第五話「異世界転移」
鬱蒼とした森の中、六つの死体に囲まれながらヴァルター―徹は混乱していた。
先ほどまでは『仮想ドライブ』を行い『ミレナリズム』を遊んでいたはずだ。
ヴィルヘルミーネを召喚したまでは、まだいい。
しかしその後、謎の六人組がいきなり現れたのだ。
最初の問答から強制イベントでも始まったのかと疑った徹だったが、『ミレナリズム』にそんなイベントは存在しなかった。
首を傾げていると、急に戦闘が始まったのだ。
これには徹も混乱せざるを得ない。
確かに、『ミレナリズム』には出会ってすぐに宣戦布告をしてくるような好戦的な文明は存在したが、それにしたってスピーディーすぎる。
しかし、今の徹にはそんなことはどうでもよかった。
(吐きそうなんだが!?)
周囲に転がる六つの死体。
急に現れ急に襲ってきた騎士たちのあまりにリアルな死体に、徹は涙目であった。
(嘘だろ!?こういう表現って大昔から規制されてるよな!?今のゲームなんて少しの流血すら許せないんだぞ!それが……うわぁ…骨見えちゃってるよ…あっちは…内臓!?直視したらもう我慢できんぞ…)
22世紀現在、ゲームの規制は過激を極めており、例え18禁のゲームだろうと流血はご法度とされているんのだ。その現状を考えれば、今目の前に広がる光景は異常としか言いようがないだろう。
「陛下~!やったぜ!褒めてくれ~!」
だが、この惨状に似つかわしくない明るい声が響く。
徹最愛のユニット、ヴィルヘルミーネのものだった。
『ミレナリズム』には本来、ユニットにボイスは無い。
しかしヴィルヘルミーネの声は徹が想像していた通りの女性にしては低い声で、彼女の性格にとてもマッチしていて好ましいものであった。
「あ、ああ…よくやった、ヴィルヘルミーネ」
徹は未だに混乱している頭からなんとか言葉を捻りだす。
たった今起きたことがなんなのかは分からなかったが、実際にヴィルヘルミーネは仕事をしたと言えるだろう。襲い掛かってきた騎士たちから主である徹を守り、排除したのだ。
だが―
(これ…本当に『ミレナリズム』か?)
徹は改めて現状の認識を改める。
『ミレナリズム』は、世界と言う盤面の上でユニットという駒を動かす、将棋やチェスのようなどちらかと言えば静的なゲームだ。
だが、今起きたことは『仮想ドライブ』で行うアクションゲームも真っ青なアクティブな出来事だった。
剣を持った騎士が数人がかりで襲い掛かり、それを華麗に蹴散らすヴィルヘルミーネ。
一人一人の見た目こそ『ミレナリズム』の要素はあるが、起こったことは『ミレナリズム』とは思えない。
それは徹の視界に目に見える光景しか映らないことも原因の一つだった。
本来『仮想ドライブ』で遊ぶならば、操作パネルや今の情報などを可視化するウィンドウなどが現れるはずだが、今はそれらが一切確認できないし、これではログアウトだってままならない。
(待てよ…!?ログアウト出来ない!?じゃあ俺は……これから先ずっとこの『仮想ドライブ』の世界で…!?)
考えたこと自体を後悔してしまう程の考えが徹の頭をよぎる。
押し潰されそうな不安を払拭するように、徹は大声で叫んだ。
「ああー!どうなってんだよこれ!運営!説明しろお!」
そんな徹の視界に、最愛のユニット、ヴィルヘルミーネの姿が映る。
彼女のそんな顔を見て、主として情けない姿を見せてしまったと徹は後悔してしまう。
しかし、その直後にヴィルヘルミーネが放った言葉は全くの予想外のものだった。
「はは、陛下、もうお疲れなのか?いつもは二時間くらいは粘る魔王口調がもう砕けちまってるぜ」
「…………え?」
徹はヴィルヘルミーネの言葉が理解できなかった。
いや、理解はできる。徹はストレス解消のために『ミレナリズム』をプレイする際はヴァルターに成りきって魔王口調で喋る。ただ、それもプレイして二時間も経てば疲れてしまい、普通の口調で独り言を喋りながらプレイするのだ。だからヴィルヘルミーネの言っている言葉は正しいし、理解できる。
しかし、それをあくまでゲームのキャラであるヴィルヘルミーネが口にすることが理解できないのだ。
そしてその瞬間、徹の脳内を襲っていた様々な現実がある一本の道を示すかのような錯覚を覚える。
(……もしかして、ここは現実なのか?)
突拍子もない考えだ。あり得ない。ゲームの中の世界に迷い込むなんて物語の世界だ。
だが。
現実と見間違う程綺麗な景色。コロコロと変わるヴィルヘルミーネや騎士たちの表情。演技とは思えない彼らの迫真の口調。今のゲームでは到底表現出来ない死体の描写。一向に現れないパネルやウィンドウ。まったく分からないログアウトの方法。そして、徹の日常を見透かしているようなヴィルヘルミーネの言葉。
徹は自分の頬をつねってみる。
『仮想ドライブ』では、例えばアクションゲームをプレイする際敵にダメージを食らうと少しの痛覚を感じることができるが、勿論ゲームで大怪我をするわけにはいかないので大幅に制御されている。なので、頬をつねっても普段あまり痛くないのでほとんど痛覚は感じないはずだ。
しかし―
「………痛い」
徹はこの現状から目を逸らすように手に力を込める。しかし、想像通りの痛みが頬に流れいつしか涙が零れ始める。
「ど、どうしたんだ陛下!」
今の徹の行動が奇行に見えたヴィルヘルミーネが心配そうな顔をして駆け寄ってきた。
しかし、今の徹には確かめなければならないことがあった。
「…ヴィルヘルミーネ」
「な、なんだ?それより頬大丈夫なのか…?」
「我の、いや、俺の本当の名前が分かるか?」
「ほ、本当の名前というと…。あ、あの真名か!?」
「し、しんめい?」
ヴィルヘルミーネはいつのまにか表情をきりりとした真面目なものにして、今からとても大事な事を宣言する大統領のような神妙な顔つきになっていた。
「い……イチノセ、トオル様……」
「…………!」
顔を真っ赤にし、目を逸らしながら徹の本名をフルネームで口にするヴィルヘルミーネ。
その雰囲気はまるで初恋の相手にバレンタインのチョコを渡す学生のように恥じらいのあるものだったが、徹はそれどころではなかった。
(ゲームのキャラ…ただのNPCが俺の名前を理解している…!?)
徹のこめかみに嫌な汗が流れる。
ただのNPCであるヴィルヘルミーネが徹の本名を理解している訳がない。『ミレナリズム』は本名の登録など必要ないのだから運営すら知らない情報を目の前のNPC、ヴィルヘルミーネは知っているという事だ。
これが意味する事、それは…。
「…陛下、大丈夫か?今日はもう寝た方がいいんじゃ?いつもアタシたちに命令を出しながら寝てしまっているし心配だぞ」
徹は、仕事終わりに『ミレナリズム』をプレイする際は高確率で寝落ちをする。
「それに、魔王口調も抜けてしまってるし…お疲れなのか?」
徹は、いつも魔王ヴァルターのロールプレイを途中でやめてしまう。
「……トオル様?」
徹は、一ノ瀬徹という本名を持つ。
「う、嘘だろ……」
徹は、確信する。目の前で心配そうにこちらを見つめる最愛のユニット、ヴィルヘルミーネはNPCなどではなく、生きている一人の人間なのだと。
「…ヴィルヘルミーネよ」
「なんだ?何でも言ってくれよ。アタシは陛下の意のままに」
「ふ、触れてもいいか?」
徹は顔を真っ赤にしながらそう呟く。今までの人生で女性経験などなかった徹からすればよく言った方だといえるだろう。
「ああ、勿論だ。むしろ許可の必要なんかないぜ?」
ヴィルヘルミーネは自信満々な笑みのまま、徹の方へと一歩前へ踏み出す。
自分の体はこちらに全て委ねていると言われているかのようだ。
恐る恐る、右手でヴィルヘルミーネの腕を触る。
女性特有の柔らかい感触と、筋肉の固い感触、どちらも感じ取れる。
そのまま、右手をヴィルヘルミーネの左胸へと伸ばす。
「ん、んぅ…」
ヴィルヘルミーネの零れ出る吐息に構わず、徹は右手の感覚に全神経を研ぎ澄ます。
すると、右手からトクントクンと、心臓の鼓動を感じることが出来た。
「生きてる……!」
その瞬間、徹は今の現状を忘れ、ただただ感動を覚えた。
目の前で自分が最も愛するユニットが一人の人間として立っているのだ。この状況で感動しないゲーマーはいないだろう。
「へ、陛下…?」
高揚感に身を包まれる徹だったが、困惑の声を上げるヴィルヘルミーネによって我に返る。
傍から見れば、今の自分はただのセクハラ野郎だった。
「おわぁ!ごめん!」
情けない声を出しながら右手を慌てて引っ込める。
どう謝るべきか頭をグルグルと回転させていた徹だったが、視界に映るのはクスクスと笑うヴィルヘルミーネの姿だった。
「はは、陛下がそこまで慌てるなんて珍しいな」
少女のような可愛らしい笑みで、徹は冷静さを取り戻す。
これからの事を考え始めるが、それよりも前に、徹はヴィルヘルミーネに聞きたいことがあった。
「…ヴィルヘルミーネは、なんで俺をそんな敬ってくれるんだ?」
これは、ヴィルヘルミーネを召喚した時から思っていた徹の素朴な疑問だ。
本来、ヴィルヘルミーネは忠誠心が低く上げずらい難しいユニットのはずだった。
それなのに目の前のヴィルヘルミーネは徹に対して忠誠心がカンストしているような態度を取っており、これが強い違和感となって徹を悩ませていたのだ。
徹の質問に、ヴィルヘルミーネは一瞬顔をキョトンとさせた後、いつもの獰猛なそれではなく慈愛に満ちたような笑顔で徹を見つめた。
「陛下、アタシはな、貴方の命令の下何千回も楽しい戦いをすることが出来たし、貴方は何千回も勝利に導いてくれた。来る日も来る日も…こんなアタシを陛下はとても上手く扱ってみせた。そんな御方に忠誠を誓うなというのが無理な話だろう?」
今度は徹がキョトンとする番だった。
彼女の言葉を信じるなら、ヴィルヘルミーネは徹がこれまで遊んできた『ミレナリズム』の記憶をそのまま引き継いでいるという事だ。
「だからな、これからどんな困難が待ち受けようと、アタシが陛下を守って見せる。アタシはヴァルター様の…トオル様の僕だからな!命を張って守らせてもらうぜ!」
そう言って笑い、ハルバードを担ぐヴィルヘルミーネ。
ログアウトも出来ない、明日にはそこで倒れている騎士と同じ結末を迎えているかもしれない、そんな過酷な日々がきっと自分に襲い掛かる。
だが、目の前の彼女―自分が最も愛し、最も頼りにしているヴィルヘルミーネがいれば、きっと大丈夫だと、徹は確信したのだった。
本日は一時間後もう一話投稿しようと思っているのでそちらもお願いします。