『今回の俺』は一味違う!
朝の事件を乗り越えて、俺は友人……らしい角田海人と共に登校している。
らしい、というのは自覚が薄いからだ。
角田曰く、入学から交流のある仲なのだそうだが、高校時代の俺とは全くと言っていいくらいに関わり合いは無かった。
でも、今また思い返すと獅山燐然り、仲良くなった友情の軌跡がしっかりと記憶として刻まれている。
だが、肝心な『自覚』が無い。
本当に俺なのだろうか。
「角田。訊きたい事があるんだけど」
「ん?ああ、良いけど……今朝から何か変だぞ。いつも『ウェーイ!』って感じなのに」
「昨日までの俺は頭がどうかしてたんだ。これが素だと思ってくれ」
自覚のない黒歴史まで作っていたようだ。
人生で一度だってウェイウェイした覚えは無いんだよ。
別人だと言って欲しい。
獅山とのワンナイトも夢であってくれ。
タイムスリップさせてくれたのが神だと仮定しても、試練として最初から舞台の難易度設定がハードにも程があるだろうが。
「まあ、俺もどうかとは思ってたし、今の方が付き合いやすいぞ」
「よく今まで友だちやってたな!?」
「いや、何気に面白かったし。今朝の方が断然面白いけど」
「人が混乱してるのを面白がるなよ」
こっちは大変なんだ。
殺された時の事も鮮明に思い出せるし、『昨日までの俺』よりもまだ記憶としてはっきりしている。
実際、タイムリープと理解した後に私物など、特に学生証などを中心に調べたら、やはり俺の名前は『乙倉和稀』だし、実家の住所も俺の知る物だった。
創作物で見る、死んで別人の体に憑依した――という線は、これで無いと断定できる。……できる、かな?
明らかに『昨日までの俺』が常軌を逸していた。
まだ全容は思い出せないが、もう二つも俺の高校時代とは明らかに異なるビッグイベントを生み出している。
「何者なんだ、昨日までの『乙倉和稀』……!」
「やっぱり面白いな、今日のおまえ」
「結構大変なんだけど」
「あ、それで?訊きたい事って何だよ?」
「その……朝倉明美って、知ってるか?」
俺の質問に対し、角田が怪訝な顔をした。
「何言ってんだよ。我が校で最も美しいって言われてる子だぞ」
ハイ知らん!ハイ知らん!
まーた新情報かよ!
誰だよ、『我が校で最も美しい』とか尊大でインパクトのある評価なんて俺は初耳なんだけどな!何なら高校時代にも耳にした記憶が無いわ!
「良いよなー、乙倉は」
「何がだよ」
「あの朝倉さんといつも屋上で一緒にご飯食ってるんだろ?俺も一度で良いから経験してみたいぜ、美少女とのお食事」
「はは、俺も経験した事無いわそんなの」
マジで記憶にございません。
再び『昨日までの俺』にアクセス(※記憶の掘り返し)すると、やはり明美と昼食を取っている情景が浮かんだ。
…………本当に明美かな?
思い出せた明美は、俺の知る高校時代の彼女とは明らかに風貌が異なる。
いつも肩口で切り揃えていた黒髪が、どうしてか腰に届くロングストレートとなっていた。
ってか誰だよ!?
思い出した時、異様にキラキラしたエフェクトがかかっているんだが、もしかしなくても『昨日までの俺』は明美にゾッコンだったのだろうか。
しかし、中々に不便だな。
一々アクセスしないと情報を取得できないなんて。この体は、アクセスしなければ本当に一部たりとて『昨日までの俺』を思い出せないシステム仕様になっているようだ。
「サイボーグ化しているのか、乙倉和稀……!?」
「今日の乙倉、笑わせに来てるだろ」
「うるさい」
「しかし、オマエばかり美少女と……本当に羨ましいぜ。その幸運を少しでも分けてくれって」
「じゃあ、二十三歳で幼馴染の恋人に刺されて死ね。そうすれば角田も味わえるぞ」
「何でそんな謎に物騒なプロセスが必要なの?」
悶々としながらも角田と会話をしていると、やっと校舎が見えた。
やはり、外観は俺が知る物と変わらない。
私立獅山高等学校、それが俺が通っていた高校だ。
名前で察せられるが、学校を建てた初代校長並びに代々理事長を務めるのが獅山一族とされていて、獅山燐はその一家の一人娘だ。……そんな子に手ェ出しちゃったよ、ヤベェ。
今日、もしかしたら校長に呼び出されて怒られるかもしれない。
これでも頑張って勉強し、授業料を免除してくれる特待生制度で入学したから、これで特待生権利を剥奪されたら笑えない。
その前に『アクセス』して本当に特待生か確かめよう。……よし、そこは俺の知る通りのようだ。
「どうした?早く行こうぜ」
「あ、ああ」
角田に急かされて俺は校門を通過する。
大丈夫だ。
今朝の獅山燐の反応からして、彼女が口外する事はまず無い。俺さえ黙っていれば、学校側から追及されたりはしないだろう。
「あっ、カーズくーんっ!」
だから、俺は調べ事に専心するだけだ。
タイムリープの原因と思しき朝倉明美と、その彼女と山村慶次の関係、そして今回は色々やらかしてくれた『昨日までの俺』が与えた変化を把握しなくては。
「カーズくん?」
時期的には、学校が始まって二ヶ月が経った時期だ。
寮部屋のカレンダーから確認したが、三学期制の一年で初めて迎える一学期中間考査は突破していた。
私物の参考書などを確認すれば、試験結果も返却されていて、学年五位という素晴らしい結果…………俺ってばいつも特待生として試験成績最低十位以内というルールがあったから死ぬ気で十位に踏ん張っていた筈なのに。
ウェイウェイしてるくせに俺より優秀ってどういう事だ『昨日までの俺』ェエエエエ!!
「もうっ、カズ君ってば!」
カズ君ってば、じゃない。
誰だ、さっきから昔の明美みたいに気安く俺をカズ君呼ばわりしやがって。
俺は声のした方へと振り返った。
「カズ君、おはよ!昨日はよく眠れた?」
「…………れだ」
「え?」
「だ、誰だ……!?」
振り返った先にいたのは、知らない女子だった。
ベリーショートに短く切られた茶髪と小麦色の肌、ややツンと尖った鼻に気の強そうな眼差しの少女で、着崩した制服からスポーツブラとアンダースコートが覗いている。
いや……何者だ!?
カズ君と呼んでくる人間はそもそも明美しかいなかったし、俺の高校時代の知り合いにこんなスポーツ女子はいなかったが!?
「ん?どーしたのカズ君」
「ちょっと待って。今アクセスするから」
「アクセス?」
「悪いな、佐々川。コイツ、今朝から様子が変なんだ」
角田がしれっと失礼なフォローをしてくれる。
俺はその間に、『昨日までの俺』から目の前の女子についての情報を探った。
彼女の名前は――佐々川麦。
ムギちゃんという愛称で親しまれ、勉学の方に重きを置いた我が校のテニス部で二年生ではインターハイ出場を果たした超人だ。
たしかに、俺の知る高校二年生の記憶でもインターハイ出場を果たしたテニス部の垂れ幕が学校にされていたような気がする。
でも…………やっぱり、俺この子と交流は無かったと思います!!!
でも、『昨日までの俺』はしっかりと佐々川麦と交流がある。
佐々川麦は明美とも友人で、彼女を接点にしてよく話をする関係らしい。
カズ君と呼ぶのも、明美が使う愛称をそのまま使っているからだ。
良かった、この子とはワンナイトとか疚しい事は無さそうだ!
「カズ君、ホントに大丈夫?」
「ああ、うん。可怪しいのは世界だって気付いたから、俺は大丈夫だ」
「やっぱり風邪かな」
「ところで、何か用か?佐々川」
「…………麦」
「ん?」
「いつもみたいに、麦って呼んでよ」
「またかよ!!?」
獅山と同じ反応に思わず白目を剥きそうになった。
マジで何をしてるんだ、『昨日までの俺』は。
獅山といい佐々川といい、俺は女子を平気で下の名前で日頃から呼べるような距離感が作れる陽キャだったらしい。
羨ましくは無いが、大変迷惑だ。
獅山の件については、マジで洒落にならない。
彼女はあれで貸し借りはチャラとか言っていたが、唐突にタイムスリップしてあんな事になった大人の俺からすれば、俺の方がに賠償金が請求されて当然の悪行レベルである。
軽い男なのか、『昨日までの俺』は。
そうなのだとしたら、これから行く学校で俺はどんな人間だと認識されているんだ。
「すまん、麦。実は気が動転しててな」
「や、やっぱり?どうする?ウチと保健室いく?」
「いや、大丈夫。授業でも始まれば、いつも通りだ」
「そっか。何かあったら言ってね」
「ああ、ありがとう」
情報を整理したいから、取り敢えず一人になりたい。
手をひらひら振って先に校舎へ走っていく麦。てか速い、流石は一年後のインターハイ出場選手の運動能力だ。
嵐のように過ぎ去った麦との会話を終えて隣の角田を見ると、彼は首を傾げていた。
「何か、やっぱり別人みたいだな?」
「そう見える?」
「ああ。……昨日までよりも賢そうだ」
「クソッッッ!!」
角田からそんな印象を受けているという事は、いよいよクラス内はどうなっているか皆目見当も付かない。
これは、二、三人どころではない未知の交流関係も覚悟しておいた方が良いな。
ストレス過多で死なないように気をつけよう。
「っし、気張ってこうぜ角田!」
「そもそもキャラぶれててどれが素なのか分からん」
俺は深呼吸して、昇降口へと再び歩み出した。
まずは今回の明美を知るところから始めないといけない。
たしか、高校一年の時の明美は俺のいる一年B組の隣教室だったC組に在籍していた。
昼休憩にいつも一緒に昼飯を食べる約束をしていたらしいから、それまでに可能な限り『昨日までの俺』にアクセスして明美についても調べよう。
「えっと、俺はたしかここだよな」
「ん?」
「おっ」
今後の動き方について考えながら下駄箱に着いた。
俺は高校一年の頃に使っていたスペースを思い出しながら、脱いだローファーをそこに入れようとした時に誰かと肩がぶつかった。
振り返ると、跳ねまくりの白髪をした少女と目が合う。
「なんだ、カズじゃん」
なんと獅山燐だった。
優雅に飴を舐めながら、ブレザーにタンクトップ一枚という校則なんて無視したスタイルで靴を片手に佇んでいる。
「獅……燐か。今朝ぶり……じゃなかった、おはよう」
「げっ、獅山!?」
隣で角田が獅山を見るなり飛び退いた。
おい、幾らかの有名な獅山だからと言ってそこまで怯えなくても良いだろう。本人を前にして取る態度としては失礼だ。
……いや、高校時代の俺もそうだったよな。
出会う事は無かったけど、きっと遭遇したら角田と同じように怖がったに違いない。
責める資格が無いな。
「燐。ここ俺のクラスの下駄箱だけど」
「あ?どーせいつも余ってんだから、何処にぶち込んだって誰にも迷惑じゃねーよ」
「そこ俺のスペースなんだけど!?」
「無駄に余ってる下の方使えば良いじゃん」
「俺じゃなくてオマエがな!?」
少しだけ現状を感慨深く思うところがある。
あの獅山燐と気安く会話が出来るなんて昔の俺には無理だった。
そもそも、他人とこんな風に話したのはいつ振りか。
中学以降は、誰とだって最低限しかコミュニケーションを取らなかった。
今この奇異な状況だから出来る特別なことだと思うと、少しだけ憎き『昨日までの俺』に感謝したくなる。
「燐のクラスは一限、何の授業?俺、世界史以外は興味無いから一限の数学は多分寝るかもしれん」
「え、あたしが授業受けると思ってんの?」
「じゃあ、今日は何すんのさ」
「いつもみたいに校外ブラついたり、屋上で寝たり、喧嘩したり。最低限出席してりゃ問題無いって……こう見えて特待生だから」
「燐が頭良いのは知ってる」
獅山燐はたしかに問題児だ。
喧嘩もするし、先生には反抗するけど理事長の娘だからと教員たちは燐に阿って滅多に責めない。
だから、いつだってやりたい放題で皆に恐れられた。
でも俺の思い出の中で彼女が退学にされた事は無い。
その理由として、ただのチンピラならまだしも特待生の中でも群を抜いて頭が良いのだ。最低限の出席数と学年首席の点数を叩き出す頭脳があって、ぐうの音も出ない。
特待生は、基本的に出席数が無くてもテストで点数さえ取れば良いという恩恵がある。
俺は毎日出ないと追いつけないからヤバいんだけどな!!
「じゃあ、今日もサボるのか」
「あ、でも二限のには出よっかな」
「へえ、何で?」
興味本位で尋ねると、燐が味わっていた飴を俺の口へと突っ込んできた。
「世界史だから」
ふと微笑んで、結ばれた白い後ろ髪を揺らしながら去っていく。
可愛い…………じゃなくて、菓子の持ち込みは禁止だから飴舐めてたら俺も注意されてしまう。
でも、どうしてか話していて肩の力が抜けた気がした。
「す、すげーな乙倉。あの獅山と対等に話せるなんて」
「……たしかに、そうだな。俺って凄いのかもしれん」
「一体、何をしたんだ」
「……そうだな」
確かに、今の俺は昔とは一味違う。
獅山燐とも対等に話せる。
そう思うと少しだけこれから迫ってくるであろう理不尽な状況にも立ち向かえる勇気が湧いてきた。
「こう見えて、燐に勝った男だからな」
ナニで、とは言わないが。
その後、教室に着くまで角田の尊敬の眼差しがひたすら痛かった。




