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第五十三話 どうか、私を赦して

 森の一角にある公園。街の景色を見渡せる開けた場所に、電灯に照らされたベンチが一つ。

 人気のない公園の隅、二人の女子高生はベンチに並んで腰掛け、言葉もなく夜空を眺めていた。


 夕暮れ後の空が藍色に吞み込まれていく。幾つもの星が瞬きを繰り返し、不揃いなそれらの中で一際大きな星が煌々と光を放つ。

 肌を撫でる夜風。澄んだ森の香りが二人を包み込んでいく。少女達の背後で木立が葉を揺らし静かに音を立てる。


 二人の間には自販機で購入した紅茶飲料が並んでいた。

 黒髪の少女は隣の彼女の手に右手を重ねた。満天の星を慈しむ様に眺めながら、ふと、小さな声を零す。


 「綺麗な空」


 重ねた右手に力を籠める。右隣の彼女は黒髪の少女にチラリと視線を移した。

 少女は言葉を続けた。


 「ずっと、こうしていられたらいいのにね」


 もし、このまま時が止まってしまったならば。咄嗟に浮かんだ淡い期待を胸の奥に封じ込め、少女は微笑んだ。

 それはきっと叶わぬ願望。ありもしない幻想。


 「あはは。何言ってるの、永美」


 彼女は照れ臭そうにはにかんだ。「永美、今日ちょっと変だよ」

 ザア、と草木が風に擦れる音が響く。森の公園には二人の他に人影はなかった。


 「ねえ、永美」ベンチの脇に置いた学生鞄がパタリと横に倒れる。


 「どうして急に、こんなところに来ようとしたの?」


 彼女の問いに答える代わりに、永美は曖昧に微笑んだ。心配そうに自分を覗き込む友人を前にして、少女は息が苦しくなった。

 俯いた視線の先に重ねた指が映り込む。震え出す指先。少女は真っ黒な瞳孔を揺らした。


 「やっぱり、私……」

 「永美?」


 視線を感じて顔を上げれば、透き通った瞳が少女を覗き込んでいた。

 心配そうに垂れ下がった茶色の眉。きょとん、と小さな首を傾げるその姿からは、悪意など微塵も感じられなかった。


 少女の口から言葉が零れ落ちていく。


 「本当は寂しいのよ」


 電灯に照らされた紺色のブレザー。光を受け風に揺れる柔らかい亜麻色の髪。

 蒲田未玖は両目をぱちくりと瞬かせた。


 「あなたで実験が出来なくなって、私はとても寂しいわ」


 永美は悪戯っぽくクスリ、と笑ってみせた。

 右手に力を籠める。細い指に己の指を絡ませる。冷え切った指に相手の温もりが伝う。


 二人の間に置いたペットボトルがカタン、と音を立てて倒れる。


 「は、はは……永美は相変わらずだなあ」


 未玖は視線を泳がせ、眉尻を下げて笑った。薄桃色の頬が赤く染まっていく。

 右手に力を籠める。慈しむように。決して逃がさぬように。「あのね、永美」ドクン、ドクンと脈拍が加速していく。


 (でもやっぱり、私まだ)


 夜空に分厚い雲が掛かり、地上に薄暗い影を落とす。

 未玖はスゥ、と呼吸を整えてから、真剣な表情で永美に向き直った。


 「私、話したいことがあって」


――――――――――――――――――

第五十三話 どうか、私を赦して

――――――――――――――――――


 ブレザーのポケットが重みで揺れる。カチャリ、と金物の音が鳴る。


 (私、まだ未玖のこと)


 夕焼けは藍色に呑み込まれ、黒雲が空を覆い尽くしていく。星明かりは途絶え、寂れた公園を照らすのは頼りない電灯の明かりだけ。

 冷えきった空気が頬を撫でる。乱立する広葉樹がざわざわと音を立てる。


 「何? 未玖」


 少女は乱れそうになる感情を抑え、努めて冷静に振る舞った。

 友人の口から真実を聞き出す。そのために少女は、誰もいないこの場所まで彼女を連れて来たのだ。

 本当の蒲田未玖は大切な友人か、それとも、自分から大切な人を奪った連続殺人犯か。それを確かめるためには、最早この手段を使う他ないから。


 (もし後者だったら、私はここで殺されるかもしれない)


 恐怖を押し殺し、深く呼吸を一つ。自分が相手であれば油断して真実を語ってくれるかもしれない。そのために危険を冒してまで敢えて二人きりになったのだ。

 少女は警戒心を引き上げ、歯を強く食いしばった。


 友人としての情は心の奥底に封じる。

 愛情も、恐怖も、憎しみも、全ての感情を噛み殺せる。


 「あのね」少し。「私、本当は」あと少し。


 きっと、あと少しで彼女から真実を引き出すことが――


 「本当は永美を――」



 刹那。雨空の中の記憶が脳裏を過ぎった。

 蘇る映像。恐怖と憎しみに囚われた過去のトラウマが少女を飲み込んでいく。



 ――沢山可愛がってから、殺してあげる。

 ――堀口君みたいに、ね。



 (私も、殺される……!)



 「い、嫌ああっ!!」


 少女は咄嗟に右手を離した。

 震え。蒲田未玖の姿をした悪魔の笑い声が纏わりつき少女を取り巻いていく。「やめて、やめてよ」どれだけ耳を塞いでも幻聴が消えない。「違う、違う違う」やがて目の前の彼女が嗤っているような錯覚に囚われ、現実と幻の境界すら曖昧になっていく。


 「違うに決まっているじゃない!」


 少女は強く両目を瞑り、ベンチの前に蹲った。


 「永美……?」


 少女は乱れそうになる感情を抑え、努めて冷静に振る舞った。


 「そう、これは幻。幻よね」


 恐怖を押し殺し、深く呼吸を一つ。自分が相手であれば油断して真実を語ってくれるかもしれないのだ。

 少女は歯を強く食いしばった。


 「だって、あはは」


 友人としての情は心の奥底に封じる。


 「未玖がそんなこと言う筈ないものね」


 愛情も、恐怖も、憎しみも、全ての感情を噛み殺せる。



 ――はずだった。



 「はは、ははハ……未玖。どうして、そんな目で私を見るのよ?」


 幻影に怯える。


 「どうして、わらっているの」


 幻聴に苛まれる。


 やがてそれらは少女の心を蝕んでいく。



 「ああそうか。やっぱり、幻じゃなかったのね」



 辛うじて理性で抑えていた筈の感情が溢れ出していく。

 少女はギリ、と奥歯を噛み締めた。


 やっぱり、あなたが。

 ユラリと立ち上がった少女は、崖の上で両手を広げた。



 「はは、あははははァ!!!」



 解ってしまえば単純なことだった。

 自分達にはもう殺すか殺されるかの二択しか残されていないのだ、と。


 (私は負けない。私は屈しない……!)


 解ってしまえば簡単なことだった。

 時折優しく振る舞ってみせることですら、この殺人鬼にとってはゲーム感覚の余興に過ぎないのだ、と。


 (私は必ず、生き残ってみせる)


 分厚い雲が晴れていく。頭上には少女の選択を祝福するかの如く満天の星が広がっていた。幾つもの星々を瞳に宿しながら、少女は爛々と瞳を輝かせた。

 風が強く吹き、制服のスカートをはためかせる。


 「あなたに私は欺けない!」


 ――沢山可愛がってから、殺してあげる。

 ――堀口君みたいに、ね。


 一つ一つ。パズルのピースが繋がっていく。

 すなわち、先日のショウゲンに基づき、殺意の証明完了。故意犯が成立。


 「私には分かってる!」

 ショウコはあるか?

 「すなわち、あなたが」

 ショウコはあるか?


 ――私はニンゲンじゃないから。


 「はは、ははははァ?」

 「何言ってるの、永美……?」


 ジハクは引き出された。「あなたが、人間じゃないんだって」すなわち、インガ関係の証明完了。ヒコクニンには殺人罪が成立する。

 以上。いじょう。異常。



 「どうして、永美」

 「……どうして、ですって?」


 長い黒髪が風に舞う。自分を見下ろす永美の表情に、未玖は息を呑んだ。

 藍色の空を黒灰が飲み込んでいく。


 「私はずっと前からお前のことが嫌いだった!!」


 電灯が明滅を繰り返す。


 「あの時、お前が死んでいれば良かったんだ」


 永美が購入した二人分の紅茶のペットボトルが地面へと落下する。


 「あは、はははァ!!」両目を大きく見開き、「お前がァ!!!」艶のある黒髪を掻き乱し、「お前が、おまえがおまえが……」唸るように怨嗟の言葉を吐き続ける少女の姿に、未玖は言葉を失った。



 誰もいない公園。草木が音を立て、冷たい風が二人の間を通り抜ける。

 都会の喧騒から離れた森の奥、静かな夜空から再び星明かりが地上を照らす。秋の夜風が火照った肌の温度を奪い、錯乱した少女の思考を少しずつ冷やしていく。


 門田永美は突如、ピタリ。と沈黙した。


 「……あれ。どうして、私こんなこと」


 ゆっくりと顔を持ち上げる。

 状況を理解した少女は次第に顔面を蒼白させていく。


 「ち、違うのよ? 未玖」


 必死で取り繕う。


 「あはは、冗談よ。そう、取り乱したジュリエットの練習をしてたの」

 「永美……」

 「はは、ははは……」


 普段の冷静さを取り戻した彼女は苦し紛れに笑ってみせた。

 しかし数刻も立たないうちに、少女は悟るのだった。


 「なんて……」


 もう二度と、あの日々には戻れないのだということを。



 長い、長過ぎる沈黙が訪れた。

 冷たい夜風が吹く。遠くの草むらから虫の鳴き声が聞こえた。か細い音はやがれ途切れ、夜の公園には再び静けさが訪れた。



 「ごめんね」


 長い沈黙を破ったのは未玖の方だった。

 予想していなかった彼女の台詞に、永美は言葉を失った。


 「さっき花がね、永美とちゃんと話してこいって。話せばわかるって」

 「…………」

 「永美がずっと、泣きそうな顔してたから」

 「何で……」

 「分かるよ。私も、一人で抱え込むタイプだから」


 ――分かるわ。私も、一人で抱え込んじゃうタイプだしね

 ――でも、顔は笑っててもね。心は泣いている時だってあるでしょう?


 いつか、少女が蒲田未玖に伝えた言葉を思い出す。


 「どうして……」

 「あの日、永美はこんな私に救いの手を差し伸べてくれた」


 顔を上げた彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。

 それは、今にも崩れてしまいそうな儚い笑顔。


 (あんなに酷いことを言ってしまったのに)


 苦悶に歪んだその表情は、とても人を殺めた人間のものとは思えなかった。


 「だから今度は、私が永美の傍にいたかった」


 少女の心が崩されていく。

 少女の凍った心が融かされていく。


 「私じゃ情けないかもしれないけど、永美の味方でいたかった」

 「未玖……」

 「でも、駄目だよね。永美の嫌いな私じゃ」


 木立がザア、と音を立てる。黒髪の少女の目の前で栗色の髪がふわりと舞い、未玖の表情に影が落ちる。

 蒲田未玖は唇を強く噛み締め、涙を堪えていた。


 《私はずっと前からお前のことが嫌いだった》


 永美は今しがた吐き捨てた言葉を悔やんだ。


 《あのね。私、本当は》


 ――永美の味方でいたいんだ。

 先程友人が伝えようとした本当の台詞を理解した瞬間、少女はハッと息を飲んだ。


 「ち、違うの。未玖」


 けれどきっと、もう二度とその温もりを取り戻すことは出来ない。

 彼女自身が、その優しさを踏みにじってしまったから。


 「今まで傍にいてくれて、ありがとう。永美」


 蒲田未玖は涙を流した。

 ぼろぼろと、透明な雫が溢れ落ちていく。透き通った雫は夜空の煌めきを反射しキラリと輝いた。永美の姿を映した瞳には、どんな悪意も映っていないように見えた。


 少女はそれをただ綺麗だ、と思った。


 「違う、違うのよ」


 その時、何かが崩れ落ちていく音がした。


 「お願い、私を赦して。嫌いだなんて嘘なの」


 それが、無意識のうちに自分自身の心に貼りつけていたレッテルだったのだと気がついた。

 それが、無意識のうちに相手の言葉に貼りつけていたレッテルだったのだと気がついた。


 「あなたのこと、ずっと大好きだから」


 その涙はこんなにも透き通っていて綺麗なはずなのに。


 「もう私を、ひとりにしないで……!」


 この世のものとは思えない程に、美しいと思った。

 この世ではない何処かへと、消えてしまうのではないかと思った。


 《私は人間じゃないから》


 ありもしない筈の妄想が、少女の頭にこびりついて離れない。



 「私はずっと、永美の隣にいるよ」



 その言葉を聞いた少女は、その場に崩れ落ちた。


 夜空を小さな星が流れ落ちていく。

 少女の頬を熱い雫が流れ落ちていく。


 未玖が微笑むので、少女は彼女にしがみついて泣きじゃくった。

 声を上げたのはいつぶりだろうか。少女の冷え切った頬を、人肌の温もりが包み込んでいく。



 綺麗な星月夜に、黒々と分厚い雲が掛かる。

 光は途絶え、暗がりが再び夜の公園を覆う。


 少女のブレザーが重みで揺れ、ポケットの中でカチャリ、と刃物の音が鳴る。




 「『――なんて、嘘に決まっているでしょう?』」

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