第十一話
「おつかれさまです。そろそろお昼にしましょうか」
陸上ドローンを降りたグレンが手を振りながら大きな包みを持って呼びかけてくる。
畑作業をしていた男たちもその合図を見てそこに集まってくる。セルジオもそちらに向かった。
「うちは日本式のお弁当なんです。セルジオさん、和食は平気ですか?」
「ああ、米ならトーキョーで食ったことがある。和食とやらもお偉いさんに連れられてごちそうになったことがあるよ」
「いやぁ、そういう高級なものじゃなく素朴で質素なものですよ」
グレンが弁当箱を開くと、そこにはぎっしり並べられた白米のおむすび、それと卵焼きに漬物と梅干しが入っていた。
「僕の農業のやり方は日本出身の師匠から受け継いでるのが大半でして。この弁当も師匠直伝です」
彼らは土で汚れた手を手ぬぐいできれいにしてから弁当に群がった。
片手におかずを持ち、もう片方でおむすびを持って頬張っている。
セルジオもまずおむすびを手に取ってかぶりついた。適度に振られた塩味がちょうどいい。中にはネギ味噌が入っていた。彼にはなじみのない味だが、汗をかいた仕事休みには何だかしみるうまさだ。
「どうですか、お口に合いますか?」
「これは……ミソ、だったか?こうやって食べるのは初めてだがうまいものだな」
「それは良かった。弁当に入ってるのは全部うちで取れた物ですよ。味噌や醤油も自家製です。海産物から乾物も作ってます」
隠蔽を使っている分身は、その様子を本体に情報共有していた。
……
情報を受け取った魔女は、最近起きた出来事を思い出す。
それは二百年に満たない時のこと。まだ魔女が比較的穏やかに前世持ちと交流を深めていた時代である。
時期としてはようやく千体以上の分身の管理のやり方を体得し現在の体制を整えた頃。落ち着いてきたので気まぐれで魔女は人間との関わりを強くしていた。
ある集落で魔女は年老いた一人の女性と知り合う。魔女が大きな力を持っていると知った彼女は死ぬ前になんとしても前世で親しんでいた食を再現したいと懇願した。米が食べたい。醤油と味噌が欲しい。鰹節と昆布で出汁を取りたい。生魚で刺身を食べたい。等々……
魔女は困り果てた。彼女が食べたいというものはどれも「この世界に存在しないもの」だったからだ。さすがの魔女も、全く手がかりのない生物を無から誕生させるのは極めて困難であった。仮に作ったとしてもそれを次世代に繁殖繁栄させるのは無理難題にもほどがある。
だが、彼女からそれらの製造方法などを丹念に聞き出した魔女は、ある方法を思いつく。この世界で似たものを捜し出して時間を掛けて改良するのは可能なはずだ。凄まじい熱意で魔女に対して切々と訴える彼女に、ついに魔女も根負けした。そしてそこまでおいしいという食品を自分も食べてみたくなったのである。
米というのは原種が高温多湿な平地によく生えていたという。それを確認した魔女は分身を駆使しあちこちを飛び回り、イネ科の植物(厳密には同種ではなく平行進化により同じ植生になった植物)でかなり似通った品種を捜し出した。……ここまでで既に数年が経過している。
次に魔女は一角を結界で区切り、その部分だけを魔法で時間を加速させた。生育に水と空気と光が必要だったため、それらは必要に応じて増幅もしつつ外部から通すようにして害虫などは入ってこないように遮断した。これで実るまで数ヶ月必要な植物を一週間で実るまでに必要期間を短縮し、これを何度も繰り返して品種改良を始めたのである。幸運なことにこちらのイネ科の植物も自家受粉であったので、閉鎖環境でも品質改良が可能であった。
最初は実も小さく味も悪かったが、その中で良い物と悪い物を選別し、何度も何度も選別を繰り返す。百回ほどこれを繰り返したところで有意な変化が現れ、五百回目くらいにはかなり良い物が収穫できるまでになった。
驚くべきは、暇つぶしも兼ねて酔狂でやっていた魔女の研究に、他の人間たちが興味を示したことだ。
最初に言い出した彼女が十年近く米の品種改良に付き合っていたのは予想の範疇であったが、どこからかそれを聞きつけた他の前世持ちも協力を申し出てきたのである。彼らはみんな日本人だった。彼らもまた同様に食に関してのこだわりが強く、米を食えるなら何でも協力しようという熱意がすごかった。
当初は協力を拒んでいた魔女であったが、懇願する者が後を絶たず、必死に手伝わせて欲しいと強く請われたので、最終的に彼らも輪に加わることになった。
悲しいかな、最初にこだわりを見せて執拗に米の品種改良へ取り組んでいた女性は道半ばで命が尽きてしまった。かなり食べられる水準には届いてはいたが、それでも前世で食していた本物には遠く及ばなかったままで時間切れとなった。
しかし改良は終わらなかった。既に携わる人間は数百人ほどの規模になっており、ようやく色も白くなり釜で炊き上げられるほど粒も揃ってきたので、いよいよ米として食べられる近辺まで来ていたからだ。
魔女の周囲には日本からの転移者が「米が食べられるらしい」との噂を聞きつけて集まってくるようになっていた。
人数が多くなると農業をやっていた人間も増えてきて、更に改良は加速していく。最初は種の直播きから始まり、水を張った水田を作るようになり、苗を育てて田植えをするようになり、日照時間や気温の調整を行うようになり、農機具もどんどんと進化していく。いつの間にやら鍛冶職人も常駐するようになり鎌や鍬から鍋釜に至るまで作られるようになった。
最初は一人の熱意と、それにほだされて暇つぶしで始めたものが、ここまで大規模になっていく。魔女は自分が力を貸してやっていることが面白くて仕方なかった。
米がほぼ目標に達しておいしく食べられるようになれば、当然次は味噌と醤油、そしてご飯の友が欲しくなる。日本に生まれた人であれば当然である。……魔女はよく分かっていなかったが、ここまでくれば乗りかかった船だ。
大豆に似た作物を世界から捜してくる。これを同じように時間を加速して改良していく。おなじく大根などの作物も同様にして育てていく。大豆ができれば豆腐ができる。醤油ができれば佃煮ができる。大根ができれば漬物ができる。日本人の食卓によくあるものが次々とできあがっていった。
魔女にとっては終わりはちっとも見えなかったが、それの成果を興奮して手伝う人間たちの笑顔を見ていると、不思議と疲れる気分にはならなかった。彼らがうまそうに食すものはどれも珍しく目新しく、その上とてもおいしかったので魔女も食事をする楽しさと親しい人間と囲む団欒の心地よさを知った。
こうしてこの世界における和食文化が花開いたのであった。それは魔女にとって経験したことのない人間との和解した時期であった。
だが。それも唐突に終わりを迎えた。
得体の知れない魔法を操る集団が不気味な文化を広めようとしている。そういう情報がある国家に届き、いきなり魔女とその周りにいた人間たちに弾圧目的で軍隊を差し向けたのである。
外部から見たら明らかにこの世界と異なる文化が急激に成長している。得体の知れない食品がとてつもないスピードで量産され、恐るべき浸透速度で食文化を侵略している。なお悪いことに日本人は元々信仰心に乏しい者ばかりであったため、宗教国家にとっては理解できない文化であると映りやすかったのであった。
魔女がいるのだから、もちろん分身が周囲を巡回している。よって行進して近づく軍隊の隊列は遙か遠くから察知できていた。
魔女に掛かれば一万にも満たない軍勢など、近づく間もなく瞬時に壊滅させられる。万が一にも負ける道理など無い。実際、魔女は相手を大規模攻撃魔法を用いてことごとく攻撃し蹴散らし刃向かう気力も失うほどにとどめを刺すつもりであった。
それを制止したのは、他ならぬ日本人の前世持ちたちだった。
自分たちの居場所を追われ、大事に築いてきた田畑を焼かれる。本来なら絶対に受け入れられない条件を、彼らは呑むと主張した。農業の技術は既に確立したし、場所を変えても再現ができる。もっと小規模にやれば目立たず目もつけられないかもしれない。それに世界は和食の味を知ってしまったのだ、必ず需要があるのだから時間を掛ければ受け入れられる自信がある。だから今はここを離れて流浪となろう。彼らは魔女に対して涙を浮かべつつ笑顔を浮かべてそう訴えてきたのだ。ここで相手に敵対心を不要に煽るのは得策ではないというのだ。
魔女は、彼らの話を受け入れ、土地を明け渡す覚悟をした。そのかわりに集まった人間に対して危害を加えない交換条件も、率いていた司令官に対して魔女の力を誇示して恫喝しつつ手に入れた。それとなく日本からの転移者に理由無く迫害するなと釘も刺した。
攻撃にやって来た軍勢にとってもこれは想定外だった。反抗されると予想し徹底的に根絶やしにするか、もしかしたら死に物狂いで抵抗されて攻撃側にも大きな被害が出るかと思っていたが、相手が戦う前に降伏して解散するという。しかも相手の統率者がとんでもない威力の魔法を持っていて、追撃したら焼き払うと脅してきた。彼らの理屈で考えれば、それだけの魔法を持っていながら何故反撃しないのかが分からない。だが最終的に双方に被害が出ないのならそれはそれで喜ばしいことでもあるし、攻撃側にも相手の勢力を解散させた大義名分が立つ結果となったとし、魔女側から司令官へ調印文書が手渡された段階で状況は終了となった。
こうして日本人の前世持ちたちは散り散りに分かれていった。親しい家族などが数十人単位で行動し、あらゆる場所に旅立っていった。
皮肉なことに彼らが定着した場所には和食文化が根付き、そこから各地に日本文化が定着することになったのである。特に彼らが経営する農地の産品や食堂はとても味がいいと評判になり、ありとあらゆるところで日本文化を好意的に歓迎する基礎となったのだ。結果的に彼らが一時的に戦いを選択せず引いたことで最終的に彼らの意図する状況となりつつあった。……言うまでも無いことだが、彼らの背後には常に魔女の庇護があった。それぞれの集団には分身が付き、影ながら彼らを守っていたのである。
そして、魔女はこれを最後に表立って人間を庇護するのを止めた。関わりすぎるのは良くないと考えを改めたのだ。以後は副人格を設定して正体を隠して間接的に関わることにしたのである。
落ち延びた日系の住民が開拓したカツウラにデイジーが漂着したのがこの頃であった。




