第十二話「豚鬼王」
徹たち一行が改めて歩き出してから、あまり時間が経たないうちにそこに着いた。
「この奥か」
「そうです」
目の前には洞窟に似つかわしくない、粗忽な作りの木のドアがあった。
お世辞にもいい出来とは言えないがドアはドア。野蛮な印象が強い魔物たちにも文明的な習性があることが窺い知れる。
「ヴィルヘルミーネ。クラウディア。この先の魔物は我が倒す。貴様らは我が危ないと思うまで手を出すな」
「承知」
「御意のままに。…陛下がそんな目に遭うとは思えないがな」
この魔物の巣に来てから数十分。襲い掛かってきたり遭遇した魔物は全てヴィルヘルミーネが蹴散らしてきた。そのため本来の目的である徹の腕試しは未だ達成できていない。
それなのにクラウディアの調査によるとこの洞窟にいる魔物は残り一匹。これでは腕試しが十分に出来るか分からない。
しかし徹には過去の自分を責められない理由があった。魔物と戦えなかったある理由が。
(…でも、もうそんなことも言ってられない。いつかは俺の力を確かめる必要があるんだ。それは早い方がいい)
徹は一度深呼吸をすると、後ろに立つ三人に合図を出し意を決してドアを開ける。
「ンァ……?」
そこにいたのはまさに巨人。人間の背丈二つ分あるかないかくらいの豚鬼の身長を一回り大きくしたようなその体は、見るだけで圧倒されてしまう。
見た目こそ豚鬼に酷似しているが、体毛は豚鬼と違って青色。それに豚鬼を凌ぐ背丈に人間程の大きさのある棍棒。
「豚鬼王……」
徹はその姿に見覚えがあった。
『ミレナリズム』の魔物の巣には、低確率で魔物の特別変異のような存在が現れる。それは王種と呼ばれ、本来の魔物とは桁違いの力を持つ。
その名前と力は本物で、序盤ではリセットする要因のほとんどがこれと言われているほど厄介なものだ。王種を倒すためには他国と戦争をするためと等しい位の戦力を用意しなければならず、プレイヤーたちは序盤にこいつらが発生しないように祈りながらプレイしていたことだろう。
「―――」
徹はそんな豚鬼王を冷静な目で見ていた。『ミレナリズム』で何十回も倒したことのある顔だし、背後にはヴィルヘルミーネとクラウディアがいる。徹が最も信頼している人物のうち二人がいるのだ。少しの恐怖は覚えるものの逃げ出したいとは思わない。
しかし、横にいるセレーズはそうではなかった。顔面を蒼白にし、額には脂汗が浮かび、犬のような尻尾と耳は項垂れている。
「大丈夫か、セレーズ嬢」
「…嫌な、嫌な臭いがします。だ、大丈夫なんですか!?こんな化け物…」
セレーズは犬耳人らしく鋭い嗅覚で目の前の魔物の脅威を理解しているようだ。
恐怖のあまり今にも腰が抜けそうだった。
「大丈夫さ。このような奴に我が負けるはずがないだろう?」
徹はセレーズを安心させるため優しい声で慰める。
自分より一回り年下の少女に対する反応としては、一人の大人としてごく普通のことだ。
(ま、これが魔王ロールプレイかと言われれば違うんだろうが……)
「オレノメシノジャマヲシタナ!ニンゲン!」
聞き取りづらい言葉でそう叫ぶ豚鬼王の口元を見ると、真っ赤に染まっていた。彼の背後には白い鎧と原型をとどめていない肉塊。
一見動物の肉にも見えるそれは、恐らく人間だったもの。徹はその肉の側にある白い鎧に見覚えがあった。それは昨日戦った騎士たちの鎧。
(…セレーズはシリース神聖国が人族の国だと言っていたな。つまり昨日殺してしまった騎士はシリース神聖国の騎士だったのか?…状況だけ見れば全滅させたことは幸運だったな。彼らが俺たちの情報を本国に持ち帰らせていたら厄介なことになっていた)
「キイテイルノカ!?」
返事がない徹に腹を立てたのか豚鬼王は棍棒を壁に思いっきり打ち付けた。威嚇行為だ。
その殴打により洞窟ごと震えたのではないかと思えるほどの衝撃と轟音が徹たちを襲う。
しかし、豚鬼王の思惑とは外れはっきりの恐怖の色を見せたのはセレーズだけ。
ヴィルヘルミーネとクラウディアは自分と、そして自分たちの主君の力を絶対的に信じている。目の前のただでかいだけの魔物に恐怖を覚えることなどない。
(こっっっっっっわぁ…!あんなんに殴られたらひとたまりもねえよ!)
徹は人生で初めて感じる衝動と轟音に怯え腰が抜けそうになったが、三人の視線を感じ取りなんとか耐える。
(だけど…お膳立ては整ったな)
『ミレナリズム』には大きく分けて二つの魔術がある。「日常魔術」と「軍事魔術」だ。前者は主に生活をする上で必要になる魔術だ。それは料理のために火を付けたり飲み水となる水を発生させたり少量の砂糖を生み出したり多岐に渡って生活の質を向上させてくれる。
後者、「軍事魔術」は主に戦争で使われる魔術だ。火の球で敵を焼いたり氷の刃で敵を貫いたり風の刃で敵を切り裂いたりと、相手が人間であれ魔物であれ戦いにおいてとても役立つ魔術だ。
今徹が乗り移っているこのユニット、「ヴァルター・クルズ・オイゲン」はスキルに【闇の使い手】を持つ。これには闇魔術と言われる軍事魔術の威力を上げる効果がある。
徹はそのことは覚えていても、過去にヴァルターを使った記憶がほとんどないことからそれがどのくらいの係数を持つのかは分からなかった。だからこそ、今回それを確かめるためにもここに来た訳だが。
「…悪いが、実験台になってもらうぞ」
「ニンゲン!オマエノヨウナチイサキソンザイニナニガデキル!」
徹の言葉に、豚鬼王は激昂し距離を縮めてくる。一歩一歩が洞窟中に重く低い音を響かせる。
まるで重機が自分を轢き殺さんと迫ってくるような迫力を覚え、徹は思わず喉を鳴らす。
だが、大丈夫だ。
『ミレナリズム』では全てのユニットが戦闘力という数値を持つ。これはいわばそのユニットがどれくらいの力を持っているかと言う数値だ。単純に高い方が強く、低い方が弱い。
そして、ヴァルターの戦闘力は目の前の豚鬼王を圧倒していた…はずだ。徹の微かな記憶ではあるが、もしそうでなければ背後のヴィルヘルミーネとクラウディアが止めに入っていたはずだろう。
「ふぅ…」
徹は右手を構え、息を整える。
唱える魔術は決まっていた。と、言うより一つしかない。
徹には、無意識のうちにどんなスキルや魔術が使えるかという判断がついていた。それは自分がヴァルターになってしまったからなのか、詳しい事は分からない。
ただ、その潜在意識とでもいうそれが、徹には今現在使える魔術が一つあるということを教えてくれていた。
それは闇魔術の中でも一番最初に解放される最初期魔術の一つ。闇魔術が得意なヴァルターと考えれば妥当な物だろう。
しかし―
(俺今からあのダサイ魔術の名前を口にしないといけないのかよ!)
徹は内心で『ミレナリズム』運営に対する恨み言を叫ぶ。
運営の中に中二病患者でもいたのか、ゲーム内に登場する闇魔術の名前はどれもイタイものばかりで、素面で口にするのは憚られるものばかりだった。
これこそが、徹がこれまでヴィルヘルミーネに露払いを頼み自分自身で魔物を倒してこなかった理由なのだ。
(魔術を唱えて、冷めた顔でヴィルヘルミーネやクラウディアに見つめられたら…俺は耐えられない!)
豚鬼王の威圧感よりもこれから自分を襲うだろう羞恥から逃げ出したい徹だったが、ぐっと踏みとどまる。
(だめだ、徹!ここで自分の力を試すって決めただろ!それに俺が信じるヴァルターはこんなことで一々臆さない!そうだよな!)
徹は自分に訴えかけるように自分を鼓舞する。
脳内に浮かぶのは理想とする魔王像。魔王とは常に悪のカリスマで堂々としていなければならない。それこそが自分が数年も演じ続けてきた魔王というものだ。
徹は一つ息を吸うと、意を決して口を開く。
「フ、フハハハハ!我が闇の炎に焼かれ消し炭となるがいい!ダ、『闇炎』!」
(ダッセーーー!)
徹は羞恥に耐えながら口上を言い切る。
すると構えた右手の先に真っ黒な炎の球が浮かび上がる。
まさに地獄から呼び起こされたようなその獄炎は段々とその大きさを増していく。
(…あれ?これどんだけでかくなるんだ?)
徹の困惑とはよそに、真っ黒な炎はみるみるうちに大きくなっていく。
その異変に真っ先に気付いたのはセレーズ。彼女は先ほどまで恐れていた豚鬼王のことなど忘れ、その炎に釘付けになってしまう。歯向かう者を全て灰にする粛清の炎。禍々しく、しかし神秘的なその炎から目が離せない。
その炎は更に大きくなっていき、やがて大の字になった成人男性が一人すっぽりはまりそうな程大きくなった頃、豚鬼王の顔に恐怖が浮かびだす。
「ヤ、ヤメロ!ソノヒヲケセ!」
情けない声をあげ及び腰になってしまった豚鬼王からは先ほどまでの貫録は感じ取れない。むしろ蛇に睨まれた蛙のようだった。
それに気付いた徹は思わず不敵な笑みを浮かべてしまう。
「ハハハハハ!命乞いが遅かったな、豚鬼王!さらばだ!灰となった姿を我に晒すことで贖罪に処す!」
「ヤ、ヤメ…」
徹はぽんと人の背中を軽く叩くように巨大な炎の球を押し出す。するとそれは一直線に豚鬼王へと向かい、その巨体を使って豚鬼王を覆いつくす。
「ギャアアアアアアアア!」
黒い炎に包まれた豚鬼王は野太い声を上げながら暴れまわる。しかし炎はそれを逃すことはしない。そう長くない時間で豚鬼王の贅肉の混じった体は焼き尽くされ、残ったのは僅かな灰のみだった。
「お見事です、主」
「ま、陛下が苦戦することも無かったな」
「す、すごい……!」
三者三葉の賞賛を一身に受ける徹だったが、徹の耳はそれを受け付けていなかった。
彼の脳内にあるのはただ一つのみ。
驕りかもしれない。慢心かもしれない。
しかしあの豚鬼王を、数個の戦闘ユニットで囲い多大な犠牲を払ってやっと倒せる強大な魔物を魔術一撃で倒してしまった後にこう考えても責められることでは無いだろう。
「俺、意外と結構強い…?」
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