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襲来!誰が!?



「美味〜っ!」


 紙カップを満たす豚汁を啜り、燐が歓喜の声を上げた。

 焼き鳥屋から徒歩五分の地点にある弁当屋の裏手で、俺たちはベンチに座って食事をしている。

 トレイの上には、豚汁とラッピングされた冷やご飯と紙コップの水。

 誰が聞いても「昨日の晩飯の残り?」とでも言いたくなる。

 そう、それこそがこの街の『隠れメニュー』の一つ――『弁当屋の残り物』である。


 弁当屋の表側は真っ当に商売をしているが、実は裏手の方では生活で厳しい節制を強いられる苦学生や低収入の人間に対してのみ、弁当屋の店主である檜木(ひのき)(ばあ)さんが残り物でも乞えばくれるスポット。

 料金は取らないし、出ない時もあるが大変助かる場所だ。

 俺も死ぬ前の学生時代は散々世話になった。

 本来、寮生活を送る人間は基本的に一階の食堂は無料ではないので、仕送りで貰った食費などで遣り繰りする。

 でも俺は違った。


「あー、美味い」


 俺の場合は実家を出て遠い進学校に出た身である。

 近場でも良い場所はあるのに何故、と親にもかなり反対されたとあって特待生制度による授業料免除などで入学の許可をもぎ取ったが、今度は送られる仕送りも周囲に比べてかなり少ない。

 その為、よく朝飯を抜いたり内職で稼いだりして食費を確保していた。

 我が校は基本的にバイト禁止だが、申請すれば許可される事もある。

 でも、俺はギリ特待生で勉強時間を削ると大変だったからなぁ。

 だから、この弁当屋にはよく通った。

 事情を話したら、檜木婆さんがご飯をくれて泣きそうになったのも懐かしい。


「あたし、檜木婆さんの飯好きだわ」

「そりゃ何よりだよ」


 理事長にも負けない厳しい面差しの檜木婆さんがその一言に相好を崩す。

 笑顔見たの初めてなんですけど!?

 いつも無言で飯出してくれるだけで特に会話も無かった気がする。

 ………あ、俺ってそういえばかなり無愛想な子だったから、悪印象だったんだな!死後に気付くとか何ていう皮肉だよ!


「アンタも大変だね。獅山家の娘なんだって?」

「そ。豚汁とか何年振りだろ……てか、冷やご飯との相性良すぎ。新しい扉開いた」


 本当に嬉しそうに燐は食べる。

 豚汁と冷やご飯。

 一見、これらは一般家庭ではよく食べる料理だ。

 この喜び様を見るに、獅山家の食生活で如何に厳しく管理されているかが窺い知れる。


「俺も、実家の飯より檜木婆さんの味の方がよく覚えてるくらいだしな」

「適当言ってんじゃないよ。アンタはここに来るの二回目だろ」

「え、そうなの?」


 そう言えば、昨日今日と高校時代を思い出して食堂メニューでも最も安い飯を食っていた俺だが、明美とデートする時もやけに金があったな。

 てっきり、内職を超頑張った結果だと思い込んでいた。

 俺は改めて財布の中身を確認する。

 改めて思うと……それにしては少し多いような気もする。

 まだ高校生活が始まって二ヶ月だが、『五月以前の俺』はどうやって食費を工面していた?

 死ぬ前の俺は、既に入学前の三月時点から内職に精を出しているくらいには切羽詰まっていたんだが。


「檜木婆さん。最初は俺って『食費が無くて今月困ってます。助けて下さい』って言ってたよね?」

「ん?概ねそんな感じだけど、あの時は敬語じゃないし助けて下さいなんて言ってなかったよ。同じ高校の先輩から訊いて来たって」


 どうやら、『五月以前の俺』もここへは来ていたようだ。

 この店を訪ねるようになった経緯も同じだ。

 入学式後のオリエンテーションの時に、特待生のみを集めて開かれるガイダンスがあるのだが、そこで先輩の一人から食費に困った時は檜木婆さんの弁当屋を訪ねよと教えて貰った。

 特待生の授業料免除に飛びつく人間なんて、概ねが金に困っている人間だから、二年生になった時は俺や他の特待生も同じようにガイダンスを受ける新一年生に教えたりもしたっけ。

 俺は全く喋らなかったけどさ。


「カズって婆さんに偉そうだったわけ?」

「今は違う。檜木婆さんにはかなり感謝してる」

「本当かー?」

「燐こそ、普段は教師とかにかなり喧嘩腰なんじゃないか?割と怖いじゃん、燐の父親ほどじゃないけどみんな覇気が凄いし」

「分かる。アイツら声デカくてうぜぇ」

「至近距離なのに十メートル間隔があるレベルで話してくるからキツい」

「そうそう。前のカズみたいな感じ」

「俺も同類だったの!?」


 はは、『五月以前の俺』が道理でうるさいと言われる訳だ。

 普通の声量で話している今を以てして、山川さんに落ち着いていて話しやすいと言われる残酷な評価だしな。

 自分が人間スピーカーだった事とか想像したくねぇ……!


「そら、燐。美味い豚汁の食い方」

「え?」

「味噌汁かけご飯みたいにな、こう」

「あ、あ、あーっ!?」


 燐は律儀に豚汁の具と冷やご飯を一緒に食べていたが、そこから育ちの良さが出てしまっている。

 ふ、甘いあまい。

 こういうのはな、一遍に合体させてしまうのが至高なのよ!!

 具を少し捌けた部分に、適量まで減らした冷やご飯を投入する。

 それを見た燐は、瞬時に察したようだ。


「もう食い切ったのに……それ先に教えろよ!」

「これ庶民なら皆やってる嗜みだぞ」

「〜〜!あたしもやりたい!」

「残念。またの機会に」

「腹空いてたし。……おいカズ、それ寄越せよ」

「嫌だ。俺の飯だぞ」

「良いだろ!一杯だけでもくれよ!」

「何がだけ、だよ!ちゃっかり俺の分平らげようとすんな!」


 俺の豚汁に手を伸ばす燐を躱しつつ、一気に椀の中身を口の中へと掻き込む。

 はーっ、美味い!

 ストレスばかりだったタイムリープ後で、食事を素直に楽しめるのは今日が初めてかもしれない。

 うむ、世も末だ。


「はー。ご馳走様でした」

「くそっ。あたし次も檜木婆さんの飯食いに来るからなっ!」

「お腹が空いたら、またおいでな」

「やりー!」


 燐はすごく気に入ってくれたようだ。

 それなら大丈夫(・・・)だろう。


「よし、燐。これから皿洗いするぞ」

「…………んっ?」

「んっ?じゃない。ここのルールだよ、飯を貰ったら使った食器は自分で洗うんだ」

「えっ、いや、その、あ、で、デートで皿洗いさせるとか、どうかと思うなー」

「ルールは大切だぞ」


 檜木婆さんの飯をまた食べたいのなら、守るべきことはしっかり守らなくてはならない。

 俺が諭すと、燐らしからぬ狼狽えぶりを見せる。

 どうしたんだ。


「どうした?」

「……その。あたし、実は皿洗いすると何故か食器を殺っちまうんだ」

「器物を対象に殺るとか言うヤツ初めて見たわ」


 この後、実際に食器洗いをした時に燐の危うさを痛感した。

 椀を一つ洗う作業で水や洗剤で滑っ落としかけること十回以上、あれだけ運動神経も抜群で何事も上手くこなす彼女には珍しく繊細さに欠けていた。

 人には欠点あるって言うしな。

 悪くないと思うぞ。

 それに――。


「うう、カズ。あたし、やっぱりこんなんじゃ嫁に行けない……」


 変な落ち込み方して涙目になっているのが可愛かった。

 口にしたら殺されるので黙っておこう。



 食器洗いも済んで、檜木婆さんに礼を言いながら俺たちは次はどうしようかと悩み、近くのボーリング場の休憩スペースの椅子に座っていた。

 別に遊び場は沢山あるし、どれが自分としては楽しいかも把握しているが、選択肢が多いと人間は立ち止まってしまう。


「燐。ボーリングとかやった事ある?」

「バカにしてんのか。あるに決まってんだろ」

「へえ。でも意外と下手そう」

「いや。投げてれば全部ストライクになるし」

「そんな人類初めて聞いたわ!?」

「てか、球技で困った事とかあんまし無いからな……」


 く、微妙に羨ましい。

 スポーツは別に興味が無いから、妬むような事は無い。

 しかし、単純なスペックとして人間的に劣るように感じて無性に腹が立つのだ。

 どうにかして、コイツの鼻を明かしてやりたいものだ。


「お。じゃあ、近くにバッティングセンターあるし、そこで勝負しない?」

「いいな。負けたら昼飯奢りな」

「まだ食うのかよ……」

「――良いよ!じゃあ、勝負しよっか」


 ……………ん?

 燐と二人で会話していてのに、いつの間にか声が一つ増えていた。

 聞き覚えがあるが、誰だったっけ。

 思い出そうとしている俺の背後を、燐が凝視していた。

 考えるよりも見た方が速いか。


「ん?…………って、明美!?」

「学校サボって、女の子とデート……カズ君やっぱり女遊び激しくなったよね」


 にこやかな笑顔で明美が立っていた。

 そうだな、死ぬ前に比べたら一緒に遊べる女子が一人以上いるだけでインフレと呼べる状況だ。


「あ、明美?学校は?」

「私も今日はサボり。教室に行ったら居ないから、街まで探しに来たの」

「い、いいのかよ?」

「連絡も無く消えて私に心配させながら遊び呆ける幼馴染よりはいいと思うな」


 ぐはぁッッッ!?

 こ、コイツ随分と毒のある事が言えたんだな。

 新発見である。

 ……俺を探す為だけに授業を放棄するのは褒められた話ではないが、心配をかけたという点で見れば全面的に俺が悪い。

 ぐうの音も出なくて俺が口を噤んでいると、燐と明美が静かに睨み合っている事に気付いた。


「デート中、なんだけど?」

「あはは。じゃあ、私が加わるからもう終わりだね!」


 燐と明美が、妙に聞いている俺さえもがチクチクする言葉を投げ合っている。

 ……どうしたんだ、一体?


「じゃあ、勝負しよっか」

「ああ、良いぜ。ギャフンと言わせてやんよ」


 闘志を燃やす二人が発する空気は心做しか熱い。

 これからデートではなく、何かを懸けた女の戦いが始まる事を予感し、俺はため息しか出なかった。


「何か、帰りたくなってきた」











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