一文字足りないからセーフ!
学生時代は朝から憂鬱だった。
基本的に特待生という学力的には校内でも上位勢ではあるものの、毎回の試験総合成績において十位以内なんて困難な条件があったから勉強尽くしだった。
学力は良くても十位以内は厳しい人間である。
たしかに、実家から遠く離れた進学校で授業料が免除されるからと飛び付いたが、今思うとよく頑張れたなと思う。
それを。
「二周目とかキツ……………!」
「眠そうだな」
「二時間しか寝てないからな。……あ、角田ノートありがとうな」
「昨日の量って二時間しか寝れないような量ってあったか?」
夜の地獄総復習を終え、俺は角田と共に登校した。
復習の範囲は昨日の授業のみではない。
大人になって風化した高校時代に学習した内容を改めて勉強したのだ。幸いにも入学してまだ二ヶ月なので、危惧していた量ではなかった。
かなり睡眠時間は削られたけどな!
誰かが言っていたが、脳は使わなければ退化していくのみ。大人になったら学生時代には当たり前に答えられた問題にも躓くだなんてよく聞く話だし。
このタイムリープがいつまで続くか分からない以上、学力なんかでそれどころじゃないなんて笑い話にもならない。
俺は『昨日までの俺』改め、『五月以前の俺』より要領が悪いからな。
今も単語帳を開いて勉強中だ。
頭に入ってこねー。
「おいっ、乙倉」
「ん?なんだよ」
「ほら」
角田が目の前を顎で指し示す。
単語帳から顔を上げて前方を見ると、腕を組んで仁王立ちしている明美が立っていた。
なんか…………かなりご立腹の様子だ。
「カズ君」
「はい」
「カズ君の事だから、ちゃんと反省して自分から謝罪の電話くらい入れてくれると思ってた」
「…………?…………っ!?」
俺は慌ててスマホに登録された連絡先を見る。
あ、『明美』で登録されてたー……。
直接会って昨日のフォローをしようと思っていたが、『五月以前の俺』は交流もあるから連絡先くらい交換済みか。
電話で謝罪というのは頭に無かった。
俺は職場の人間とか最低限の連絡先しか登録してなかったし、何なら自分から進んで連絡先を交換した獅山の一件を新鮮に感じたほどだ。
実際に高校時代は明美のスマホの携帯番号すら知らなかった。
「私を目の前にして、スマホ弄るんだ?」
「いや違う!直接会って謝罪しようと思ってたんだ。電話って考えが頭に無くて!」
「言い訳だよね?」
「えっ」
「………はー」
長いため息をつかれた。
途轍もなく怒っている。
明美ってこんな風に怒るんだなと不真面目な感想を心の中で呟きながら、どうやって機嫌を直すかを考えた。
「ん、ああ。角田は先に行ってていいぞ」
「良いのか?」
「こんな会話見てても楽しくないだろ」
「乙倉が混乱してるのは見てて面白いが?」
「聖書とか読んだらおまえと同じ名前の悪魔とかいるんじゃね?」
角田だけは絶対に許さん。
「しかも、他の人と会話する余裕あるんだ」
「あ゛っ」
「本当に謝る気ある?」
「ある、あります。明美とはいつだって真剣に向き直っていくつもりなんです」
今回からは、の話だが。
タイムリープ前は、その気持ちにも気付かずに一方的に距離を置いて悶々とさせ、結果として山村慶次を凶行に走らせる原因を作った。
向き合わなきゃ、きっと次も悲惨な目に遭う。
「ふーん。まあ、今回は許したげる」
「助かる」
「じゃあ、今日はオカルト研究部の休みだって聞いてるし、放課後はデートね!」
「部活休みとか初耳」
何で俺の知らないスケジュールを明美が把握してるんだよ。
おそらく『五月以前の俺』だな。
スケジュールを共有するほど深く明美と関わっていたのだろう。俺としては知らない明美を怒涛の勢いで見る身になって戦々恐々とさせられる。
でも、これから付き合うのなら必然的に受け止めていかなくてはならないので、この程度で弱音を吐いていても仕方ない。
……それはそれとして、後でオカルト研究部の部活動スケジュールを確認しておこう。
「尻に敷かれてやんの」
横からからかう声が聞こえた。
俺たちから少し離れた所を歩いて先に校舎へと向かっていく獅山がひらひらと手を振っている。
笑い事じゃないんだよ。
「……獅山さんと仲良いんだね」
「え?……まあ、噂ほど恐い人じゃないからな」
ますます明美の視線が鋭くなる。
許してくれたんじゃないの?
「朝から痴話喧嘩ですかー?お熱いですねー」
「ちょっ、麦ちゃん!違うって!」
校門の前でギャーギャー騒いでいた俺たちに佐々川麦もからかうような調子で合流する。
明美の肩に腕を回し、彼女の柔らかそうな白皙の頬をつんつんと指で突く。
やっぱり仲が良いんだな。
別に肉体に刻まれた『五月以前の俺』の記憶を疑ったわけではないが、明美の交友関係自体を見るのが今回初めてだ。
俺がタイムリープ前の高校時代から、二人は同じ関係だったのかな。
これだけ仲が良いのなら、俺が知らないだけで佐々川麦もあの葬式に参列しており、山村慶次と同じく涙していたのだろう。
「どうした、乙倉?」
「いや、明美を二十三歳で死なすのは惜しいって思っただけだ」
「あー、あのタイムリープの話?」
「そう」
山村慶次が殺人を犯した理由として、トリガーは明美の死だ。
最悪の場合、明美が死んでいなければ俺も死なない。
「玉突き事故は回避不能じゃね?」
「車の免許を取らせないで、極力在宅ワークの仕事に就かせる……とか」
「いや、もっと簡単な方法があるだろ」
もっと簡単な方法なんてあるのか?
玉突き事故なんて、正直に言えば何処の誰かも分からない他人が運転した車が原因なので、本人の運転状態云々を差し引けば自然現象並みに突拍子も無く理不尽に起こる防ぎようのない事故だ。
一体、どうしろと。
「乙倉と朝倉さんが結婚して、家から出なくても良いようにすれば解決だろ」
「……無理があるだろ、それ」
「でもそうすれば、そもそも事故も変な痴情の縺れも起きないじゃん」
「……たしかに」
ぐうの音も出ない。
山村慶次は、明美が傍にいながらも想う相手が違う状況でひたすら嫉妬心を煽られ、最後に死に別れたストレスで俺への殺意を生み出した。
そもそも俺が明美と一緒にいれば……いや傲慢にも程があるだろ。
第一、未だに俺は明美に対して恋愛感情を抱けずにいる。
そんな事で結ばれても、あの異様に鋭い明美の感覚でまた本心を気付かれて、別の痴情の縺れが起きそうだ。
どっちにしろ詰んでる!!
「今の俺に明美を受け止める準備が無い」
「ヘタレ」
「うるせっ」
「じゃあ、他に好きな子でもいるのかよ」
「好きな子なんているわけ無いだろ。しかも、ただでさえ新しい交友関係の女子が次から次に現れてたら混乱してそれどころじゃないわ!」
「普通は羨ましいんだけどな」
他人事だと思いやがって。
こちらは今日だって新イベントを控えている上に、放課後は明美とデートだってあるんだぞ。
………と、そうだ。新イベントだ。
昨日、転校生が来るとの噂を耳にした。
学校が始まって二ヶ月の時期に転校?とは思うが、そういう事もあるのだろう。
タイムリープ前の高校時代にはまた無かった展開だ。
さて、一体どんな人間なのか。
「あ、予鈴が鳴ったよ!急ごうカズ君!」
明美に急かされて、俺たちは校舎へと走った。
まだ呑気に歩いている生徒を追い越し、急いで昇降口に入り、下駄箱に靴をぶち込んで教室への階段を駆け上がろうとした。
「ああ、乙倉くん。待っていたよ」
「っはい?」
階段の横に、何故か理事長が立っていた。
うぇっ、ストレスで朝食を戻しそう……!!
待っていたよ、という事は何か用事があるのだろう。……いつから待ってたんだろ、相当時間が経ってたら機嫌悪いよね恐い!!
俺は仕方なく、先に行ってくれと明美たちに伝える。
若干怪訝な顔をしながら、明美と佐々川、そして角田は先に上階に向かって行った。
「お待たせしてすみません」
「いや、構わない。……それより、実は君に頼みたい事があったんだ」
「頼みたい事?」
「今日、実は君の所属するB組に転校生が入る事になっている」
「はあ」
俺のクラスかよぉおおおおおおお!!!
如何にタイムリープ前の高校時代と多少変化があっても、他クラスならそんなに影響は無いかと考えていたのに。
そんなホイホイ俺の周りばかりに新要素ブチ込んでくるな!
「君には転校生を教室まで案内して欲しいんだ」
「り、了解しました」
「それでは付いてきてくれ」
理事長に連れられて、俺は事務室前まで連れて行かれる。
事務室の扉の横に、女子生徒が立っていた。
「待たせてすまない」
「いえ。それで、私の案内役とは」
「ああ、彼が教室まで案内してくれる」
理事長が俺の紹介をしたので、一応女子に頭を下げた。
「彼女は、山村慶。話していた転校生だ、宜しく頼むよ」
「初めまして。山村慶です」
「え゛っ」
「え?」
ちょ、山む、山村!?
ぐ、偶然だろうか。
「あの、何か?」
「あ、いや……そ、そう!字、字はどんなの?」
「山の村に、慶応大の慶ですけど」
無表情の転校生女子――山村慶が丁寧に教えてくれる。
……………。
…………………。
……………あー、はいはい、なるほどね。
山村慶……山村、慶ね。
物騒な知り合いと似てる名前で少し心臓が跳ねたが、性別も違うし一文字足りていないから別人だよな。
三文字合ってるっていうのも中々に不気味だが。
「乙倉和稀。取り敢えず一年間よろしく」
俺が名乗ると、山村慶が差し出した手に、俺も応じて握手を交わす。
「ええ。…………よろしく」




