新情報多すぎィ!!
アラームを止めて静まり返った部屋で、衣擦れの音だけが異様に大きく聞こえる。
俺は隣で眠る少女の姿に固まっていた。
みっともなく大声を上げたのが精一杯の反応で、理解も体もそれ以上はこの状況に追いつかない。
茫然自失とする俺の目の前で、大声を聞いたからなのか眠っていた少女が起き上がる。
はらりと掛け布団が落ちて、目には毒な曲線美を描く肢体が露わになった。
「ん、おはよー」
少女は俺を見るなり、片手を上げて軽い挨拶をする。
白い髪を一束にまとめて、ベッドの下に落ちていたタンクトップを拾い上げると素早く着た。首を揺らしてこきこきと小気味よい骨の音を鳴らし、少女が再びんー?と俺を凝視する。
「何で驚いてんの?」
「見て分かるだろ!!」
「うるさ。朝から元気じゃん」
「目の前に全裸の女の子がいたら声も出るわ!」
「てか、アンタも下半身は裸じゃん」
「やかましいわ!ちょっと考えさせて!?」
少女に指摘された通り、俺も下は何も履いていなかった。
恥ずかしくなって、慌てて掛け布団で隠す。
その反応が面白かったのか、ゲラゲラと品のない笑い声を上げる謎の少女を睨みつつ、今朝に至るまでの経緯を思い出そうとと試みた。
どうやら幸いにも、考えるほどにこの状況に繋がる記憶が蘇ってくる。
たしか、数日前に学校から寮までの道でボロボロになっている少女を発見したのだ。
偏差値の高い進学校である我が校で、唯一の不良として知られる女子生徒――たしか名前は獅山燐だった気がする。
あまりにも怪我が酷かったので、俺が抱えて先生がいない間に保健室に連れて行って手当をしたのだ。
先生がいると、暴行沙汰だの何だのと責任追及が始まって、獅山もそれを望まないと考えたからだ。
手当をした後に獅山から一つだけ恩返ししてやると言われ、要らないと断って別れた。
そして昨日、パイプを伝って窓からこの部屋へ侵入してきた獅山に『恩返し』と言われて――――。
「って、ちょっと待て」
一旦、記憶の遡行をやめた。
待て待て待て待て。
俺そんな濃い体験を高校ではしていないんだけど、何で我が事のように思い出せるんだ。恥ずかしいが、死ぬ前の二十三歳でだって俺は童貞のまま死んだ筈だ。
彼女いない歴イコール年齢。
そんな俺が、こんな事を経験している訳が無い!
いや、そもそも高校から寮の帰り道とは?
俺は既に公務員として働いて――と、そこまで考えて嫌な予感がした。
死んだ筈なのに生きていること。
高校で使っていた寮で目覚めたこと。
その二点について思い出し、俺は慌てて部屋に置いてある姿見の前へと走った。
「………嘘ォ……!?」
鏡に映っていたのは、若い俺だ。
鏡の横には、高校生の時に着ていたが既に処理した筈の制服。学年別の指定ネクタイは青、つまりは一年生だ。
まさかとは思うが、俺は。
「タイムリープ、ってやつなのか?」
俺は鏡の前で片膝を突く。
死後、高校時代に逆戻りするなんて展開が有り得るのか。
いや、高校でだってした事の無い獅山との蜜月なんて経験をしているというのも可怪しいだろう。
「さっきから何一人で百面相してんの?」
「トンデモナイ朝を迎えたからだよ!」
「へっ。昨日はあたしに散々鳴かされてたくせに」
「……逆では?」
「う、うっせぇ!!」
「ぐあああああああああ!!!!」
「何でアンタもダメージ受けてんだよ?」
俺が女子とあんな行為してるなんて思い出す状況自体が間違ってるからだよ。
何が「逆では?」だよ。
そもそも俺は本当にそんな事をしたのか?
我が校で喧嘩が強くて悪名高い孤高の獅山燐が、実は初心で可愛かったとか、そんな昔の俺ですら知らなかった事実を知ってるのはどうかしてる!!
頭が、脳が沸騰しそうだ。
誰か夢なら覚ましてくれ。
この際、本当は死ぬ前に見ていた泡沫の夢でしたってオチで構わないから。
「ま、『恩返し』はこれで良いだろ」
「へ?」
「借りは返した。だ、だから、これを機にズルズル体の関係を続けようとか思うんじゃねーぞ」
「はい、それは勿論」
「惜しくねーのかよ、あ?」
「どう反応するのが正解なんだよ!」
何を言っても怒られそうな予感しかしない。
馬鹿な事してくれやがったな、昨日の俺ェ!!
『おーい、乙倉!』
「ひっ!?」
扉の向こう側から声がする。
『起きてんだろ?早く食堂行こうぜ!』
「だ、だだっ、だだだ、誰だ!?」
『誰だって?いや、隣の部屋の角田だよ。毎朝一緒に朝飯行こうって約束してるだろ』
「えーーーー?」
隣の部屋の角田か。
たしか、一年の頃はクラスメイトだった角田海人。
でも、特に会話もするような仲でもなかったし、毎朝一緒に朝食を食べようなんて約束をしていた事なんて無かった。
また違うんですけど!?
高校の制服と寮部屋でタイムリープかと思ったら、獅山と角田とかいう未知のイベントが発生してるんですけど!?
全然状況が読めない。
ただ、ここが俺の知る高校ならば寮の一階にある食堂であと三十分以内に朝食を済ませないと朝のホームルームに間に合わない。
「獅山!」
「…………」
「獅山さん?」
「…………」
「獅山様!」
「…………」
「ちょ、何で返事してくれないの?」
「…………燐」
「へ?」
「昨日みたいに、燐って呼べよ」
昨日みたいに、って何ですか?
また身に覚えの無い新要素に俺は絶句する。
獅山燐は、切れ長の瞳を伏せて、少し恥ずかしそうにしていた。可愛い……ではなくて、昨晩の俺は女子を下の名前で呼ぶくらいにイキっていたって事ですか?
だが、もう今朝は色々あり過ぎるので一々引っかかっているとまた死んでしまいそうだ。
「……燐。俺はこれから食堂に行くけど、どうする?」
「あたしは適当に窓から出て行くから」
「いや危ないだろ」
「へっ、心配してんの?」
「当たり前だろ。三階の窓を出入り口にするなんて常識人が聞いたら誰でも心配するわ」
「来た時みたいにパイプ使ってくから大丈夫だっつの」
「忍者かよ」
獅山は床に散乱した自分の制服を拾い上げて、ぱっぱと着ると窓から外へと躍り出し、軽快にパイプを伝って下へ下りていく。
人が躊躇いそうな事なのに、軽業のごとくこなしてみせた獅山の体捌きに唖然とした。
「もう、マジで頭が追いつかん」
今日くらい体調不良で休めないかな。
『乙倉ー!はーやーくー!』
「え、ああ、うん、分かった!」
『……何かおまえ、いつもとキャラ違くない?』
「もうどんなキャラだったんだよ教えてくれ!?これ以上の新要素は勘弁してくれよ!」
どうやら、角田に対しても態度が違うらしい。
一体、今生の俺は何をしているんだろうか。
学校に着いたら、また自分の知らない自分を知る事になる。
「……そうだ、明美」
俺は、はっとした。
高校時代という事は、明美もいるのではないだろうか。
死ぬ前にした、明美の声。
俺のように、もしかしたら死んだ明美もまたこの高校時代に来ているかもしれない。
「怖いけど、行くしかないよな……!」
もうこれ以上、何も知りたくない気持ちではあるが全部を呑み込んで立ち上がる。
別に、高校時代に戻ったからって何かを変えるつもりはないが……というか、もう何か色々と与り知らぬ所で変わっちゃってるけど、どうにかしないとな。
俺に好意を持っていた明美と、それに嫉妬していた山村慶次。
殺されたからには、ここを何としても変えないとまた大人になった時に殺される。
「や、やってやろうじゃねえか!」
やる前から既に俺の知らない俺が何かしている可能性は無くも無いが、頑張ろうと決意した。