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一皮剥けて強くなる!



 人は極度のストレスを受けた時、現実逃避するという。

 しかし、俺はこの現実を受け止めて生きる道以外ない。

 耐えるには、耐えられる己を作ること。

 まともな精神で対応すれば壊れてしまうなら、いっそ先に壊れてしまえばいい。


「あの、さ……カズ?」


 背後にある燐の戸惑っている顔が鏡で見える。

 彼女らしからぬ表情に俺は少しだけ可笑しくてシャツを着た。

 保健室に備えてあった物なので、新品同然の感触もあって出勤初日を思い出し、しゃんと背筋が伸びる。

 時計はもう放課後である事を教えてくれた。

 ならば、そろそろ明美の下へ行かなくては。


「こ、これからデートなんだよな?」

「ああ。不本意ながらな」

「なら、一つ訊くけどさ」


 燐の声が震えている。

 少し心配になって、俺は――掛け布団一枚で生まれたままの姿を隠した燐に振り返った。


「デート前にあたしを抱く必要あったか?」

「今思うと必要だった」

「デートの景気付けにあたしを抱いたって事か……!?」

「燐はそんなお粗末に扱っていい人間じゃない!だから真剣に頼んだんだ!」

「ぶっ壊れてんじゃねーのか!?」

「実は断られて半殺しにされる方を期待していた。まさか本当にやる事になるとは」

「ぶっ壊れてんだな!」

「こんな事を頼めるのは、この世に燐しかいないんだよ!」

「あたしに頼むヤツもこの世にあんたしかいねーよバカ!」

「安心しろ。燐は美人だし、良いヤツだから俺だけのわけがない。自信持て!」

「もう口閉じろ!」


 自身を卑下するからフォローの為に力説したら尚の事恥ずかしがって燐に怒られた。

 たしかに、取った手段は尋常ではない。

 決意を新たにしたが、タイムリープしてきた明美の正体が分からず、放課後のデートでその奥底を知るのが怖くなった。

 ただでさえ『五月以前の俺』が生み出した混沌で嘔吐する程に追い詰められていたし、これからのストレスに耐えるには自分を強化する必要があると判断した。

 生半可な修行で精神力は養えない。

 死ぬ前は女の子とデートは未経験だ。

 未知の体験に、正体不明の明美を相手取る恐ろしい時間が待っている。

 挑むのから、その二つが気にならないくらい自分を追い詰めてやればいい。

 そう考えて俺は、獅山燐に一生のお願いをした。


「一皮剥けるしか俺には考えつかなかった」

「それはもうしただろ!」


 いや、俺は(・・)未経験だ。

 あと俺をかなり批難していらっしゃるが、実は殺される気で頼んだら満更でもなかった反応だった。

 俺としては行為には及ばず、その前段階で燐に拒絶されて半殺しの目に遭う方を期待しており、その痛みに耐えて明美への恐怖心を誤魔化そうと思ったのだ。

 物理的に壊れる予定だったんだけどなぁ……。

 そしたら、途中から乗り気になった燐に招かれて色々と致してしまった。

 やれやれ、若気の至りとは末恐ろしい。

 実行したら、最後まで容赦なく駆け抜けていく。

 色々と追い詰められると人間の判断力は著しく低下するんだな、と痛感した。

 

「そういえば。保健室の先生、一度出たきり帰って来ないな」

「ああ。あの人は昼までだから。鍵を後で返しておけって条件付きでまだいられんの」

「そうか。知らなかった」


 今考えると危なかったな。

 仮に保険室内の出来事を誰かに見咎められてしまえば、折角ついた昨日の嘘が効力を失ってしまう。

 第一、燐とそんな事をしていると理事長に知れたら一発で退学だ。


「……そんなに不安なら行かなきゃ良いだろ」

「行かなくて良いなら俺もそうしたい。でも、尋ねないといけない事があるし」

「あたし抱いといて他の女の所に行くとか、どんな精神してんだよ」

「なんかカノジョっぽい台詞だな」

「お望み通り今半殺しにしてやろうか?」


 燐がわなわなと握りしめた拳固を掲げている。

 ここまでやって、殺さず半殺しに留めてくれる辺り、やっぱり優しいな。

 これで、俺は『五月以前の俺』を否定できない。

 俺も交際関係でもない女の子に手を出したクズだ!

 クズだから、明美も怖くない!


「責任は取る。どんな罰でも受けよう」

「ほーう?言ったな?」

「ああ。明美への用件が済んだら、退学なり何なり自由にしてくれ」


 もう迷いは無い。

 どうせ未来が変わっているのなら、この学校を退学になっても良い。

 通わせてくれる両親に申し訳無く思うし、今『五月以前の俺』が築いた友情たちも無駄にする行為になるが、それでも俺はやらなくてはならない。


「じゃあさ、カズ」

「ああ」

「あんたに責任取って貰うからな」

「おう。具体的にはどのように?」


 臓器を売る事も辞さない程の覚悟で燐に罰の仔細を尋ねる。

 すると、顔を真っ赤にした彼女が掛け布団で俺の視線から体を遮るように持ち上げた。


「け、結こ……」

「けっこ………?」

「こ、ここここれからあたしの命令を何でも聞く犬になれ」

「わかった!」

「一瞬くらい躊躇えよ!?」


 俺はカバンを手にして保健室の入口へと歩く。

 昼休憩時に角田がわざわざ届けてくれた物だ。

 こういえ時に明美は来そうなので、先んじてSNSアプリで『特待生権限で学校サボって外で気分転換してる』という旨のメッセージを送っておいたので、結局来なかった。

 まだ、昼休憩の時は強化も出来ていなかったから会うには早いと思った。


「燐」

「何だよ!?」


 扉を開けて、もう一度燐に振り返る。


「色々ありがとう」

「……早くどっか行けバーカ」


 燐に背を向けて保健室を出た。

 よし、予定と違って何処かを怪我しているわけでもないが、保健室に入った時と出た今では何もかもが違う。

 大切な事にも気付けたし、強化もできた。


「さて……もしもし」


 俺はスマホで明美に電話をかけた。


『もしもし?』

「明美、校門前で落ち合おう。放課後デートの約束だ」

『放課後デート?……ああ、もしかして『今朝までの私』とそんな約束した?』

「……おまえ、やっぱり」

『うん。私も来たよ、『未来』から!』


 やはり、か。

 俺の読み通り、今朝までの明美ではなく『未来の明美』が体に乗り移っている。


「じゃあ、デートじゃなくていい。話したい事がある」

『折角だし、デートしようよ。私、久しぶりにカズ君に意識して貰ってるって思えて興奮してるんだ!』

「……取り敢えず、校門で待っててくれ」

『うん。待ってるね』


 電話が切れて、俺も昇降口へと向かう。

 俺と同じタイムリーパー。

 俺より先に死んでしまった幼馴染が、高校時代にやって来ている。

 同じ境遇の者として、彼女を探ればこのタイムリープについても知る事が出来る、或いはその鍵になる筈だ。


「乙倉。もう体調は平気か?」

「ああ。問題無い」


 昇降口で靴を履き替える途中の角田と遭遇した。

 俺はその隣で同じように靴に履き替える。


「顔色も良さそうだし、心配要らないみたいだな」

「ああ」

「……?乙倉、気の所為だったら良いんだが……」

「ん?」


 角田が俺の肩を掴んで至近距離まで顔を寄せてきた。


「まさか、オマエ……『裏切った』な?」

「どうしてそう思う?」

「明らかに雰囲気が違う。男としてのステージを駆け上がった者のみに許される余裕と風格を感じる」

「………ふっ」


 肯定も否定もしない。

 ただ、俺の反応で全てを察した角田が青褪めて蹈鞴を踏み、その場に尻もちを突く。

 怯えた角田の顔を、俺は淡々と見下ろした。


「う、嘘だ……!」

「悪いな。実はもう……『二回目』なんだ」

「嘘だぁあああああああ!!!!」

「強く生きろよ、兄弟」


 現実を受け止められない角田が頭を抱えて絶叫し、俺は労りを込めてその肩を叩きながら昇降口を後にした。

 今の俺は、死ぬ前ですら経験した事の無い全能感に酔っている。

 かつてない感覚で静かに高揚していた。

 これなら、どんな事でも挫けないでいけそうだ。


「カズ君、待ってたよっ」

「久しぶりだな、明美」


 さあ、いざ勝負だ!







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