考えるのを、やめた!
空腹状態で午後の授業も乗り切った。
朝からエンジン全開で俺を抹殺しにかかる変化した世界にも耐え抜いた自分を褒めてやりたい。
明美のご機嫌取りや山村慶次、タイムリープの真相等の問題は未だに山積みだが、右も左も分かるようで分からなかった状況下の初日にしては上出来だ。
まずは寮部屋に帰り、一人きりになってから今日だけで得た情報を精査しよう。
「やっと帰れる……!」
「は?乙倉は、これから部活だろ?」
歓喜していた俺をどん底に突き落とすような角田の台詞が理解できず、彼を凝視した。
部活、と聞こえた気がした。
俺は高校時代、特待制度の恩恵に肖って一切部活動とは縁のない学生生活を送った。
「部活?俺が?」
「そうだぞ」
「嘘つくなよ!角田のくせに!」
「本当だもん!!」
だもん、じゃねえよ。
俺は頭痛すらして、頭を抱えて机に突っ伏した。
またまた高校時代に無かった展開だ。
本当に『昨日までの俺』は俺と全く異なる生き方をしているようで、所属する必要も無い部活にも手を出していた。
余計な事をしてくれやがって!!
今朝俺と入れ替わるようにこの肉体から消えたか眠ったかは知らないが、面倒事だけを残して離脱するとは無責任の権化にも程があるだろう。
「角田、俺は何部だ?」
「何で自分で把握してねえんだよ。……オカルト研究部だよ」
「分かった。退部してくる」
「何で!?」
「俺がオカルトに興味あると思うか?」
「あるから入部したんじゃないのかよ!?」
新情報――『昨日までの俺』はオカルトに興味関心の強い子だったらしい。
どうでもいいわ。
運動部など体を酷使するタイプで無かった事は不幸中の幸いである。ただでさえ脳みそ常時フル回転させなければ追いつけない不可解な状況にあるので、体まで消耗させられたら死んでしまう。
でも、オカルト研究部って何だよ。
「部室とか何処だっけ」
「入部して二ヶ月近く経つのに憶えてないのか」
「角田は知ってるか?」
「何故サッカー部の俺が知ってると思う……? ああでも、同じオカルト部員なら知ってるぞ」
ちら、と角田がある方向に視線を投げた。
その先を目で追うと、『河童の真実』なる題名の本を静かに読んでいる少年がいた。
円縁の眼鏡越しに、その瞳は忙しなく紙面の文字を追っている。時折、後ろへと撫でつけた髪を整えるように手で梳いていた。
うむ、やはり個性が強い。
出来れば関わりたくない。
しかし、面倒だが『昨日までの俺』について調べるには、所属している部活にも手懸りがあるかもしれない。
「よし、アクセスするか」
「乙倉。今日はそのギャグ一本を貫くのか」
「ギャグじゃない、技術だ」
「余計に分からん」
同じ部員なら多少は関わりがある筈だ。
俺は、円縁眼鏡の少年についてアクセスする。
少年の名前は――茂野正隆。
オカルト研究部を俺と共に立ち上げ、今や熱い友情で結ばれた戦友。……………何の話?
しかも、俺は入部したのではなく創設メンバーだったようだ。そこまでしてオカルトを探究したかったのか!
「あ、頭の痛い話だ……!」
「おや、どうしたんでげすか?乙倉氏」
自分の事が話題にされていると感づいたのか、茂野正隆が不敵な笑みを浮かべながらこちらへと歩む。
予想していた通り、濃いキャラだ。
今の消耗した俺では手に余るかもしれない。
「いや、何でも無い」
「ふむ……?昨日までの乙倉氏と少し雰囲気が違うでげすね?」
「ん?やっぱりそう思――!」
俺の脳裏にアイデアが閃く。
相手は熱心なオカルト研究部、その興味は超常現象や未知の法則に注がれている。
話し方からも、こちらの思う常識に縛られない思考の持ち主……かもしれない。
であるならば!
「分かるか、茂野」
「むっ?」
「俺は今――『タイムリープしてきた未来の乙倉和稀』なんだ」
俺が告げた内容に、角田と茂野が固まる。
どうだろう。
現実的に考えれば信じ難い話だが、オカルトに熱意を燃やす茂野ならば、心底から信じるかは別としても、話を聞いて場合によっては協力者になってくれるかもしれない。
タイムリープだって、オカルトのジャンルでは取り扱う場合もあるからだ。
さあ、茂野。
おまえの答えを聞かせてくれ!
「いやいや、雰囲気とかキャラ作りまでは良かったでげすけど、『設定』がタイムリープなのは見直した方が良いでげすね」
あっれー?
茂野はまるで信じていない風である。
これでは、ただ恥をかいただけではないか。
俺のキメ顔と共に放った台詞を、きっと隣で聞いていた角田もまたギャグだと捉えて馬鹿にしてくるに違いない。
俺は恐る恐る、隣の角田を見た。
「そうか。だからいつもと様子が違うのか!」
何でおまえの方が信じるんだよ。
「悪いな、茂野。そういうわけで記憶も曖昧だから、いつも部活動してる拠点なんかも分からないんだ」
「なるほど。そうくるでげすか」
「おまえのその喋り方もキャラ作り?」
茂野は机の上に腰掛け、やや神秘的なキャラを演出したかったのかポージングを決めながら俺に体の正面を向ける。
「もしタイムリープが本当だとして、乙倉氏は何をしに過去へ来たんでげすか?」
タイムリープを事実だとは認めていないが、『未来から来た俺』というロールプレイ中だと捉えて、茂野は俺に接してきている。
これは、有り難い事だ。
茂野もまた相談者キャラとして成り切っている状態だから、真剣かはともかくとして話には真面目に付き合ってくれるかもしれない。
誰に真正面からタイムリープしているだなんて言っても信じてくれず、そもそも話に付き合ってもくれないだろうが、オカルト研究部の茂野だからこそ通じている!
「実は、俺は二十三歳の時に事故で亡くなった朝倉明美の葬式に参列して、当時明美と交際していた山村慶次に殺された後、未来から今朝に意識が飛んでいた」
「山村慶次……ふむ。どうして殺されたでげすか?」
「恥ずかしい話、少し拗れていてな。明美はどうも、初恋だった俺を忘れられなくて交際している山村慶次によく俺の話をしていたらしくて、それで嫉妬した彼が俺へ殺意を抱くようになったんだ」
「………なるほど?」
角田も茂野も真剣に話を聞いてくれている。
俺は、彼らの口が動く度に、やはり信じられないと途中で話を強制的に切り上げられないかと肝を冷やしながら話した。
目覚めたら高校生に戻っていて、だけど自分の知る高校時代と全く違う事態ばかりが続いているという事、もしかしたら『昨日までの俺』自体が俺ではない『別人』が憑依した状態である可能性。
「これが、俺の現状だ」
「なるほど、中々に複雑な設定でげすね」
「ああ」
茂野がううむ、と唸る。
彼が考えている中、角田が俺へと質問した。
「山村慶次ってのは、この高校にいるのか?」
「ああ。俺が聞いた限りでは、高校の時からの関係のクラスメイト。高校時代で人とあんまり関わらなかった俺の耳にも入るくらきイケメンで有名だった」
「朝倉さんのクラスメイトって事は、隣の一年C組って事か……」
「ん?一年C組の山村慶次?」
それを聞いていた茂野が首を傾げた。
「どうした、茂野」
「それは変でげす」
どうやら、山村慶次について思い当たる情報があるようだ。
俺にとって、目下のところ最大の脅威となるのは山村慶次である。明美と仲良くしている今、山村慶次にまた嫉妬の念を抱かれ、敵対されるかもしれない。
「何が変なんだ?」
「乙倉氏。僕は君と共にオカルト研究部を立ち上げるに当たって、部の立上げのとしての条件の一つとして部員四名の確保の為に各クラスを巡ったでげす」
「そん、な記憶がたしかにあるな」
「入ってくれそうな人間がいないかを深く観察したし、だから僕も一年の生徒は大体記憶してるでげす。」
「ん?………何が言いたいんだ?」
茂野が眼鏡の鼻をくいと持ち上げて。
「そもそも、一年生に『山村慶次』なんて男はいなかったでげす」
その言葉に、俺は一瞬耳を疑った。
山村慶次が、いない?
有り得ないにも程があるだろう。
いくら状況が色々と知っている物から変わっているとはいえど、流石に『いない』なんて大きすぎる変化まであって良いのだろうか。
「いや、忘れてるとか」
「一人ひとり、入ってくれそうな人間を精査していたんでげすから、イケメンならばまず印象に残るでげすよ」
「それは、まあ……確かに」
「俺、ちょっと確認してくる」
角田が走って教室を出ていった。
恐らく、隣のC組で山村慶次の実在を確認しに行ったのだ。
協力的なのは助かるが、今は混乱していて感謝を伝える余裕も無い。
「そんなまさか」
「可能性としては幾つかあるでげす」
「可能性?」
「一つ、山村慶次が別の高校に入学している。二つ、山村慶次はこれから編入してくる。三つ、そもそも高校に進学していない。四つ――前提として山村慶次という人間が存在しないか、或いは高校入学前に死んだか」
茂野が挙げた可能性のそれぞれに俺は言葉を失った。
俺を中心に環境が変わっているのは仕方無い。
何せ、俺本人が別人のようだったのだから人間関係に変化が表れるのは当たり前だ。
だが、それでも性格や立ち居振る舞いが山村慶次がいない事にまで干渉する影響力になりうるか?
「そもそも存在しない、は有り得ないだろ」
「別の人間が昨日まで体に憑依してたかもしれないなんて状況でげすよ?もしかしたらタイムリープしてるって勘違いしてるだけで、『似ているけど山村慶次が存在しない異世界』に来たっていうのもあるでげす」
「話が壮大すぎて分からん」
「確認取れた!C組に山村慶次なんて生徒はいない!」
戻ってきた角田が山村慶次はいない事を報告してくれた。
茂野の見落としや勘違いではなく、本当に山村慶次はこの学校にいないのだ。
喜んで良いのやら、それとも事態がより深刻であると受け止めるべきか。
似ているけど違う世界?
タイムリープした過去?
駄目だ、考えれば考えるほどに分からなくなっていく。
「ふっふっ、侮っていたでげすよ乙倉氏」
「ん?」
「キャラ作りと『設定』、中々に奥深い物を用意してきたでげすね!」
「あー、うん、まあ」
茂野がくつくつと笑って俺の状況を愉しんでいる。
どうやら、真面目に話に付き合ってくれる時間はここまでのようだ。
後は、寮部屋に持ち帰ってまた考えよう。
オカルト研究部で普段の『昨日までの俺』について調べるのは、また明日でも良い。
「悪いな、今日は体調悪いから部活は休む」
「む?仕方ないでげすね。体を大事にするでげすよ」
「ああ」
茂野に断って、俺はカバンを手に教室を出た。
そのまま廊下を歩いて、昇降口へと下りていく階段に向かう。話し込んでいたら、クラスメイトも他の教室も解散していて廊下にいるのも俺一人だった。
そんな状況だからか、つい独り言をしてしまう。
「一体、何が起きてるんだ」
『今度こそ青春するんだもんね?』
「ひぃっ!?」
どろりと、温かい何かが頬に触れる感覚がした。
同時に変な声も聞こえて、俺は思わずその場から横へと飛び退いて周囲を見回す。
しかし、廊下には俺一人だけだった。
何だか、死ぬ直前の感触と声に似ていた気がする……。
「………やっぱり、考えるのやめて今日は寝よう」
マジで疲れた。




