第十話
翌朝。
光遙亭の一室で二日酔いに苦しんでいるセルジオをアイビーが見舞いに訪れていた。宿の主人であるデイジーもいつもと違ってその横で小さくなっている。
二人は眠っているセルジオを気づかい一旦居室から出て、扉の前で話し始めた。
「ね?前にも言ったよね?飲めない人に無理矢理飲ませるなって?相手にきちんと同意を求めてから飲むかどうか決めなさいって?何度も言ったよね?」
「……はい」
おおよそいつものデイジーからは想像もできないほどかしこまった姿。光遙亭の二階、宿舎スペースの廊下。デイジーはそこに正座させられている。アイビーは腰に手を当ててデイジーを睨みつけている。
「あたしはだいたいのことは大目に見てるし、やらかすことだって愛嬌だと思ってる。でもね?体質的に受け付けない人に飲酒を強要するのはやってはいけないことなの。最悪命を落とすの。これも前にさんざん言ったね?」
「……はい」
「幸いにしてセルジオさんは酒に対して極端な拒否反応がない人だったけど、それでも体質としてはかなり弱い人だよ。今回も卒倒したところであたしがすぐに駆けつけなかったら危なかったかもしれない。マルティエッタがあたしに電話で連絡してくれたからすぐ来れたけど、いつもそううまくいくわけじゃないからね。間に合わなかったら大変だったよ?ね?」
実際としては、セルジオを観察している分身からの緊急要請に魔女が反応して動き出している。マルティエッタからの電話があったのも事実であるが、あくまで方便である。
「……はい」
「本当に反省してるのね?はい、以外の返事!」
「は……じゃなかった、反省してますごめんなさい」
今回の件に関しては、魔女本体もかなり問題視していた。セルジオはこれからのカツウラにとって重要なピースとなり得る人材だと評価しているからだ。それ故彼が失われてしまうのは想定外の事態であった。……まぁ、今の段階で絶対に必要と言うまででもないのだが。しかし世代を重ねた数百年後を見据えると、今後の風習を形成する点においても彼のような真面目な人間はいてくれた方がいい。陽気で純朴な人間は揃ってきたが、それに対して規律を重んじて組織を引き締めてくれる人間も少数は必要なのだ。
「うん、じゃあこんなもんでいいや。薬も飲ませたし、そろそろ効果も出てくるでしょ」
とアイビーは言ったが、これは事実ではない。
その前に彼に飲ませたのはトーキョーの医療施設からせしめてきた初期段階用の胃薬に過ぎない。それを与えてから隠蔽している分身が彼の内臓に魔法を当てて治療を続けているのである。
何しろ、魔女は今まで数千年の長きにわたって人間を観察し、敵対する人間をあらゆる手段で攻撃し絶命させてきた。その段階で人体に対して表現不可能な様々な行為をやってきて、人体の構造や治療方法及び破壊方法に熟知している。
現代医学を超える水準の外科手術も行えるし、最終的に分身を一体犠牲にして臓器の移植すら行える。頭部さえ生きていれば身体全部を再生することも技術的には可能である。今回のように人体の新陳代謝の促進と痛んだ内臓の修復程度ならお手の物だ。だが表立ってそれをやっていると知られてはいけないので薬で何とかしていると言い訳している。
「あ……さすがに今回は調子に乗っちゃった。悪いと思ってるよ」
デイジーはそろそろと腰をあげて上目遣いでアイビーの様子を見ている。お説教が終わったようなので機嫌を損ねないよう注意しつつ終わらせに掛かっているようだ。
長年の呼吸でそれを見て取ったアイビーがデイジーの頭に手を置いた。
「そだね、調子に乗っちゃったね。それが分かってるならまぁよしだ。次からは相手を選んで飲ませること。いいね?」
「わかった!相手は選ぶ!楽しく飲める人と飲むよ!」
何があっても酒を飲まない選択肢は拒否する勢いで答えたデイジーにアイビーは苦笑した。
しばらくたって二人が部屋に戻るとセルジオが起き上がっていた。
「何だか手間を掛けさせてしまったようだな。俺もまだまだ鍛え方が足りないか」
「そうだね、では次の飲み会のよゲフッ!」
懲りてないデイジーの横っ腹にアイビーの拳が容赦なく入った。
「今なんて言ったのかな?ん?」
「冗談だからねって痛い痛いっ!」
追い打ちを掛けるようにデイジーは耳をつまんでひねり上げていた。
……落ち着いた空気になったところでセルジオが口を開いた。
「ところで俺の仕事の件なんだが、海に出て手伝うのはまだ早そうだ。やるにしてももう少し身体が慣れてからじゃないと足を引っ張るどころじゃない」
「話は聞いたよ。アイラからは男手が欲しいって言われてたから紹介したけど、ちょっと合ってなかったかもねぇ。向こうからはそれでもいいよ、身体が慣れるのもすぐじゃないかって話だったけど」
デイジーの返事にアイビーが言葉を継いだ。
「じゃあさ、海じゃなくて畑はどうだろ?グレンのところも人手を欲しがってると言ってなかったっけ?」
「そうなのか?それなら役に立てるかもしれないな。こう見えて身体は頑丈な方だ、格闘技も一通り経験してるしトレーニングもやってた。肉体労働なら何とかなるだろう」
それに対してデイジーは浮かない顔だ。
「あそこは結構キツいと思うんだけどねぇ。魔力を持ってる人はドローンに乗れるからそれに見合う仕事になるんだけど、セルジオは宿代より魔力が低かったからそれもダメだろうし。……一応口は聞いてあげるけど、アイラのとこよりハードル高い気がするよ」
「そこまでなのか!?でも、一応それなりに力のある男ということで評価をして欲しいもんだな」
こうして、次のセルジオの行き先はグレンの所有する畑仕事となった。
……
日を改めて畑で仕事を始めたセルジオだったが、その日の午前中で音を上げた。
想像より二段階は辛かったのである。
「……無理しなくていいですよ。身体を壊さないようにして下さい」
隣の畑で作業をしているグレンが心配して四本足の地上ドローンの上から声を掛けてくる。彼はドローンで耕作機械を引っ張り、畑を耕していた。
「……鍬を入れて、持ち上げて、畝に寄せて、背中で整えて……」
セルジオは畑で鍬を使って、収穫が終わり肥料も入れた土に次の作物を植える畝を整形していたが、これが慣れていないので要領もつかめず、時間と体力がドンドン減っていく。
最初にグレンからお見本を見せてもらっていたのだが、いざ自分でやってみるとまるでうまくいかない。作業としては鍬を土に入れて持ち上げ畝の形に整えるのだが、畝の高さは不揃いになるし起こしていく速度も遅くなる。丹念に耕されてかなり柔らかい畑の土だが、それでも鍬を入れて持ち上げれば土の重さがダイレクトに跳ね返ってくる。手慣れていないため持ち上げるときに足を使わず腰だけに頼った動きになっているため、背筋の筋肉に疲れが蓄積していく。腰にしびれるような痛みが走り、老人のように腰をかがめてしまう。
彼は気づいていなかったが、そもそも最初に見せてもらったグレンの見本が手際が良く素人には真似のできない速度であったので比べるべきではなかった。だが、それすら素人であるセルジオには自己判定ができず焦って空回りし、さらに余計な力を浪費して疲れを倍加させていたのである。
「すいません。こういう作業はドローンでやると早いんですけど、自前の魔力が少ないとコストが合わないんですよ。畑を起こすのは手を抜いてしまうと作物の出来にも影響しますしね」
その理屈はセルジオにもある程度理解できた。魔力を使う作業は、一般的に単純な力仕事だと魔力消費に対してコストが掛かる。ドローンで空を飛ぶなど魔方陣で一定の動きをするとかなら魔力消費を抑えられるらしいのだが、ただ重い物を持ち上げるだけのような作業は魔方陣の書式に依らない変換効率の問題が大きく、不向きだと言われていた。
これは言葉を換えると、そこまで魔力をつぎ込んで建築資材を高所まで持ち上げて高層建築物を建てられるトーキョーのコスト計算のおかしさにもつながる。前世で、つまり地球の常識で考えるならそういうのは化石燃料を用いたエネルギー機関で行うものだ。天然資源のコストと人間由来の魔法調達コストを比較するとあまりにも差が大きい。引いてはトーキョーの近代的な街並みは恐ろしくコストが掛かっている光景なのである。
セルジオは、一度休んで身体を起こし、背筋を伸ばして額の汗を拭った。腕に付いていた畑の土が顔に移り、顔に泥汚れが付着する。上半身を伸ばすと凝り固まった筋肉がほぐされゴキゴキと音が鳴った。……一気に自分の年齢が老けたような気がしてくる。
横を見ると、グレンがドローンに連結していたアタッチメントを交換していた。耕す歯車の付いているものから薄いローラーが付いているものに切り替えている。
「ここからはドローンでやりますね。すいませんが離れてて下さい」
ドローンを器用に扱い、グレンはさっきまでセルジオが一生懸命畝を形成していたところの端に機械をセットした。
見ると、グレンの両腕はドローンの背面に添えられ、細かい指の動きをしている。指の動きに連動してドローンが細かく動いているのが確認できる。
「……ここでいいかな。では動きます」
セルジオが距離を取ったのを確認してから、グレンが操るドローンが前進を始めた。同時に牽引している機械が畝を起こし始める。細かい歯車が土を掘り起こし、ローラーで畝を整形し、あっという間にきれいに整えていく。
セルジオが数時間格闘していた距離を、グレンはドローンで数分で仕上げてしまった。やはり機械化ができる作業は、速度だけで見れば手作業よりも圧倒的に早い。しかも比較対象が素人のセルジオなので、仕上がり具合でも機械の方に軍配が上がった。
セルジオは呆気にとられてそれを見ている。だが悔しいとか空しいとかよりも機械による作業の早さと正確さに驚かされているようだ。
どうもセルジオは童心に返ってしまった様子である。年端のいかない男の子が建設工事で動いている重機を目を輝かせて凝視しているように。圧倒的なパワーとスピードで豪快に動く大型重機というのは、子供心に憧れと頼もしさを感じさせるものだ。
彼の脳裏には、過去の地球で子供だったときの記憶がフラッシュバックしていた。ブラジルの貧民街で初めて警察車両を間近で見たときのことだ。
あのときは汚職まみれの警官が点数稼ぎと憂さ晴らしのため貧困者のバラック小屋を家捜しして回っていたのだと後から聞かされたが、その瞬間はけたたましいエンジン音と共に目の前を走り抜けるパトカーの格好良さが幼いセルジオの頭に印象深く刻まれていたのだった。そのパトカーの勇ましさ、その後に聞かされた汚職警官の意地汚さ双方にショックを受けて、彼は警官になって貧困者に優しくして守りたいと志すようになったのだった。
セルジオの周りには畑で働く男たちが集まってきていた。そろそろ昼も近い。
働いている連中はセルジオより一回り腕も足もたくましく鍛えられている者たちばかりだった。肉体労働者特有の逞しさだといえる。
「おつかれさまです、疲れたでしょ?」
「もう昼休みになりますから一息入れましょう」
「無理しちゃダメですよ-、続きませんからね」
気のいい人たちばかりだ。気づかいが心にしみる。……やや肩や尻に対してボディータッチが多いようにも思えるが、きっと気のせいだろう。




