早速詰んだァ!!
獅山燐と別れて、俺たちは昇降口の横にある階段で二階へと上がった。
俺たちが目指す一年B組の教室はそこにある。
「しかし、あの獅山が笑ってるの初めて見たぜ」
「まあ、たしかに」
そもそも、顔を見たのもタイムスリップした瞬間が初めてだけどな。
「特に、最近の獅山家の印象が悪くて教員たちに睨まれてるから余計に顔が険しいんだって」
「え?それってどういう」
「お、着いたぞ」
角田の言う通り、一年B組の教室に着いた。
気になる話だったのだが、取り敢えず俺は教室に入ってから教壇へと向かい、名簿から俺の座席を確認する。
どうやら、位置は俺が知っている高校スタート時の場所と変わらない。
座る場所まで変化して混乱させられる事は無いようだ。
胸を撫で下ろし、俺は穏やかな気持ちで席に着く。両隣は俺と同じで友だちが少なくいつも机で静かに本を読む男子だったよな。
これで一人になれたも同然。
早速アクセスを開始して情報を整理しよう。
「あっ、あの、おはようカズ君」
「カズ君呼び三人目ェ……」
カズ君呼びがインフレしていた。
明美しかいなかったので、三人目だけでも既に多すぎると感じる。
「か、カズ君?」
隣から俺に話しかけるか細い声の主は儚げな印象を受ける少女だった。黒髪で目元まで隠れており、表情は口元しか分からない。
くっ、またまた知らない子!!
しかも、カズ君の愛称で呼ぶ辺りから日頃の交流の深さが窺い知れる。
座席は同じでも環境が変化していたのか!
まさか、隣の席の人と交流しているのみならずカズ君呼びする女子がまだいるとは。
「おはよう」
「う、うん。あの……どうだった?」
「え?」
どうだったとは、何の事だ。
俺が固まっていると、少女が恥ずかしそうに顔を伏せる。
な、何だよ。
ただでさえ新キャラ登場で頭が混乱しているのに、まだ隠し玉でもあるのか。
「き、昨日貸した本……読んだかなって」
「…………」
思っていたより重大なことでは無かった。
昨日までの俺が、本を借りていたようだ。
俺は今の内にアクセスして、情報をインストールする。
隣の女の子は、山川静愛。
高校生活が始まってから、席が隣とあって角田と同じく友だちになれた相手だ。読書を嗜む山川さんに普段からお薦めされた本を借りて読み、朝のホームルームまで感想戦をするのが毎朝のルーティンである。
いや初耳だよ、そんなルーティン。
「あ、あー、本!借りてた本ね!?」
「は、はい」
また俺の知る高校時代には無かった交流だ。
それにしても借りた本どころか本を借りたなんて記憶が……あった、情報のインストールをしている内に見つかった。
嘘偽り無く『昨日までの俺』はちゃんと借りた本を読んでいる。日頃からのウェイウェイした振る舞いや女子との距離感から意外と軽い男に見えたが、存外他人へ真摯に対応できる人間だったらしい。
この山川さんとも女子だから仲良くしたいなどという下心で接しておらず、本も流し読みとか手を抜く事もせずにしっかり読んでいるのが分かるくらい内容を細かに記憶していた。
「和稀……おまえってやつは」
悪かったな、『昨日までの俺』。
どうやら、俺の認識が誤っていたようだ。
おまえは獅山ともああなるべくしてああなり、佐々川と仲良くなるのも頷けて、山川さんとも本の貸し借りができる仲を築ける立派な人間なのも納得…………なワケあるか!!
どうやったら獅山と朝チュンになるんだよ!
責任感無さすぎるだろ、碌でなしめが!
「うん、読んだよ」
「ど、どうだった?」
「凄く面白かったよ。まさか序章の終わりにあった文が既に伏線になってたとか思いもしなかった」
「だ、だよねっ!読んでるとそんな感じのしない作風なのに!」
読書仲間としての会話は、今の俺にとって新鮮だ。
死ぬ前は、人との関わりは無かった分よく本を読むようになっていたけど、誰かと感動を共有する事だけは終ぞ無かった。
思いの外、山川さんとの会話が弾む。
これが一人では得られない楽しさというやつなのか。
「……山川さんは面白い本を沢山知ってるね」
「あっ、え、そ、そうかな?」
「うん。凄いと思う……俺が読んでも面白い作品を薦めてくれるし」
話していると、ふと思ってしまう。
これは『昨日までの俺』が築いた友情であって、俺が簡単に継承して良い物なのだろうか。根暗で他人と関わるのが面倒臭いとあらゆる可能性を見限って一人になろうとしていた俺には勿体なく思える。
「えへへ。あっ、カズ君なら分かってくれると思ってました……」
はにかむ山川さんの嬉しそうな顔に、俺も思わず口元が緩む。
何て尊い物なんだろう。
でもさ、この子にもカズ君って呼ばれてるとかオマエ何者だよ『昨日までの俺』!!一体、何処から俺とは違う人生を歩み始めたのか、滅茶苦茶気になる。
「あれ……アクセスできない?」
「あっ、アクセス?」
だが、『昨日までの俺』そのものを対象にアクセスしたら、『今の俺』との分岐点となる出来事が全く思い出せない。
「んー……」
「ど、どうしたの?」
「ああ、いや別に何でもないぞ」
ここで厄介な事が発覚した。
取得できる記憶情報の中で、『昨日までの俺』そのものは知る事が出来なくなっている。他にも、『変わった切欠』や『俺との違い』という漠然とした条件でアクセスしても情報は引き出せなかった。
対象を自分以外に絞ると簡単に出てくるのに。
でも『特待生か否か』だったり、出身地といった簡単な個人情報までは引き出せる。
思い出そうとする都度にアクセスする一手間を求められる上に、引き出せる情報も制限されているのか。
益々意味の分からないシステムの体だ。
「わ、わわ、私で良ければ悩み……聞くよ?」
「ごめん、俺一人で片付けないといけないから気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう」
「き、今日のカズ君……なんか雰囲気違うね」
「やっぱり?」
「う、うん……いつもより知的で、か、カッコいい……」
「普段どんだけアホ丸出しだったんだ……!?」
こうなれば、作戦変更だ。
まず『昨日までの俺』の全容を調べられないのなら、その『分岐点』に関与する『誰か』を探り当てて、その人を対象にアクセスしてみるしかない。
「そろそろホームルームだ」
「そ、そうだね。き、今日は静かにしてなきゃ駄目だよ?」
「いつも何してんの俺!?」
恰幅のいい体をごわごわと動かし、禿げかかった頭を掻きながら先生が入室した。
俺たちは会話を切り上げて前に向き直る。
朝のホームルームが始まって、先生の話に皆が耳を傾ける最中、俺はずっと隣や前の席、目に見える限りの人間に関して記憶のアクセスを行い、少しずつ普段の俺を把握する作業に勤しんだ。
それと同時に、別の事を思考する。
「『今の俺』と『昨日までの俺』の分岐点は何だ」
俺が変わった原因は、絶対に知るべきだ。
決定的な『分岐点』に関わる人物とは、きっと俺同様に劇的に変化した身近な人間、すなわち黒髪ロングの我が校ナンバーワン美少女へと進化した幼馴染こと朝倉明美だ。
「やっぱり明美を調べるしか無い、か」
俺よりも先に玉突き事故で死んだ幼馴染。
そして、俺が死ぬ直前に聞こえた声の主。
この不可思議な現象に、間違いなく明美が関与していると直感が叫んでいた。
正直、俺の直感なんて一度も当たった事無いけどな!
「さて、どうやって尋ねようか」
同じようにタイムリープしているかもしれない可能性の人物として、対応は慎重にやらないといけない。
思い切って「明美もタイムリープしてるだろ?」と馬鹿正直に訊いてみてハズレだったら超恥ずかしい。
明美に自白させる形がベストだ。
それと、やはり角田や佐々川麦、山川さんにも普段と違うという指摘を受けたので、明美への態度についても『昨日までの俺』にアクセスして怪しまれないように日頃の振る舞いを学習し、完璧にトレースしなくては。
ついでに、頭の中で明美への誘導尋問の内容を考えて用意しておこう。
「ああ、そうだ。……おい、乙倉」
「はい?」
考え込んでいたところを先生に呼ばれて思わず上擦った声が出た。
「今朝、乙倉の部屋から獅山が出るのを見たという用務員からの報告があったんだが、本当か?」