第二話「悪逆のヴィルヘルミーネ」
「んあ……」
まるで長い眠りから覚醒したような朧気な意識のまま徹は目を覚ます。
やはり、この『仮想ドライブ』独特のこの感覚はイマイチ好きになれない。
「どこだここ……?」
辺りを見渡すが薄暗く、自分がどこにいるかすら分からない。時折水滴が水面に落ちるぽちゃんという音が聞こえるのみでそれ以外全く分からない。
「いや…てかそもそもここ本当に『ミレナリズム』か?」
仮想世界に来たにもかかわらずゲームからのアナウンスなどが一切ない。チュートリアルなどが充実していた『ミレナリズム』にしては違和感がある。
その不親切さに徹が首を傾げていると、この暗闇に目が慣れ始め段々と視界がクリアになる。
どうやら徹が今立っているこの場所は洞窟のような場所らしい。上下左右全て土で囲まれいる。
そして徹の足元には赤色で描かれたまるで魔法陣のようなものがある。
さらに周りを見渡すと、三つの人影が転がっている。全員が真っ黒なローブを頭まで覆っており、顔や性別は一切分からない。
「え、だ、誰?」
その光景があまりに現実のようで、徹はここがゲームの世界だという事を忘れてしまう。
思わず声を出してしまうが、返事は何処からも返ってこない。
現実味のない光景に、ゲームとは思えないあまりにリアルな光景。
二つの相反する要素が重なることで混乱した結果、徹は一番近い人影に近づく。
「お、起きてますか~?」
ゲームのキャラだと頭では理解しているものの、思わず小声で問いかけてしまう。
しかし、これまた人影からの返事はない。
「し、失礼します…」
徹は恐る恐る頭のフードをどける。すると――
「うおぉっ!!」
それは一目で分かるほどの死体だった。
目や鼻、そして口。顔にある全ての穴から血を流しているようなその顔面は、徹に尻餅をつかせるには充分過ぎる程だった。
思わずその場から逃げそうになる徹だったが、この光景に見覚えがあることを思い出す。
真っ暗な洞窟。赤い魔法陣。四人の黒フード。
「これ、『グリントリンゲン』のムービーか?」
『ミレナリズム』では、文明を選びプレイを始める際に、プレイヤーの分身たる指導者がどういった経緯でその文明を興すことになったのかを説明するムービーを見ることが出来る。
『魔王文明グリントリンゲン』を選んだ際に流れるムービーはこうだ。
世界の破滅を望む悪の秘密結社の構成員である四人の魔術師が薄暗い洞窟で魔法陣を使い『グリントリンゲン』の指導者である魔王を召喚するのだ。その際魔術師は自分の命を魔王を召喚するための生贄として捧げ絶命する。
頭の中で何百回も見たムービーを思い出す徹は何回も頷く。
そうだ。これはそのムービーを再現しているのだ。
「ん?だとすると…」
徹は自分の体を見る。
身に着けるは黒と紺と金を基調とした重厚感の感じる高価そうなローブ。
背中には漆黒の大きな翼。こめかみには山羊を思わせる黒色の捻り曲がったツノ。
まるで魔王のような見た目。
だが徹はこの姿をした者に見覚えがある。いや、しかない。
「おお…俺、ヴァルターになってるじゃん」
そう。今の徹の姿こそ、彼が愛して止まない文明、『魔王文明グリントリンゲン』の指導者たるヴァルター・グルズ・オイゲンであった。
そこでここが『ミレナリズム』というゲームであることを冷静に再認識できた。どうやら『仮想ドライブ』でプレイする『ミレナリズム』では、プレイヤーはその文明の指導者として遊ぶことが出来るらしい。
だとすれば目の前に転がる四つの死体はただのデータ上の存在だ。
徹は取り敢えず足を踏み出し歩き出す。確かあのムービーだと魔王は洞窟から出た後文明を興すことを一人で宣言するのだ。
薄暗い洞窟を歩きだし少し経つと、思わず目を細める程の眩い光が差す。どうやら出口はそこまで遠くなかったらしい。
「おぉぉぉ……」
洞窟から出た徹は、思わず感嘆の声を漏らす。
目の前に広がるのは森。鬱蒼としており手放しで褒められる光景では無かったが、そこに生える木々や揺れ落ちる葉、そして遠目に見える小さい鳥などまるでゲームの中とは思えない景色が広がっている。
先ほどの洞窟でも現実のようなひんやりとした冷気にあまりにリアルな死体を見ることはできたが、目の前の森の綺麗なグラフィックもまた徹の心を奪った。
「今のゲームってここまで進化してたのかよ……」
徹は小さく呟きながら歩く。ここが『ミレナリズム』というゲームの中の世界とは思えなかった。
『ミレナリズム』の世界だという事を忘れ、思わず景色に目を奪われる。
さわさわと風に吹かれ揺れる木々。ぴよぴよと鳴く見たこともない青い小鳥。地面を緑色に染める葉っぱ。
就職して数年、仕事に行って帰ってからは『ミレナリズム』しかしてこなかった徹にとってこの緑だらけの光景は珍しく、懐かしいものだった。
(なんか…ここが『ミレナリズム』とか関係なく『仮想ドライブ』ってすごいな…。なんか心が洗われる感じだ)
徹はしばらくそんな風景を楽しみながら森を歩く。
しかし、初めのうちは珍しさもあって楽しかったが、段々と寂しさが襲ってくる。
こんなだだっ広い森に自分一人と言うのは寂しさもあるしなんだか不安になってくる。
せめて誰か一人でも側にいてくれないか…。
「あ、出来るじゃん、俺」
そこで徹は、ヴァルターの―徹自身のもつスキルを思い出す。
【配下召喚】というスキルだ。
このスキルは特定の条件でUUと呼ばれる特別なユニットを無償で即時に生産することの出来るスキルだ。
そしてその条件の一つに『ゲーム開始直後』がある。つまり、今だ。
「よし、やってみるか」
徹の視界には、本来『仮想ドライブ』でゲームをプレイする際に現れるカーソルやウィンドウと言ったものがない。
しかし、どういう訳か今の徹にはスキルの使い方が無意識に分かっていた。今、【配下召喚】が可能という事も。
『グリントリンゲン』には多数のUUが存在するが、どれも癖のあるものが多く使いづらいとされている。だが、徹には『グリントリンゲン』の廃人プレイヤーの自負があり使いこなす自信があるし、今まで何度も『グリントリンゲン』で勝利を収めてきた。
そんな徹だが、今回召喚するUUは決まっていた。即決と言ってもいい。
何故なら、徹が『グリントリンゲン』をプレイする際必ず最初に【配下召喚】するユニットだからだ。逆に彼女以外考えられない。
徹はマントをバサッと広げ、笑みを浮かべる。自分が思う魔王のような笑みだ。
「我、ヴァルター・グルズ・オイゲンの名において召喚する!我が配下!魔王の懐刀たる悪逆のヴィルヘルミーネよ!我が目の前に姿を現せ!!」
徹の無駄に尊大で無駄な大きい声に呼応して、地面に妖しく光る紺色の魔法陣が現れる。
それと同時にまるで一瞬夜になったのかと勘違いするほど周囲が闇に覆われた。まるで雷が魔法陣から飛び出るようにバチバチと激しい音を出すと同時に魔法陣から段々と人影が現れる。
まず目を引くのはツーサイドアップに結んである艶やかな銀色の髪。その前髪で右目が隠れている顔は、美人としか言えない程端正だ。釣り目の目は閉じられており、その顔から表情はうかがえない。こめかみからは徹に生えているそれと似ているような黒いツノが生えており、背中からは徹よりも厚いドラゴンのような翼が生えている。ツノと翼、そして腰から生えている腕よりも太い尻尾が彼女がただの人間―人族でないことを雄弁に語っている。
黒いパンツスーツと赤いシャツに身を包んだ身体は跪く体勢でもわかるくらいに長身で、豊かな胸が曲げられている左足によって歪められている。
その隣には彼女の象徴たる長身のハルバート。黒を基調としたその武器からは無骨な印象を受けるが、時折心臓の鼓動のように赤色の紋様がぼんやりと光る。
彼女―ヴィルヘルミーネこそが、徹が『ミレナリズム』で最も好きだと言っても過言ではないUU。そして『グリントリンゲン』をプレイする際徹が必ず最初に生産するユニット。
「ヴィルヘルミーネ……」
徹はそんな最愛のキャラが目の前に等身大で存在することに途轍もない感動を覚え立ち尽くす。ゲームでは親指サイズの大きさでしかなかった彼女が、自分の目の前にまるで人間のように跪いている。端正な顔、ヴァルターである自分よりも少し大きい身体、女性にしては太い腕や脚。徹はその全てに見惚れてしまう。
やがてヴィルヘルミーネは永い眠りから目覚めた者のようにゆっくりと立ち上がる。
そしてヴィルヘルミーネは目を開く。まるで蛇のように縦に割れた瞳孔が徹をじっと見つめる。
徹は反射的に顔を赤くする。彼女のような美人にじっと見つめられるほど徹の人生は華やかな者では無かった。
そんな徹の心情を知って知らずか、ヴィルヘルミーネは笑う。
その笑みは先ほどまでの静かな印象から一転、一気に自分が草食動物だと錯覚してしまう程、肉食獣のような獰猛な笑みだった。
しかし徹は動揺しない。元より彼女がそんな存在であることは知っていた。
だからこそ、徹はこのユニットを愛しているのだ。
「我が名はヴィルヘルミーネ。暴虐、悪逆を尽くす魔王陛下の忠実な僕。いつもアタシを最初に召喚してくれて、感謝するぜ、魔王陛下。さあ、ご命令を。アンタの命なら敵がなんであれ破壊し尽くしてやろう」
~Millepedia~~~~
ヴィルヘルミーネ
種類 【戦闘ユニット】
種族 【魔族】
属性 【混沌・悪】
・ユニット能力
戦闘力 魔術ユニットを除く、その文明で最も攻撃力が高いユニットの攻撃力×1.25 移動力2
【戦闘狂】平時に於いて徐々に忠誠心が下がっていき、戦争時は上がっていく
【戦いの逸楽】敵ユニット撃破時HP50%回復
【釘付け】このユニットに隣接する敵ユニットは移動力が1になる
===
ヴィルヘルミーネはグリントリンゲンのUUである。
常に最新の戦闘ユニットを上回る彼女は戦争になれば途轍もなく頼りになるユニットだが、平時では忠誠心が下がり、いつかは反乱を起こしてしまう!
戦争時は単純に強く使いやすいユニットだが、持ち前の忠誠心の低さには注意する必要があるだろう。
===
目の前に、自分が最も愛するユニットが―ゲームのデータとはいえ―等身大で立って、喋っている。それだけで徹の胸の高鳴りは止まらない。
徹はこのヴィルヘルミーネというユニットを二重の意味で愛していた。
一つ目は、ヴィルヘルミーネというユニットの性能が徹のプレイスタイルー自分以外の全ての文明を滅ぼすことで達成できる「制覇勝利」を狙うのに打ってつけな戦闘向けな性能。徹はこのヴィルヘルミーネとともに何百回も勝利を重ねてきた。
二つ目は…ヴィルヘルミーネのキャラクターデザインだった。
元々、徹が『ミレナリズム』というゲームを始めたきっかけはヴィルヘルミーネのイラストをSNSで初めて見た時に一目惚れし、そこからなんのキャラなのかを調べたことがきっかけだ。
ハーフアップの銀髪。強気な釣り目。長身に豊胸で引っ込むところは引っ込んでいる世の中の男性全てが二度見はするだろう抜群のスタイル。そして主武器がハルバートというワイルドさ。
全ての要素が徹の心臓を貫いていた。
そんなヴィルヘルミーネが目の前に存在しているのだ。感動もひとしおというものだろう。
「……ん?」
しかし、なにか違和感があった。
ヴィルヘルミーネは「いつもアタシを最初に召喚してくれて、感謝するぜ」、そう言った。
確かに徹は『ミレナリズム』をプレイする際、最初の一手はヴィルヘルミーネの召喚だと決めている。そのためヴィルヘルミーネが言っていることは正しい。
だが、目の前のヴィルヘルミーネは確かに本物の女性だと見間違う程のリアルさを持っているが、あくまでゲームのキャラクター。NPCという存在だ。
そんな彼女が「いつも」という言葉を使うことはおかしいのではないだろうか。それは記憶を持つ本当の人間が使う言葉だ。
「新しくなって二週目専用のセリフが追加された……とかか?」
徹はそう呟くが、それが的を射ているような気がする。
元々『ミレナリズム』ではユニット等がセリフを発する場面もあった。今回『仮想ドライブ』にハードを移行する段階で新しい要素を追加したのだろう。
「フフ……よく応じてくれたヴィルヘルミーネよ!我ら二人が揃えば、どんな敵が現れようと容易く打ち滅ぼせるだろう!」
徹は両手をバッと広げ仰々しく傲慢に宣言する。
激しい動きで漆黒のマントが広がる。
(ディスプレイ越しじゃなくて、こうやって『仮想ドライブ』上でヴィルヘルミーネの目の前で魔王のロールプレイも楽しいもんだなぁ…。これだけでテストプレイした甲斐があった)
徹は自分の言動に酔いしれる。『ミレナリズム』を始めて以来一番の快感を覚えているといってもいい。
そんな徹を見て、ヴィルヘルミーネはクスリと笑う。その笑みは先ほどまでな獰猛なそれではなく、少女のような無邪気な笑いだ。
「ああ!アタシと陛下がいれば敵なしだ!派手にやろうぜ!」
ヴィルヘルミーネは尻尾を大きく振りながら自分の背丈くらいあるハルバートを持ち上げる。
だが、徹はそんな彼女の言動に首を傾げた。
(あれ?なんで最初っからヴィルヘルミーネはこんなに友好的なんだ?)
『ミレナリズム』にはユニットごとに忠誠心というパラメーターがある。そのユニットに友好的に接したり好む任務に就かせてやれば上がり、逆に何の命令も出さなかったり無駄にHPを減らしたりすれば下がってしまう。
そしてこの忠誠心が高ければそのユニットは強化され、逆に低ければ能力が下がり最悪命令を聞かなくなると言う非常に重要な数値だ。
初期の忠誠心やその上がりやすさなどはユニットによってまちまちだが、ヴィルヘルミーネは特に厄介な性質を持つ。初期の忠誠心は全ユニットの中でも最低の0から始まり、他文明との戦争時でしか忠誠心が上がらないと言う非常に難しい設定だった。
『グリントリンゲン』において戦争時の主力はこのヴィルヘルミーネ。その彼女の使用難易度が高いというのが『グリントリンゲン』が玄人向けの文明と言われる原因の一つだった。
だからこそ、目の前のヴィルヘルミーネの言動はおかしい。
たった今生産されたと言うのにヴィルヘルミーネは徹を陛下と敬い、友好的に接する。
徹の記憶が正しければ、ヴィルヘルミーネがプレイヤーを陛下と呼ぶのは忠誠心が90を越えたあたりから。最大値が100という事を考えれば非常に高い値だ。
「うーん…?台詞だけじゃなくて忠誠心も二週目仕様…?」
徹はうんうんと唸る。
『ミレナリズム』運営のメールから、少なくとも運営は自分のプレイスタイルを認知している。
だとすれば、テストプレイをしてくれるお返しに自分が好きなキャラを最初っから忠誠心が高い設定にしてくれているという線もあり得る。
「まぁいいか、高いことに越したことはないし」
「どうかしたか、陛下」
「…なんでもないとも。よし、それでは―」
刹那、先程まで人懐っこい笑みを浮かべていたヴィルヘルミーネの顔が真剣なものになり、ある方向へと首をぐりんと振り向く。まるで何かに警戒するような動きだった。
徹がそれにどうしたと言う前に、ヴィルヘルミーネの見る方向からガサガサと木々が揺らされているような音が聞こえる。
「……む?」
そこから現れたのは、六人の騎士。
全員が真っ白な鎧を身に着け、腰には剣をぶら下げている。
徹がいきなりのことで呆けていると、先頭に立つ騎士が徹とヴィルヘルミーネを睨むようにじっくり見つめ、口を開く。
「貴様たち、何者だ」
それが、『魔王文明グリントリンゲン』の他文明との初邂逅だった。