。
受け取った分身は、そのまま署長の観察を続行した。




