……とでも言うと思ったか!
急にシリアス……と思いきやギャグ。
タイムスリップしたばかりの人生は、もう終わるのかもしれない。
「今朝、乙倉の部屋から獅山が出るのを見たという用務員からの報告があったんだが、本当か?」
いやあああああああああああ!!
朝から驚愕の連続ばかりで、すっかりその可能性を失念していた。
獅山が黙秘するまでもなく、目撃者がいた。
男子寮に女子が入るというのも一大事件だが、室内でやっていた事にまで言及されたら説明のしようが無い。
先生の質問と共に、教室内の視線が俺へと殺到した。
かつてない注目を浴びて全身に鳥肌が立つ。
隣の山川さんは、顔面蒼白になって信じられないという風に悲愴な表情を浮かべている。
見えていないが、俺も今同じ顔をしているかもしれない。
「どうなんだ、乙倉?」
「え?えーと」
「正直に答えなさい」
先生が小さくため息をこぼす。
「混乱しているようだが、用務員からは乙倉の部屋の窓からパイプを伝って出ていく獅山燐らしき姿があった、と。見間違いかもしれないが、もしかしたらと」
「…………!」
落ち着け。
用務員が見たのは、あくまで俺の部屋の窓から出ていく獅山の姿である。
誤魔化すなら、「昨晩に獅山が勝手に入ってきて無理やり遊び相手に付き合わされて、朝になってようやく帰ったんですよ」……だ!
よし、これで行こう。
「それは…………」
「それは?」
俺は用意した言い訳を即座に使おうとして、舌が上手く動かなかった。
「あ、えと」
「乙倉?」
何故だ。
この言い訳なら、普段から不良をやっている獅山に非があると誰もが信じて俺に同情し、責任追及を免れるだろう。
自分さえ助かれば、それで良い。
今だって、とても複雑な状況に置かれているんだ。
これ以上の面倒事を避けるなら、犠牲なんてどれほど増えたって構わない。もう中学の時のような状況になるなんて御免被りたい。
「………くそ」
でも、何故かあの獅山にだけ罪をなすりつけると自覚した途端に罪悪感が湧いた。
口の中で、あの子に突っ込まれた飴の味が蘇る。
今日は珍しく授業に出るなんて言って、それも俺の好きな世界史だからという可愛い理由まで言っていた女の子を見殺しにする事が俺には辛い。
他人なんて、どうでも良かったのに。
もしかして、俺の体のどこかに眠っているかもしれない『昨日までの俺』の意思が止めているのか?
いいや、それだけじゃない。
これは『昨日までの俺』の所為にして、獅山と致してしまった俺自身がこんな所で彼女を貶めて一人だけ助かるのが、情けなくて恥ずかしいと心の底では思っているからだ。
「乙倉、どうなんだ?」
先生が再度質問する。
きっと、獅山を売る判断に間違いは無い。
俺だって、場合によっては特待生の恩恵すら剥奪されてしまうハイリスクな状況だ。
どうせ『昨日までの俺』が結んだだけの関係だ。
獅山なんて死ぬ前の高校時代では、一切無関係な他人だった。
気に病まなくて良いじゃないかと自分に言い聞かせる。
「乙倉。おまえは校則を破るような人間でもないし、獅山と普段から交流があるように思えない」
「は、はい」
「多分、獅山に目をつけられたのだろう?普段の臆病者なおまえを見ていれば分かる?」
「それ知らない俺だ……!?」
先生が俺の言いたかった事を代弁してくれる。
俺が考えた獅山燐だけが悪いという言い訳を口にしやすい雰囲気を作ってくれているのだ。
「獅山がいたのか?いたんだな?」
「そ、それは……」
「落ち着け。先生はおまえを責めたいんじゃない、本当の事が知りたいだけなんだ」
「…………」
「言ってくれ。獅山に無理やり何かされたのか?」
先生がもう確信したかのように答えを催促してくる。
何だろう、意味は分からないが先生も獅山が悪い事にしたいような言い方だ。
意図は分からないが、この流れでいい。
獅山燐に無理やり付き合わされた、と言うんだ。
この沸々と身の内に湧く感情にも目を背けて、『昨日までの俺』が招いた不祥事から自分が助かる道を選ぼう。
「先生」
「ああ」
「俺、俺は……」
助かる、これで俺は助かる。
先生の優しく穏やかな眼差しに誘われるがまま、俺は差し伸べられた救済の手を取ろうと決意する。
全部、獅山燐の所為なんです―――
「俺は獅山となんて会ってませんけど?」
――とでも言うと思ったか!
悶々と悩みはしたが、自分だけ助かろうって判断が嫌だと『今の俺』が叫んでいる!
そうだ、『昨日までの俺』なんか知るか。
こっちはもう一回死んでる。
似非タイムスリップなんて非現実的な状況にある俺が、校則違反程度を恐れてたまるか。
「……本当か?」
俺の返答に、先生が眉を顰めた。
「ハイ、勿論デス。先生ノ言ウ通リ、俺ハ彼女トモ以前カラ交流ナンテアリマセン」
「…………」
「デスカラ、ソモソモ彼女ガ俺ノ部屋二来ルワケガアリマセン」
「…………」
先生が無言で見つめてくる。
無理無理無理、やっぱり恐い!!
嘘だと口にして俺の真実を暴きにくるのではないかと想像して体が震えた。
教室全体が沈黙に包まれる。
気不味く、通夜のように重い空気が流れていた。俺はその場から逃げ出したい衝動を抑えて先生の反応を待つ。
果たして、俺の嘘に彼はどう返す……?
「……せ、先生!」
破り難い沈黙を裂いた声に、全員が振り返った。
そこには、真っ直ぐと腕を伸ばして挙手する角田がいた。
「俺、寮では乙倉の隣の部屋ですけど獅山がいる音とか聞こえませんでした」
「本当か、角田?」
「はい」
つ、角田が俺を庇ってくれた……?
どうしてだ。
俺が困惑していると、次に俺の隣で山川さんが挙手する。
「あっ、あのっ、お、乙倉くんは校則を破るようなひ、人じゃ無い!……と、思いましゅ」
山川さんまで、俺を擁護している。
一体、どうしてなのか分からなかった。
そんな俺を置き去りに、二人に触発されたかの如く次々と手が挙がった。
「そうです!乙倉はそんな事をしません!」
「特待生の恩恵を是が非でも手放したくないと日頃から言っていたチキン野郎にそんな大胆な犯罪は不可能だと思います!」
「第一、女子を部屋に呼べるような度胸も無いヘタレです!」
「そうです!そうです!」
「もし本当なら、とっくに俺たちが処刑してますよ!」
「み、みんな……」
クラス全体が俺の味方だった。
その必死さは、教壇に立つ先生が少し身を反らして気圧されていた程だ。
何て事だ、俺の為に皆が手を挙げてくれるなんて。
俺の味方………味方か?何だか随分と失礼な言葉が大半を占めている気がするのだが、それよりもどうして俺なんかの為に皆がそこまでしてくれるのだろうか。
「ああ、そうか」
少し考えて、俺は納得した。
彼らは『今の俺』の為に動いていたのではない。
彼らと関わっていた『昨日までの俺』の人柄を信用し、守ってくれているのだ。……守られてるか、本当に?
そこはかとなく馬鹿にされていると感じる。
俺がチキンでヘタレ野郎だから男子寮に女子を招く度胸も無いと信じているのだ。
でも、今はその失礼な信頼がありがたい。
凄いじゃないか、『昨日までの俺』。
すまない、おまえなんか知るかとか言って。おまえの事も、しっかりと尊重して生きていくよ。
「……そうか。本当に獅山と会ってないんだな、乙倉?」
「ハイ」
三度、先生が質問する。
俺は努めて動揺を隠し、首を縦に振った。
「…………分かった。俺からの話は以上、これでホームルームは終わりだ。各自、授業の準備をしていなさい」
先生がホームルームを終わらせて、教室から出ていった。
ふ、不穏だったが、何とか乗り切った……!
緊張感から解放されて脱力した俺は背もたれにだらしなく倒れかかる。
そこへ、角田が駆け足で近寄って来た。
「危なかったな、乙倉」
「あ、ああ」
「おまえが変な間を置くから本当かと思ってヒヤヒヤしたぜ」
「す、すまん」
「俺もああ言ったけど……実際のところ、寮部屋は防音設備がしっかりしてるから、ちょっとやそっとじゃ隣室の音なんて聴こえないんだけどな!」
「そそそそそそそそっか!」
どうやら、角田は分かった上で庇ったのではなく本心から獅山がいた事が分かっていないようだ。
あ、危なかった。
「でも乙倉、本当に獅山が部屋にいたとか無いよな?」
「な、何で?」
「だってさ、昇降口で仲良く話してたし」
「べ、別にそんな事は無いけど!?」
もし先生に昇降口での俺と獅山の会話を聞かれていたら、もっと疑われていただろう。
しかし、それにしても妙な展開だったな。
理事長の娘だから、もしこの事が露見した時に痛い目を被るのは学校の顔も同然の理事長、学校側としては評判を落とす結果に繋がる。
だから、いつものように無かった事として看過する筈だ。
こんな皆が聞いているホームルームでわざわざ尋ねないで、個室に俺を招き、二人きりで話して口裏を合わせれば済む話である。
「獅山が悪い事をしたらいつもに隠すのに、どうして今日は」
「ああ、最近教員とか事務員が理事長と仲が悪いって噂があるぜ」
「というと?」
「何でも、代々理事長を務めてるってだけで獅山家が偉そうで、対応してる教員も事務員も内心キレてるらしい」
「へえ」
「だから、獅山燐の非行を大きく取り上げて責めたかったんじゃないか?そういう動きを察知して、揚げ足を取られないように獅山燐も家では大人しくしろっていつも以上に叱ってるとか」
なるほど、獅山家の印象が悪くて獅山燐の顔が余計に険しいと言っていたあの話は、そういう事だったのか。
しかし、随分と生々しい噂が生徒内で広がっているものだ。
俺の高校時代にそんな噂があったか……?
「…………俺は獅山家への嫌がらせの材料にされるところだったのか」
大人の喧嘩に巻き込まれるところだった。
でも、本当に獅山家を責める事になったら、気が晴れようと学校側も無事では済まない。教員や事務員も職場を失うリスクが伴う。
だから、俺に獅山燐の非行を認めさせようとした割に撤退が潔かったのだ。
横柄な彼らに仕返ししたいけど、本気になるほど覚悟は決まっていない……と。
どちらにせよ、俺たちを理由に本気でドンパチするのは勘弁してくれ。
そういう事は、俺が卒業した後で頼む。
「助かったよ、角田。ありがとう」
「なに、気にするなよ。乙倉は俺たちの『仲間』だって信じてるからな!」
ニカッ、と角田が良い笑顔を作る。
そこかしこで同じような反応を俺へと見せる男子たちも見えた。
その『仲間』って、もしかして。
「抜け駆けなんてしてないよな?」
信頼の眼差しが痛い。
ああ、駄目だ。
もう『抜け駆け』してしまった俺は、彼らの『仲間』ではない。
いずれ獅山とのワンナイトの真実が白日の下に晒された時、先生ではなく彼らによって処断される時が来るだろう。
もしかすると、二十三歳を迎えるまでもなく、明美より先に俺の葬式が開かれるかもしれない。
「もう頼むから明美に集中させてくれェエエエエエエエエ!!」
「うおっ、急に愛の告白か!?」
ひっそりと、机に突っ伏して腕枕の中で泣いた。
 




