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第五十二話 だから、両手を広げて

  ♪♪


 《もう一つ、聞きたい事があるの》


 あの時、突然途切れた記憶。

 再び意識を取り戻した私が直面したのは、惨憺たる現実だった。


 《堀口優という人間を、知っているかしら》


 瞬間、心臓がドクンと跳ねた。


 《私、その。ニュースで見た事があったから》


 焦燥。蒼白。絶望。

 あの時の永美の表情が忘れられない。


 永美はそれ以上私の言葉に耳を傾けることはなかった。

 校舎内に駆け込む彼女の背中を眺めながら、その場で立ち尽くす私の思考を疑問が埋め尽くした。


 ――どうしてそんな事を私に聞いてくるの、と。


―――――――――――――――――――

第五十二話 だから、両手を広げて

―――――――――――――――――――


 文化祭前日、放課後。

 休憩時間も終わりを迎えようとする頃、おつかいついでに委員長から永美を探してくるよう頼まれた(命じられた)私は、校舎内を巡りながら永美の姿を探していた。


 屋上。校舎裏。昇降口前。

 以前は中庭で休憩時間を一緒に過ごすこともあったけれど、その場所にも彼女の姿はなかった。


 《堀口優という人間を、知っているかしら》


 咄嗟に過ぎった嫌な想像を頭の隅に追いやる。

 両足が竦む。廊下の壁に手をつき、深く呼吸を一つ。大丈夫、そんなはずはない。きっと何かの間違いに決まっているのだ。


 (間違いじゃなかったら、私はどうするの……?)


 食堂前の自販機がジー、と音を立ててお札を飲み込んでいく。

 思考を巡らせている間、幾人もの人々の声が通り過ぎていく。運動部と思しき女子生徒達の黄色い声。教頭がどこかの偉そうな人をもてなしている。「明日は我が校の文化祭なんですよ」何処かのクラスが出し物で一位を取ろうと躍起になっている。食堂からは「成功だ!」と男女の歓声が上がった。


 あれから数日が経過した。

 永美は私の姿を見掛けてもすぐに視線を逸らしてしまう。


 私はそんな彼女に話し掛ける勇気が出せずにいた。

 真実を追及されるのがどうしようもなく怖かった。


 ガコン、と機械の音が響く。目の前に紙パック飲料が落ちる。

 透明なカバーを開け中身を取り出そうとかがんだ瞬間、通り過ぎていた幾つもの声の中から私を呼ぶ声がした。


  ☆★☆


 食堂前の看板に「世界一のカレー」と描かれた看板が掲げられる。

 自動販売機横にある木製の長椅子に、並んで腰掛ける生徒が二人。村人の衣装に身を包んだ私達は、直前リハーサル前の休憩時間をのんびりと過ごしていた。


 「蒲田さんはやっぱり、少し話しやすいかも」

 「そ、そうかな」

 「うん。蒲田さんは、()()()()()()()というか」

 えっ。

 「凄く、いい人だなあって」


 左隣に腰掛けた男子生徒に視線を移す。神崎花の幼馴染である彼は生粋の女子嫌いだけれど、彼女の友人である私にはたまにこうして話し掛けてくれることがある。

 会話を重ねていく度に、少しずつ警戒心を解いてくれているのだろうか。前髪に隠れた目は相変わらずこちらを向いてはくれないが、その口元は笑っているように見えた。


 「蒲田さんはやっぱりいい人だよ」


 文化祭用の衣装に身を包んだ生徒達が目の前を通り過ぎていく。恐らくあれは隣のクラスのメイド喫茶だろう。

 可愛らしいメイド姿の彼女達とみすぼらしい自分の村人衣装が何だか対照的だった。


 「私は、いい人なんかじゃないよ」


 (いい人な訳がない。私は……)


 ――ただの人殺しだから。

 決して口にすることの出来ない台詞は心の中で付け加えることにした。身体全体が冷えていくような心地がした。


 「蒲田さん?」

 「え? あ、ううん。何でもないなんでもない! ちょっとお腹が痛くて。あはは……」

 「大丈夫? 今保健室に」

 「うっ。実はもうすぐ赤ちゃんが産まれるみたいで……」

 「……?!」

 「あはは。冗談だってば」


 くだらない冗談を並べている間は、幾分か心が晴れる気がした。左隣に視線を移すと、前髪の下で彼の両目は揺らぎ、口はパクパクと開閉を繰り返していた。

 背後からミタが「あまり男を揶揄って遊んでやるなよ?」と忠告してきたので、私は申し訳なさ半分に笑いながら謝罪する。


 「蒲田さん、冗談言わないタイプだと思ってたから」

 「あはは。まあ相手があの面子だとね」


 ただ周りのキャラが濃過ぎて、冗談を言い放つ隙を与えて貰えないだけなのだけれど。

 私が肩を落とすと、何故か彼からは同情に似た言葉を贈られたのだった。



 食堂前から食欲をそそる香りが漂う。

 腕を組んだ男女二人が隣の自販機で揃いの飲み物を購入し、連れ立って歩いていく。


 私は先程購入した自分の飲料を膝の上で握りしめた。村人役の衣装に透明な染みが広がっていく。


 「神峰君はさ。花とは普通に話せるんだよね」

 「花ちゃんは女子としてカウントしてないから」

 相変わらずハッキリ言うのね……。


 左に視線を移す。彼の顔は相変わらずこちらを向くことはなかったけれど、前髪の下で真剣そうな眼差しが垣間見えた。

 キリリと吊り上がった目尻。彼の黒い瞳には幼馴染の彼女だけが映っていた。


 「女子は怖いけど、花ちゃんは優しいから」

 「…………」


 その瞬間、パズルのピースがカチリとはまったような気がした。

 きっと、彼の中では「女子」は怖いことになっているのだ。すなわち怖くない人間は「女子」じゃないことになっているのだろう。そうすれば、女子っぽくないと言われた私がこうして話をする機会を貰えていることにも納得がいく。私は何だか複雑な気持ちになって頭を掻いた。


 「うん。花は優しいよね」


 時々変なこと言うけど、とつけ加えてから私はクスリと笑った。

 気丈で自由奔放。何も考えていないように見えて、実は誰よりも仲間のことを気に掛けている、そんな優しい人。


 「花の底抜けに明るい性格、時々羨ましくなるなあ」


 きっとそれは、眩し過ぎて私には勿体無いくらい。

 彼女に返すお釣りを握り締めながら、そんなことを思った。


 「花ちゃんは高校に入ってから変わったんだよ」


 左隣を見やると、彼は懐かしそうに両目を細めていた。

 以前彼が話してくれた花の過去が頭を過ぎる。中学時代まで続けていたテニスを辞め、高校に入った彼女は「ゲイジュツセイ」に固執するようになったのだそうだ。すっかり()()()()()()今の彼女の姿しか知らない私にとって、その話は新鮮で面白かった。


 私は「うん」と相槌を打ってから、彼に続きを促した。懐かしそうに話す彼の口元が微笑んでいたので、何だか私まで嬉しくなった。


 「変なこと言うようになったけど、前向きになって」

 「うん」

 「前よりも笑顔が可愛……」


 そこまで口にしたところで隣からハッと息を呑む音がした。

 失言した、とでも言いたげな表情。私のすぐ隣には、みるみるうちに顔を赤く染めていく男子高校生の姿があった。


 「ほほぅ?」思わず顔の表情が歪んでしまいそうになるのを何とか堪える。デリカシーのない死神は彼の近くに寄ってジロジロと眺めていたけれど、勿論人には見えないその存在に彼が気づくことはない。

 私は綻びかけた表情を辛うじて微笑み程度で留めることに成功した。どこかの死神と違い、淑女の私は決してゲス顔などしないのだ。


 「私は応援してるからね」

 「え、何を?!」

 「ふふ。何でもないよ!」


 六限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。「あ、そういえば!」委員長の命令をすっかり失念していたことに気がついた私は、慌てて立ち上がった。

 購入した差し入れを全員分腕に抱え込む。もしかすると永美ももう舞台裏に戻っているかもしれない。早く確認しなければ。無意識のうちに所作が早まっていく。


 「私、先に戻ってるね!」

 「え、あ、ちょっと待」

 「じゃあ、お互い村人役頑張ろうね、神峰君!」



 廊下を駆けると、幾人もの生徒とすれ違った。

 教師の怒号が飛び、廊下に「ごめんなさい!」と私の声が響く。気持ちの籠もらない謝罪を述べた後、私は再び歩調を速めた。すれ違う生徒達の目には、私の傍に憑いている死神の姿は映らない。


 階段を上り、体育館に通じる渡り廊下を走る。次第にすれ違う人の数が少なくなっていく。

 隣の死神は他人事のように「あいつらも痴話喧嘩ばっかしてないで早くくっつけばいいのになー」などと呟くので、私は困ったように乾笑を漏らした。


 「本当の気持ちを伝えるのって凄く難しいんだよ?」

 

 まあ死神のミタには、きっと分からないだろうけどね。

 意地悪く笑いながらつけ加えると、予想通り死神は反論してきた。


 「な、何だと。君は一体俺のことを何だと思ってるんだ!」

 「死神でしょ?」

 「そ、そうだけどさ」

 「あはは……」


 心の靄を押し殺す。

 込み上げる本心は奥歯で噛み殺す。

 代わりに私は、禁じられた想い人に笑顔を向けることにした。


 「本当に、難しいんだからね」


 咄嗟に取り繕った歪な笑顔。あと何度この気持ちを殺せば、本当の笑顔を向けられるようになるだろうか。

 案の定、何も分からない死神は困ったように首を傾げていた。


  ☆★☆


 体育館の舞台裏に戻ると、左手に丸めた台本を持った眼鏡女子が私を手招いた。


 「おー、お疲れさん」彼女は私の腕の中からひょい、と紙パックを拾い上げると、いつもの流れで右掌を私に向けて広げた。ブレザーのポケットに忍ばせていた釣銭を取り出してから、彼女の掌の上に乗せる。彼女はウィンクしてから「サンキュ」とつけ加えた。


 「いよいよ文化祭も前日ですなあ」

 「そうだね」


 舞台裏は最後の練習に向けて緊張感に包まれていた。周囲を見渡せば、主役の永美(ジュリエット)の姿もあった。


 (よかった。もう戻ってたんだ)


 黄色の華やかなドレスに身を包んだ彼女の後ろ姿を眺めながら、私は安堵に胸を撫で下ろした。


 「なあ、未玖さんや」


 隣から花が私の肩に腕を回す。

 首筋に触れた温かい腕。いつもの彼女の癖が、今日はいつも以上に心強く感じた。


 「あたしはさ。ただ永美が()()()()()()()()なんじゃないかって思うんだよ」


 「え?」と尋ね返そうとしたところで、隣の彼女はニヤリと得意そうに笑ってから、私を置いてタタっと前に駆けていく。


 七限目を告げるチャイムが鳴り響く。

 演劇部部長は真っ新な舞台に駆けていき、大袈裟に両手を広げてみせた。


 クラスメイトの視線が彼女へと集中した。


 「青春は短いぞ。あたし達の時間はさ、きっと有限なんだ」


 左手に持った脚本が舞台照明に照らされる。何の演説だ、と舞台袖がザワつき始めた。「ちょっと、神崎さん」委員長の前原さんが花の名前を呼んでいた。自由奔放な彼女は意に介していないようだったが、不意に舞台袖にいる私を振り返り、にっと笑ってみせた。


 ライトに照らされた彼女は太陽の下で咲き輝く花のようだった。どこからか風の音が聞こえた気がした。黄金混じりの髪がふわりと揺れる。


 「人生は舞台と同じ。何を演じていたって、結局は皆同じ人間なんだからさ」


 舞台袖にクラスメイトの声が広がっていく。「何言ってんだあいつ」「相変わらず変な奴」「花ちゃんらしいね」けれどその声は温かかった。皆、神崎花という人間を理解しているのだろう。

 委員長は「早く直前リハーサルをやらなければならないというのに」と肩を落としてから、パンパン、と手を叩いた。舞台袖のクラスメイト全員の視線が彼女に集中すると、彼女はスゥ、と息を吸い込んだ。


 「私達の高校生活の文化祭も今年で最後。だから、後悔のないように頑張りましょう」


 委員長がそう告げると、ふざけてまともに練習に参加しなかった生徒達も、機材の扱いを真面目に学んできた生徒達も、全員が一斉に頷いた。



 舞台が暗転する。本番同様、体育館のステージにブザーの音が鳴り響く。

 暗がりの中でナレーションの声が響く。

 舞台袖にいる皆の視線の先にあったのは、華やかな衣装に身を包んだ主役の姿だった。


 そこに居たのは、紛れもなく門田永美という一人の人間だった。


 彼女の背中がいつもよりもずっと小さく感じた。緊張しているのだろうか、両肩が小刻みに震えていた。


 そんな彼女の姿を目にした瞬間、何かがストン、と落ちたような感覚がした。


 (そうか。私は……)


 どうして私は自分が疑われている心配ばかりしてしまったのだろうと思った。

 この前、完全無欠の永美が自分を頼ってくれたのが嬉しかった。こんな自分でも認めてくれたような気がして嬉しかった。

 けれど、本当の彼女は完全無欠の天才ではなく、私と変わらない人間なのではないかと思った。


 《私この前、満咲と喧嘩しちゃったんだよね》

 《あたしはさ。ただ永美が勘違いしてるだけなんじゃないかって思うんだよ》


 もう一度、永美と話をしよう。

 永美が一人で苦しんでいるのなら、永美はひとりじゃないのだと伝えよう。


 《顔は笑っててもね。心は泣いているときだってあるでしょう?》


 あの時、永美が私に手を差し伸べてくれたように。今度は私が。

 咄嗟に過ぎったくだらない想像は頭の隅に追いやる。きっと私の勘違いに違いないのだ。私は勇気を絞り出し、暗がりの舞台袖の中で拳を強く握りしめた。



 その日の帰り道。

 久し振りに「一緒に帰りたい」と声を掛けてくれたのは、永美の方だった。


 光のない、虚ろな瞳を向けて。

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