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死線という名の鏡  作者: 宮雲八尋
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第四章 僕と彼

目が覚めると、今度は放送室の中にいた。前に足を踏み出すと、ひざに何かが当たった。首を下げると、そこには既に開かれたパイプ椅子が置いてある。そしてよく見ると、一枚壁を挟んだ向かいの収録ブースにも、パイプ椅子が置いてある。そして共通しているのは、パイプ椅子の前にマイクが設置されていることだ。これはいったい何なのか、考えていたら、スピーカーから声がした。

「あ、あ。マイクテスト、マイクテスト。あの、聞こえます?」

奥からだ。奥のブースから、マイク越しに話す声が聞こえる。ただ、ブースを見ると人影なんてものはない。何もない。しかしマイクは、その空虚から音を捉えていた。

「ええと、君に僕の姿は見えるかい?そこのマイクを使って、教えてくれないかな?」

目の前のマイクを見る。スイッチの場所は分かる。放送室の構造は、今僕がいる音響ブースと、収録するための収録ブースが、開けることのできない窓の付いた壁越しに相対した作りになっている。今まさに僕がいる音響ブースで、放送の音響管理を行う。マイクの設定を見ると、お互いのマイクが、この放送室の中だけで流れるようになっていた。そしてよく見ると、こちらのマイクの電源が付いていて、口を近づければ喋ることができる状態であった。そして僕は、そのマイクに息を吹き込んだ。

「いや、見えないです。誰も座ってない、パイプ椅子だけが見えます。」

「そっか、じゃあこれはどう見える?」

そういった後、マイク越しに音が聞こえる。パイプ椅子が倒れたような音が聞こえたが、向こうのブースの椅子は、何の変化もない。

「何にも変わってないんですけど。」

「へえ、パイプ椅子も変わってないかー。なるほどね、そういう感じになってるんだ。」

僕は何が起こってるのかよくわからなかったが、向こうの彼は何か含んだような声色をしていた。

「ええと、あなたは誰ですか?」

「ああ、ごめんごめん。えっと、俺は、安原智尋。君の十年後の姿だよ。」

「えぁっ。」

余りにも理解できない話に、変な声が出てしまった。

「えっ、信じられないんですけど。」

「まあ、そうだよね。俺自身もそうだったし。」

「どういうことですか?」

前を見るが、相変わらず向こうには誰もいない。姿は見えないのに、声は聞こえる。不思議な感覚だ。

「俺自身も十年前、同じ経験をしたんだ。そして十年経った今、あの日誰もいなかった収録ブースに、今自分がいる。そして、音響ブースには誰もいない。君の姿は僕には見えないんだ。」

同じことを経験している。そして向こうにも、僕の姿は見えない。十年後、僕もあちら側に行くのだろうか。

「何か、信じることが出来る確証が欲しいんですけど。」

そういうと、少しの沈黙とうなり声が聞こえ、息の入る音がした。

「その時期でいうと、今、「鏡という名の綻び」を読んでるでしょ?ついさっきも寝る前に読もうとしたら、机が散らかってて、テストの個票の下になってた。合ってる?」

心臓をなめられたような感覚になった。読んでいる本のことは家族にも話していないし、友達にも、いや、そもそも僕には友達と言える存在がいるのだろうか。学校でも基本一人だ。本を読む時だってブックカバーを付けている。それに、机の状態なんて誰も入っていないのだから、僕以外知るはずがない。あとは、いちいち「テストの個票」という単語を出してきたのが引っかかった。確かに事実だが、わざわざ言う必要があったのか。

「はい、合ってます。」

「よかった。あとはそうだな。今、何でわざわざテストの個票の話題をって思ったでしょ?そしてそれは、テストの成績が関係している、合ってる?」

人から自分の都合の悪いことを言われると、大抵の人間は冷静さを失う。どうやら僕はそちら側の人間みたいだった。

「えっと、よく分からないんですけど!」

思った以上に声を荒げてしまった。少しの沈黙があり、声がした。

「そっか、俺とまったく同じ状況なのか。そっかー、辛いよな。友達もいない、恋人もできない、学校は毎日一言も喋らずに過ごして、好きな委員長には何もできない。でもやりたいことも、興味のあることも何もない。そしてついには、勉強も力が入らなくなってきた。」

よく分からないことを言う十年後の自分だというその男は今、どんな顔をしているのだろうか?そんなことを、何故か思った。

「…何が言いたいんですか?」

「お前は浮いているな。」

「浮いている」、T君も最後に言っていた。浮いているってどういうことだ?

「いやあ、俺も同じ気持ちだったからね、十年前。本当に苦しかった。でも、そんなときに、突然渡り廊下の前にいて、声のする方に行ったら、放送室の前に着て、開けて中に入ったら、パイプ椅子があった。」

疑問が浮かんだ。この人は、視聴覚室に行ってないのか?じゃあ僕が体験したことのほとんどを、この人は体験していない。そのことを尋ねる隙もなく、徐々に早口になっていく。声色はどこか興奮している様にも見えた。

「そしたら向こうのブースから、十年後の自分が今とまったく同じことを言ってきて、俺は声を荒げたんだ。そしたら、「お前は浮いているな」って言われたんだ。」

この人もさっき同じことを言った。まったく同じ言動を、十年越しに繰り返しているのか?

「ねえ、「深い虚空」って知ってるか?」

「いや、分かりませんけど。」

「深い虚空」、T君が言っていた。ただ、何なのかは分からない。

「「深い虚空」ってのは、俺たちみたいな”浮いている”人間が、人としての生活を保障された”意思を持った”場所なんだ。どんなに自分自身に何もなくても、安全も、生活も、何もかも担保されてる。俺も十年前、同じように言われてそこについていったんだけど、すごいんだよ。こんな俺でも、生きていいんだって思えるんだ。本当に最高なんだよ。」

彼は「深い虚空」という場所について、ものすごい熱量で語っている。その興奮の度合いから、ものすごい場所だというのは伝わった。だが僕には、とても魅了的には見えなかった。

「なあ、一緒に行かないか?」

「いや、行きません。」

思った以上にはやく、自分の口が否定していた。それを予想していなかったのか、えっあといった感じでひたすらに嗚咽していた。

「え、どうして?」

「その「深い虚空」って、何か息苦しそうな感じじゃないですか?とてもじゃないけど、そんな何かありそうなところに行きたくないです。それと、じゃあなんでわざわざ、こんな十年を超えた勧誘を、ずっと繰り返してるんですか?僕の性格上、そんな幸せなものを誰かに教えたいって思わないと思うんですよ。少なくとも僕は、十年後にもし自分が「深い虚空」で幸せになってたら、そんなことは自分相手でも教えたくない。」

「ひどいこと言うね君。俺よりもひどいかも。」

「どうですかね。それと、僕にはもう少し、生きてもいいかなと思える目標もできたんで。」

「どういうこと?」

どこか黒くなったその声を無視して、僕は自分の話を始めた。

「さっきあなたから話が出なかったんですけど、”オモイノヨ”には、行ってないんですか?」

「おもいのよ?何を言ってるんだ。」

「オモイダケのY君とT君にも、会ってないんですか?」

「どうしたんだ、気持ち悪いな。そんな妄想をするほどひどいのか?」

僕は話を止めなかった。どうも、この人は何かを隠しているような気がしたのだ。僕のことを貶めるような発言を、僕自身がするはずがない。するとしたら、そこには何か別の理由がある。

「じゃああなたは、先輩に押されることも、先輩に首筋を撫でられることも、先輩、いや、五十畑委員長から何も言われてないんですか?」

「なんだそれ?どういうことだよ!俺の時は五十畑先輩は出てこなかったぞ!」

マイク越しに机を思いっ切り叩くような音が聞こえた。本当になかったようだ。

「「あなたの足を、地面に接地させているのは何?」って、言われてないんですか?」

マイク越しにヒュッという、声の出ない悲鳴のようなものが聞こえた。

「おい、なんでそれ知ってるんだよ!おまえ、「深い虚空」と話してないんだろ。なんでその文言を知ってるんだよ!それは悪魔の質問だろ。答えられないと「深い虚空」に引きずり込まれる。」

いろんなところを叩きながらそう彼が捲し立てる。そんなにヤバい質問なのか?

「僕とあなた、ここにいるのは同じですけど、そこに至るまでの過程は全然違うみたいですね。」

と言うと彼からの返答が返ってきた。しかし内容は、全く違うことだった。

「なあ、それで、その委員長が言ってたっていう質問に、返答できるのか?」

「考えてもなかったので、まだ分からないです。でも、どうしてそんなこと聞くんですか?」

「気になるんだよ、その返答の内容が。」

「そんなの、他の人に聞けばいいじゃないですか?」

「お前じゃなきゃダメなんだよ!」

「この質問が、悪魔の質問だからですか?」

すると、大きなうなり声とともに半ば泣きべそをかきながら話し始めた。

「ああ、そうだよ!お前と同じく十年前、同じようなことを体験した。最初は何気ない会話だったんだけど、突然そいつがこう言ってきたんだ。」

「「あなたの足を、地面に接地させているのは何?」って。それに俺答えられなくて、「分からない」って言っちゃったんだよ。そしたらそいつがありがとうって言ってきて、気づいたら俺の足元に深い闇が広がっていて、落ちたんだ。」

ホラー映画のような話に、一気に背筋が凍った。もしかしたら自分もこれからそうなるのか、と思うと、先ほどの質問について考えなければいけない。

「そしたらそのあとは」

「あーあ、言っちゃった。」

「駄目だよ、そんな事喋ったら。」

高校生くらいの男女の声が、マイクから聞こえてきた。滑舌が良くも悪くもないその感じが、より不気味に感じられた。

「君の事、「深い虚空」に伝えておくね。君は、ルールを破ったんだよ。」

「「自分のことは喋らない。」、これがチャンスを与えるうえでのルールだったよね。」

「最後の身支度してもらったけど、もう帰れないから、これ持ってっちゃうね。」

「じゃあ、またあとでね。安原智尋君。」

ドキッとした。どちらのことを言っているのか。彼のことを言っているのだろうか、でもまるで、僕のことを見て言っているようにも感じられた。

彼は何も喋らなくなった。ただひたすらに震えの混じった呼吸音が、スピーカーから流れる。そして、泣いているのか、助けを求めるような嗚咽をした。すると、僕の後ろの扉から声がした。

「ねえ、智尋。」

智尋、そういうのは五十畑委員長だけだ。後ろを振り返る。人影が小窓から見えるが、外が明るいのか、顔は見えず白地の中に黒い影しか見えない。その人影は、絶対に委員長だった。

「あなたの足を、地面に接地させているのは何?」

悪魔の質問と未来の自分は言っていた。きっといまこの質問に答えられないと、彼と同じ運命になるのだろう。必死に考える。必死に、今までの会話などを思い出す。

「無理だよ。君も、きっと俺と同じ運命になるんだ。そしてあの、地獄のような「深い虚空」に一生閉じ込められるんだよ!」

マイク越しに叫ぶその声が、集中の中の綻びに入ってくる。

「ああああああ。またあの地獄に戻るのはいやだ。いやだよいやだ。もう戻りたくないよ。あああいやだあ~。お母さんー。ごめんなさい。ごめんなさい。家に帰りたいよ~。お母さんの作った料理が食べたいよー。嫌だー、あれはもう食べたくない!戻りたくない!嫌だー。痛いのは嫌だ~!誰か助けて~!いやだあ~~~!」

その声を聞いてはいけない。耳を傾けてはいけない。絶対に聞いてはいけない。

足を地面に接地させるもの、T君が言っていたツナギの事なのだろう。そして、ツナギはオモイと同義とも言っていた。つまり、僕のオモイは何なのかということが、この質問の鍵だ。そしてそんなオモイによってできたのがオモイダケ。T君はこんなことも言っていた。僕たちはある一つの経験によって形作られている。そんな中、少し前に委員長と話したときのことが思い出された。その時は執行部での集まりだったのだが、他の人が部活などのそれぞれの事情で遅れるということになり、僕と五十畑委員長の二人で待ちながら話をしていた。そんな何気ない会話が、不思議なほど鮮明に思い出される。



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